冠婚葬祭の着物について迷うこと、知らずに「違うよね」といってること…けっこうありますね。
「今」を考えるには「過去」も知る必要があるのでは…
全てのことではありませんが、長い歴史のあるものについては、それを知ることも、
これから先をよりよい方向に向けていくための、手がかりになるのではと思っています。
昨日のコメントで「黒い羽織」のことについてのお話がありました。
羽織については、過去にも何度か書いておりますが、
何度書いても余分ということはないと思いますので、また書かせていただきます。
まず…私はいつもわかりにくいことは「わかりやすいものにたとえる」という方法で考えます。
羽織ってなんだ?と考えてみると…まずはほこりよけ、防寒、それと見た目の印象。
では洋服にたとえたら?だいたいスーツの上着や、ブレザー、ジャケットにあたります。
これでわかりやすいでしょう。「上着」といっても、スーツは、黒やダークな色であれば礼装ですし、
それ以外の色やちょっと縞が入っていたりすれば、いわゆる通勤などビジネスのユニフォームや
ちょっと改まった感じの場に使われます。
ブレザーも、それを着る人の立場によっては、制服だったり、ちょっとカタイ印象ですね。
大きな柄モノだったり、素材がラフだったり、デザインがカジュアルだったりすればお出かけ着、お遊び着。
これが羽織だと「黒五つ紋」とか「色無地一つ紋」「絵羽」「小紋」になるわけです。
そしてここがポイントですが、いずれもスーツの上着は「部屋の中でも脱がなくてよいもの」です。
同じ防寒や塵除けのために着るものでも、コートとはここが違います。
羽織の場合は、これに「男女別」というのが加わります。
洋服のスーツは、下がパンツかスカートかで男女の別がついたりするだけで、
ほぼ同じ場所同じ目的で着られます。
具体的に言いますと、披露宴に招かれて男性がスーツに白いネクタイ、白い靴下、これでOK。
女性はスーツで、アクセや靴、バッグを合わせればOK。
(最近は女性が披露宴で黒いスーツやドレスを着ることはほとんどありませんが、
これは時代の流れで「カラーフォーマル」というものが出てきたからです。本来は黒でも問題ありません)
しかし、羽織になると、これがダメになります。
つまり、男性のスーツの上着と、女性のスーツの上着が同じ位置づけとはみなされないのです。
なんで?…これが「羽織の生まれと育ち」、つまり出自ということになります。
羽織のご先祖様は「胴服」だといわれています。胴服は、いわば武士の「上着」ですが、
似たようなものに「十徳(じっとく)」「直綴(じきとつ)」などがあります。
コレはいわば分家筋とでもいいましょうか、それぞれ職業や身分で分かれましたが
「十徳」はお茶や俳諧の師匠の着ているもの、
「直綴」は、お坊さんが白い着物の上に着ている黒いのや黄色いの…が一番わかりやすいですかね。
こういうものは、まず「男性」のものとして生まれました。
当時は男尊女卑、身分制度、貧富の差、すべてが今よりずっと強かった時代です。
武家から出たものが、だんだん一般庶民にも使われるようになる…これが羽織の「育ち」です。
なので最初は「男性だけのもの」でした。
江戸時代は、とにかくいろんな「禁止令」だの「倹約令」だのが出た時代です。
また今のように自由な発言だの、討論だのありませんから、ダメなものはダメ。
時代が下がって「わからなきゃいいでしょ」だの「武士がなんでぇ」だの「うっさいわねー」だの…
けっこうはじけちゃったりし始めて、女性も羽織を着るようになって…。
最初は辰巳芸者が着た黒紋付といわれていますが、通説で定かではありません。
とりあえず、男のものを女が着るようになったという、画期的なことが始まったわけです。
その後すぐに明治維新があり、それまでのようなうるさいことはなくなった…のですが、
変わったからと言って、すぐにすべてがオセロのようにひっくり返るわけではありません。
事実、女性の差別はいろいろな面で、ずいぶん長く続きましたよね。
そんなわけで、羽織というものは「男性のもの」であり、紋付は「男性の正装」、
コレがずっと変わらなかったわけです。
なので、女性の羽織は紋がついていても「略装」から上にはランクアップされずに来たわけです。
むしろ女性は、羽織をオシャレ着として楽しむほうに向きました。
また、女性には元々着物に幅広の帯、という着方があります。
身分の高い人は、上着としてなら打掛や被布(この場合の被布は今の子供タイプではなく袖つきのもの)、
それを着る身分でないものは帯つき、更に女性は特殊な立場のヒト以外は「袴」をつけませんでした。
だから着物と帯を豪華にして「正装」としたわけです。
花嫁さんの打掛、下が白無地の着物ですね。黒振袖は打掛を着ません。武家文化と庶民文化の違いです。
そんなわけで、女にとっての羽織はちょいとひっかけるのに便利な上着という道を選びました。
これは先日「黒絵羽」のところでも書きましたが、本来黒の無地であろうと、絵羽であろうと、
紋がついてなければ「ただの黒い羽織」なのです。それでも黒という改まった色だから、絵羽柄だから、
