まずは写真です。
この前アップした「留袖」ですが、これを「裾ひき」の着物として
お福ちゃんに着てもらいました。帯が太い…ですがこれであってます。
つまり、丸帯と言うのは本来こうやって結ぶものだったわけです。
さて、普通に着物に袖を通し前をあわせて伊達締めを締めると…、
実は後ろはこんなことになります。(伊達締めの変わりに細帯を使用しています)
ダブダブですね。当然です、何しろ衿は今より抜いているし、
このお福ちゃんには、補正をしていませんから。
(和装ボディは、洋装に比べて寸胴には作られていますがそれでもスマートです)
おまけに昔の着物は今より身幅が広いですから、さて、こんなダブダブを
どうやって着ていたか…。実はあんまり気にしてなかった…というのはあります。
もちろん、オシャレな人もいたでしょうけれど、今、このダブダブを見て、
かっこわるー、と思うのは、今の着物の着付けの感覚で見ているからなんですね。
実際、昔は大きな着物をダブダブと、ゆるゆると着ていたわけです。
ただ、だからといってこのまま帯をしめれば、真ん中がへこんでしまうし、
幅広でしかも今とちがって柔らかい帯ですから、締めにくい。
それで補正をしました。それが「しごき」です。
今、しごきというと七五三の女の子の帯の下に締めるくらいしか見ませんが、
一番わかりやすく見られるのは、盛装の芸者さん、つまり「出の衣装」です。
あの帯の下、ですね。盛装の芸者さんと出会うこともめったにはありませんが、
あの「博多献上」を柳に結んだスタイル、前を見ると帯は横まっすぐではなく、
粋にクロスさせて結んでいます。
その間から「ちらり」と真っ赤に見えているのが「しごき」です。
「赤」なのは、商売上の「色っぽさ」の演出です。
武家や商家の女性は、白を使いました。
しごきがないので、ちょっと錦紗の布をつかってみましたが、こんな感じ。
これははっきりしないのですが、「補正」というからには、
じゅばんの上にこれを巻いて着物を着た、というほうが正しいのかもしれません。
ただ、何度も申しますが、元々今よりずっとゆるやかに着ていた時代ですから、
きっちり体の線をこしらえてから…というようなことより、
帯を締めやすくする、と言うほうを考えたのではないかと思うのです。
この辺りは、研究課題ですねぇ。
とりあえず実際にはもっとぐるぐる巻きにきっちり巻いて、
ずん胴にこしらえたわけです。(ずん胴というより『タル』体型?)
その上から、幅広の帯を巻く、で、出来上がるのが、
以前にも何回か使っている画像ですが、このスタイルです。
このしごきを巻く時点で、着物の余分なものを押し込んだり伸ばしたりして、
補正したわけでしょうし、着物の下にしごきを使えば、
すんなりとダボダボは解消されたことでしょうね。
今と違って、お尻のすぐ上くらいまで帯はあったわけですから、
あれだけだぶっていても形はつけられたわけです。
今でも日本舞踊で「芸者姿」の衣装の場合は、後姿の帯の下部分、
あそこのドレープをきれいにだすのがむずかしいそうです。
で、なんなのよ…なんですが、実はこんなことから今の着物の着かた、
というふうに、お話をひろげるつもりが、本日時間切れ!
イマドキはどーやって着ようか、というお話は「続き」とさせていただきます。
普通の着付けと違うから難しいですね。
昔はそういった着方を当たり前のようにしていたのでしょうが、今は花嫁着付けと踊り着付けをさ~っと
習うぐらいですね。そういった着方も見慣れないと
何となく違和感感じてしまいますね~。
粋なところなんかはちょっとまねしてみたいけど、
ゼッタイ、コケる…。
子供の着物にしめる簡単な帯かひものようなものをしごきと呼んでいたような気もします。
この留袖の柄にそっくりの、母が昭和17年頃着た花嫁衣裳があります。
ブルーの波模様がすごく好きです。
そこで質問ですが、この前私が昭和の着物として紹介しました真っ赤な帯揚げ、名前がわからなかったので
「帯揚げ」と書いたのですが、じつは、両端に糸の房がついている、花嫁衣裳の時の丸帯の下に10センチくらいの幅で巻いていたものです。
昔の花嫁写真を見るとよく巻いてあり、腰のところで房をたらしてあります。
あれは何と呼ぶのでしょう?
