
成人式は終わったというのにすみません。
こんな本を手に入れたもので…。「若い人の着物と装い」、
昭和46年1月発行の雑誌「若い女性」の付録です。
年代的に私の成人式と同じころです。表紙は「山本リンダさん」、
なんたって着物の柄行もですが、この髪型が懐かしい?!

これより5~6年くらい前だと、まだ「新日本髪」という、
結綿まがい、島田もどき、みたいな髪型がけっこうあったんですが、
このころは既に洋髪のイメージの方が強く、それでいて日本髪のニュアンスも?
やたらと高く高く、マリー・アントワネットのようにそびえたってたよーな。
こちらが中の写真です。左端は訪問着です。

この少し前くらいからでしょうか、地色が薄いというのがはやりで、
いまでいうところの「パステルカラー」、薄いピンク薄いブルー薄いグリーン。
そこに柄がドーンとあるようなのが多かったです。
地色はともかくとして、柄は今よりずっとすっきりしているように思います。
ついでのことに、このころは「中フリ」、つまり「中振袖」がハヤリでした。
今見るとやっぱり物足りない長さですね。
もう一枚、こちらは「濃い地色」のものです。

やはり濃い色の方が振袖らしくて好き、なのは私だけかなー。
もうひとつ、帯揚げが「当時の締め方」、みんなこれでしたねぇ「入りの字型」。
少し前は、もう少し大きくだしてました。
着物の柄にも流行があるのは分かるのですが、
最近のものは「モダン・豪華」ばかりが先行しているように思います。
振袖はそれでなくとも色や柄の大きさ、袖の長さなど、めだつものです。
そんなにゴテゴテと色や柄をのせなくても十分美しいもの。
落ち着いた古典柄をポンとおいた程度のスッキリ加減の方が、
着ている人を引き立てるのではないかと思うんですがねぇ。
さて、本日のおまけ、もう一冊手に入れたのが「主婦の友」の付録、
「新時代の和服」です。昭和29年、1954年のものです。
その中にみつけたんですが…この衿、いかが?


なんかもー、くっくるしひ…
このころは戦後まもなくて、自由な風潮と言うのが急激にひろがったころ、
着物は洋服に遅れまいと、シャープな感じとかスマートな印象とか、
そういうことを気にしていたようです。
普段着や通勤着(着物通勤もまだありました)は、よりキリッと、スッキリと、
で、思い切り衿をつめて着る着方がありました。
しっかし何もここまで詰めんでも…応援団の学ランのよーだ…。
おまけのおまけ、男物の着物のページでみつけました。だーれだ。

下の写真の方がわかりやすいですね。
俳優の「宍戸錠」さんです。しかも「ホッペ膨らませる前」写真。
こうしてみると息子の「宍戸開」さん、ほんとにお父さん似なんですねぇ。
見かけます。洋服と同じで繰り返しなんでしょうか。
襟の詰まった着方、もし流行になってもそういった
着方はしたくないですね。本当に見ているだけで
苦しそう・・・
色黒の私には辛い流行でしたね。
(お嫁に持ってきた)小紋はさっさと染め替えちゃいましたが、
付下げはどうしようかまだ迷っています。
振り袖は封印されてますし。
ここに掲載のものは全部好きです。
これぞ着物と思います。
特にすきなのは薄いブルーのです。
いきなりで申し訳ありませんが、質問させてください。
戦前の花嫁衣裳で、黒振袖の場合、当時は「はこせこ」を身に着けたのでしょうか?
よろしくお願いいたします。
「束ねのし」は私も大好きな柄です。
これが沢山飛んでる留袖があるのですが、
友人が「ありすぎ」…いわれてみれば、でした。
いずれアップしましょうね。
この着方、ゼッタイいやですね。
きっとどこかでタオレル…?!
うまこ様
薄い色ってぼぉーっとして太く見える気が
するんですけどねぇ、大はやりでした。
振袖、もったいないですねぇ。
さくら様
このブルーは「赤」の柄が映えますね。
昔のものは豪華の意味がちがいますね。
私はチビなので、今着られるなら赤いのを
かわいく着てみたいです。(ムリだってば!)
人形屋様
はじめまして、ようこそおいでくださいました。お楽しみいただけて幸いです。
筥迫の件ですが、まずははっきりと「こうです」とお答えできませんことを、お詫び申し上げます。私が知る限りでは、戦前の黒振袖に筥迫を使っていた、という事実はありますが、その時代ですと地方によっては違う、ということもあったかもしれません。ちなみに母は京都のいなかの出身ですが、母の身内や友人知人が戦前に何人も嫁入りをしておりまして、みな「黒振袖」で筥迫は使ったと聞いております。実際には、戦前辺りはどちらもあったのではないか、という気がします。完全に花嫁衣装の一品になったのは、たぶん戦後に入ってからではないかと想像しております。
元々黒振袖を花嫁衣裳としたのは、江戸後期のころといわれておりますが、当時、筥迫は女性の一般的な道具のひとつ、化粧ポーチやセカンドバッグのようなものでしたからわざわざ婚礼衣装で使うというよりは、結婚のときの花嫁道具の必需品という位置づけでした。それも、そういったお支度をして嫁入りするのは裕福な家の女性でしたから、一般の結婚はあいかわらず「とりあえず一張羅の晴れ着」程度だったわけです。江戸から明治大正昭和と、時代がさがるにつれて「貧富の差」がすこしずつ縮まり、婚礼といえばダレもが振袖、というようになっていったわけですが、同時に振袖そのものも「襲」からせいぜい比翼になっていったわけです。普段はつましい暮らしをしていても、婚礼と言うときはここぞとばかり振袖を着せる、そういうときに美しい道具としての筥迫を、花嫁衣装の持ち物のひとつに加えたということだと思います。どっちもアリ、つまり使った場合と使わなかった場合があるのでは…というのは「盛装」については、貧富の差というものがかなり影響致しますので、今のように「白無垢セットはこれ」「色内掛けセットはこれ」といったようなところまで、細かく決まっていなかったのではないかと思います。それで地方地域によってはちがったかも…と考えるわけでして…。こんなあいまいなお答えしかできませんで、申し訳ありません。懲りずにまたお越しくださいませ。よろしくお願い致します。
では、「はこせこ」アリということで、人形の衣装を作ることにします。初めて古着をほどいて作るものなので、できればちゃんとしたものを作りたいと思いましたので。お手数をお掛けました。これからもよろしくお願い致します。
義妹に結婚式で着てもらって以来
クリーニング屋さんの箱に入ったまま。
とんぼさんに言われて急に心配になってきました。
恐る恐る箱を開けてみましょうか。
白地でも結構気に入っているので。
ちなみにお見合い用の写真(20歳で撮りましたが)には同じ柄で色違い(空色)の従姉の振り袖を借りて着ました。
20歳の時に振り袖を持っていなかったという不思議な話です。
今ほど成人式と振り袖はつながっていなかった気がします。
「おそるおそる~」わかりますー。
先日アップした友人からの振袖も、
ぱっと見たところはなんともないように
見えたのですが、白い梅の部分がねぇ。
ぜひぜひチェツクしてみてください。
お見合い用の写真をおとりになったんですね。私は「成人式」の写真ではなく、その年のお正月に
家族写真を撮りました。
きたるべき「15日」に備えて「練習」でしたね。