黒絵羽については紋がなくても「略」で着られるように…そういう流れになったということです。
また、一時期の入卒などで「カラスの軍団」といわれた「黒絵羽集団」は、
当然「それを着ることで、着ている着物の格を一段あげるためのもの」ですから、下は小紋や縞でよかったのです。
それに誰しもが訪問着や付け下げを持てない時代でもありましたから。
それがいつのまにかちょっと贅沢が出来るようになって、
下がつけ下げだの、極端になると訪問着だのに、黒絵羽を着る…なんてことになってきました。
付け下げや訪問着は、それだけで「礼装」です。礼装には羽織は着ません。
それに黒羽織を着たからと言って、訪問着が留袖に並ぶわけではありません。
そのアタリがまた、いい加減になってしまいました。
ずっと言い続けていますが、着物がもし誰にも忘れられず、たとえ着る機会は減っても、
ちゃんと昔と同じ立ち居地を確保できていたら、かわっていくにしてもちゃんとした原因や理由で、
妥当な変化をしていったと思います。間違えば教えてももらえたのです。
それが伝承されなかったために、変な変わり方をしたり、完全になくなったり、
まったくわからなくなったり…哀れな変化をしてしまったわけです。
ちゃんと伝承されて、それなりにみんなが見つめながら変化してきたら、
入学式だから、卒業式だから、ちょっと改まって着物を着る…黒い羽織って、なんかそういうとき
いかにもって感じでいいわよね…だったら「入卒程度に限り、訪問着に黒絵羽も可」でいいじゃない?
そんなルールができたかもです。そのかわり結婚式は、それはナシね、です。
ただし、昨日のコメントにありました「それほど格式ばっていない場合」、略装でいいよの場合は、
披露宴でもパーティーでも小紋に黒絵羽の略装でも問題ないわけです。
このときの羽織は「着ているものをひとつ格上げする」もの、として、当たり前に通用します。
元々羽織はスーツの上着ですから、部屋の中でも脱ぐ必要はありません。
最近は、結婚式や披露宴もいろいろな形式があります。ホームパーティーのような気楽なものなら、
それこそオシャレな小紋だってかまわない場合も、今はありますね。
羽織は色柄によって、時にはカーディガン程度にも着られるものであり、ありがたいことに
埃っぽい季節には塵除けコートがわりにもなり、寒いときはストールを使えばコートのかわりも果たす…
そう考えると、洋装より便利でしょ。その上、ストールはずせば部屋の中でも脱がなくていいのです。
「黒地ならあらたまっている」「紋がついていれば、着物の格をあげられる」というようなことや、
逆に「羽織は女性は礼装にはならない」なんていう別々のことがごっちゃになって、
つごうよく解釈されたり、知らずに「そうらしい」になったり…。
今の状況はコレなのだと思います。
喪服は親族のみ、というのも決定事項ではありません。着物で出席する人が減ってきての事情。
みんなが着物を着ていた時代は、葬儀はみんなが黒い着物でいて、中には略装もいて、
それも持ってない人は帯だけ黒で…そんな時代では遺族親族もみんな喪服。
だとしたら、誰が親族だのご近所だのなんて区別はありません。
だからちょっと古い本を見ると「葬儀は喪服、ない場合はジミ目小紋などに黒紋付羽織でもよい」、
それより少し時代が下がると「親族以外でも、故人が目上のヒト、深い親交のあるヒトなら喪服」になり、
次は「色喪服か略装でいいが、お付き合いによっては喪服」…。
たった数十年の間に、こんなに変わっているのです。
一方洋装はというと、本来お通夜は真っ黒では行かないもの、が常識的に言われていたのは、
私が子供のころくらいまで。今では「黒でなくてもよいのですが…」なんて気弱な書き方になり、
実際はどうかというと、お通夜も告別式も、全員それこそ「カラスの行列」です。
25年ほど前になりますか、同じマンションのある方のご主人がなくなって、お通夜に行きました。
私は下はグレーのスカートで行きました。一つだけは黒をはずして…のつもりでしたが、
私以外は全員真っ黒け。故人が会社勤めの方でしたので、会社関係のみなさんのみ、仕事帰りのままでしょう、
ダークスーツでネクタイが黒、黒ではないけど地味なスーツの女性もたくさんいました。
その人たちについて「会社の帰りだから、朝、家から黒服でくるわけにいかなかったからだよね」…。
いや、ちがうだろと思いましたが、みんな黒が当たり前になると、そういう解釈もふえてくるわけです。
元々「黒」を喪の色としたのは、ヨーロッパの風習からですが、今に至るも「黒」を着るのは遺族だけで、
近所の人たちはみんな「普通の服でジミ目なもの」だそうです。
実際写真も見ましたが、グレーやベージュ、青、茶といったさまざまな色で、中にはシャツにズボンの人も。
これを見ると、なんだか「右へ倣え」の日本人気質が見えてくるようでした。
「右へ倣え」も大切な要素だとは思いますが、単純にマネをするのは危険も伴います。
ある着物本で「さといもころりん」のお話が、たとえとして載っていました。
ちゃんとした席で食事をしたことのない人たちが、和尚さんの真似をすればよいといわれ、