しごきでよろしいかと…。
ちょっと説明が長くなりますが、明治の初めくらいまでは長い着物をそのまま着ていまして、おはしょりはしませんでした。出かけるときは裾が汚れないように、着物を帯の下でたくしあげて紐で結んで、いわばブラウジングさせて着ていました。これがのちの「おはしょり」になったわけですが、このたくしあげて結ぶのに使われた紐が「しごき」といわれております。浮世絵などではよく見かけます。七五三の帯下に結ばれるのはこの名残ですね。一方補正のために使われたのもしごきですが、ご承知のように七五三用のしごきも幅はひろいですね。お母さまの戸同じです。どっちもあったということで、たぶんですが流用していたのではないかと思います。絹の幅の広い長い布をひとつは補正にひとつはおはしょりに…という感じですね。つまり、裾をたくし上げるのにあっこれでいいや、と使っていた・・・というような。時代がすすんでおはしょりを最初に作るようになった、と言うのは帯幅が狭くなったからですが、どっちが先とかそういうことではなくて、少しずつあれこれ変わって行ったものと思います。そうなったときしごきを胴にグルグルまくのではなく「伊達締め」をしめるようになり、しごきは用がなくなりました。そこで飾りとして、つまり「抱え帯」という名前で残りました。現代の花嫁さんの抱え帯は、柔らかいしごきではなく金襴の細い帯を結びます。お母さまの残されたものは房がついているところを見ると「外側に使われたしごき」、つまり抱え帯として飾りにつかわれるようになった「元おはしょり用のしごき」ということになりますね。黒振袖の古い時代は、だいたい柔らかい「抱え帯・しごき」です。
さくらさんの仰っているのが、しごき、志古貴こんな当て字でした。私の地方では、たぐり、といってます。
大人物に使われているのは、舞妓さん、芸者さんなどだけかもしれませんが、子供用、四つ身には今でも使っています。赤、黄色、緑、ぼかしなどなど、七宝つなぎの房などがついています。帯の下に位置に今では飾りですが使っています。
娘の七五三のときに譲り受けました。
まだ自前で支度する時代だったのでしょうね。
黒振袖は知り合いから借り、
しごきは自分で用意したのだとか。
衣料は切符もいる時代。
新品ではなく、なにかを染め替えたと聞きました。
花嫁さんのしごきは
七つのこにはちょぉっと長すぎましたけど。
あぁ、あれもしごきだったんですね。
以外でした。
その房のついた真っ赤なしごきを、コートとの内側にちょろっと覗かせてマフラーに使えないか思索中です。
花嫁衣装は自前だったようです。
すごく貧しかったようですが、なぜか鼈甲で鶴をかたちどったようなかんざしもあって、子供の頃箱からそーっと出してみて眺めていました。
この前「兵児帯」でご紹介しましたが、
昔は子供は元々は帯をしませんでしたから、
少し大きくなってからはしごきだったのでしょうね。
飾りのつくようなものは、着る着物もいいもの、
ということなのでしょうね。
空朱様
戦争というものは、本当にいろいろな大事なものを
なくしてしまいましたね。
しごきは私も七五三のがありますが、
さいしょから「子供用」ということは、
買ってくれたんでしょうね。黄色です。
さくら様
いまではなんでもレンタルですが、
昔は余裕があれば自前だったのでしょうね。
黒振袖は、留袖にするのが当たり前だったし、
きった袖や、中着を使ったりして子供の着物を
作ったものだそうです。
着物が日常着なればこそですね。
マフラーのアイデア、ステキです。
ぜひトライしてください。
着物を通じてこういう事を告白出来る場所があり嬉しいです。
こういう時代が来た事が不思議です。