マネをして食べていたけれど、和尚さんがうっかりさといもをころりんと落とすと、
それっとばかりにみんながさといもころりん…。
なぜそうなのかを考えず、これでいいのだろうで着て、違う人を見ると「あれ違うよね」というのは早計です。
着物に限りませんが数学のように「ゼッタイ」ということは、そんなにあるものではありません。
今だって、地域によっては「都会の30年昔」が生きていたりします。
大事なのは「なぜそうなっているのか」を知ることだと思うのです。
別に服飾の歴史だのを勉強しなくても「お通夜かい、縞のお召しに紋付黒羽織でいっといで。
帯も黒だよ。派手な帯締めしちゃいけないよ」と、
ちょいと教えてくれる人がいたのに、それがないのが今です。
「喪服は親族だけ」と書いたのは、今はそれが主流であるからです。
自分が「親のようにお世話になった人だから」と、喪服を着るのは、本来かまわないことです。
でも、見る側が「なんであの人まで喪服?」だの、それ以前に「なんで着物?」なんて時代だから、
じれったいけどここは右へ倣えがおさまりどころでしょう…ということです。
今日はまたしても「長文」になりました。いつものことじゃん、と言われそうですが…。
まだちょっと書きたいことがあります。明日も続くのかなぁ。もういいよ…でしたらごめんなさいです。
ありがとうございました。
えーとこれは地域性のあることです。
葬以外は、全て白靴下、というところもあるそうです。
あとは時代でしょうね。
私が子供のころには、白もシマシマ(黒白の)人もいました。
今は白い靴下なんて考えられない…のだそうですね。
靴に合わせた色、もしくは黒、教えていただいて、感謝いたします。
こうやってかわっていくのだということを自分で言いながら、確認を怠っておりました。
申し訳ありません。
招かれた側の礼装にあわせる靴下の色は黒が無難でしょう。
ダークスーツに白の靴下ではそぐいません。
新郎が白や淡いグレーのスーツに白の靴という場合は、白の靴下になります。
母は、自分が生まれる直前に、家が没落したのですと。
だから6歳上の姉(伯母)は、イナカのお嬢様で、日々振袖着ていたそうです。
それが母が物心付いたときは、すでにりっぱにビンボーだったとか。
そんなでしたから、母は訪問着を一枚持っているだけでしたが、
近所のおばさんやお年寄りが集まると、それだけでもいい、自分の嫁入りの着物は、
喪服に至るまで米と野菜にかわった…と。
そんな話をしていたのを覚えています。
意味がわからなくて「かわったってなぁに」と聞いたら
「着物はみんな食べちゃったのよ」といわれ、益々わからなくなった記憶があります。
女が美しい着物を手放すのは、どんなにつらかったでしょうね。
着物をおめしになっていた時代の方には、なんによらず、着物のお話を聞いてみてください。
知らないことがたくさんあるものです。
祖母は、娘時代は裕福な暮らしをしていたようなのですが、結婚後は普通に貧しい生活だったようです。戦中戦後に生まれた子供たちを育てるために、生家から持ってきた宝石や着物類が食料に変わったと聞きました。そして、昭和の終わりごろまでは、祖母は普段でも着物で生活していました。
件の喪服ですが、いつ頃作られたのかは分からないのです(それほど古いものには見えませんでしたが…)。中着かもしれないものも、もう一度見れば分かると思うのですが(前回はゆっくり見る時間がなかったのです)、既に叔母に形見分けされたので、叔母に会ったときに聞いてみるしかないのかなと…。
この数十年の間に、着物を巡る環境がすっかり変ってしまったんですね…。私の着物歴は数年ですが、もっと前に興味を持っていれば、祖母に色々聞くこともできたかと思うと残念です。
今後の記事も楽しみにしています♪
はじめまして。コメントありがとうございます。
つむぎの喪服について、記事を書かせていただきました。
90代後半のお祖母様、ご長寿だったのですね。
大正初期の生まれかと思いますが、
戦争のころにタイヘンな思いをなさった年代です。
(いつ昨年なくなった母も存命なら今年90歳です)
お祖母様の時代には、買いたくてもまともな絹のない時代だったり、
そんなことも潜り抜けてこられたのでしょう。
母もそうでしたが、そういう時代をすごしてきて、モノを大切にする人でした。
多少ルールから外れようと、愛着のあるものは、いつまでも使いましたしね。
お祖母様もルールより大切にしたいもの、だったのでしょうか。
白縮緬は、着物と同じ仕立てなら中着ですね。きちんとしておられた方だったのですね。
この「喪服の中着」についても今日書きました。
お祖母様のことを書いたのではなく、一般的に…ですので。
失礼な表現がありましたらお許しください。
昨年亡くなった祖母(90代後半)の遺品の中に、紬の喪服がありました。母に聞くと、祖母はその喪服で親族の葬式に参列していたとのこと。紋は、抜き紋でしたので、紬の白生地から染めたのでしょう。そして、一緒にしまわれていたのは、厚手の縮緬と思われる白い着物のようなものでした。見たときは長襦袢かと思ったのですが、ひょっとしたら中着だったのかも…?
地域性かもしれませんが…。私の中ではまだ疑問が残っています。
喪章はちょっと遠い親族などでは便利なものですよね。
今はみんな黒を持つ時代で、たまにしか見かけませんが。
喪側のものですから、よそ様の告別式にはつけられませんが、
便利アイテムであることは確かですね。
実は今日の記事に載せた本の一冊に、羽織でも脱ぐ…ということがかかれていたものがあります。
ただ、やはりそれは「新しいこと」みたいに、今はこうなんだよ…という感じに取れました。
基本は揺るがないほうがいいと思うのです。
喪服の着方などでも数年で違うことが書いてあったりすると
流れもわからない人は、混乱するだろうなぁと思います。
羽織が着られなくなった理由のひとつに「長さ」があると思います。
戦後、怒涛のようにはいってきた洋装に押されて、着物はなんとか洋服のモダンさや軽快さを取り入れ、
人気をなくさないようにした努力というのが、古い本にはあふれています。
写真の撮り方からして「モデル立ち」にしてみたり、わざわざメリハリボディにしてみたり…。
羽織の丈もそのひとつで、ぞろりだらだらの長い羽織の優雅さよりも、
しゃきっとショートで軽快なほうがと、やたら短くなりました。
羽尺などという羽織専用の短い反物もこのころでました。
軽快は軽快ですけれど…なんとも寸足らずと言いますか、
日本人の背の低さの悪いところが全部でるようで…。私もどうにも好きになれませんでした。
自分で羽織を作れる(経済的にという意味です)ようになって、
作るときは長いものを作りました。
アンティーク着物が流行り始めて、みなさん長いものをこのんで着られます。
「みじかいものしかなかった時代」しか見ていないと、羽織を好きになれない、というのは、
判るような気がします。
呉服屋さんに「私の目標は、鏑木清方の、築地明石町だから」といったら、
アナタには長すぎます…といわれました。確かに…。
ほどほどでとめていますが、短いのはどんなに柄がよくても、
いまだに着る気はしません。
慶事だと、聞くのもききやすいのですよね。
弔事となると、まずだいたい急なことですから、
ついつい「とりあえず」になってしまう。
ますますわかりづらくなっていくのでしょうね。
私もははからお通夜のことはよく言われました。
したくして待っていたようにならないようにと。
わざとグレーのスカートや制服の紺のスカートで
いったものです。
キモチという点では、理にかなっていると思うのですが。
縞の着物に…というときは「染」もしくは「お召し」です。
お召しは先染めではありますが、強撚糸を使っていますので、
紬ではなく縮緬になります。
弔事に紬は着ないもの、とされております。今でも…といわれますとねぇ。
なんたって紬の訪問着もある時代ですから。
以前から、礼装は相手のあることだから、
相手に失礼のないように…と考えたり書いたりしてきたのですが、
相手が洋装だとそこでキモチはダウン…です。
弔事はなおさらですよね。
お義母様まお考えはわかりませんが、尊属で三親等以内ですから、
本来なら喪服ですねぇ。
お聞きしてみないことにはわからない…コレが当世でしょうか。
ほんとに着たいのに着られなくなる傾向、さびしいです。
まちがってはいないのに、きがねしなければならない…
ほんとにめんどくさいことになってますね。
私も黒は織りももっているのに、結局最近は
しまったままです。
自分の親のことが始まりましたから、
これから出番ですわ。
「喪章」というのがありますよね?最近は皆が初めから黒なので、あまり見かけないようですが、このところの記事を拝見して、喪章って洋装における「黒紋付き羽織」みたいだな、と思いました。
杓子定規にみんな黒、じゃなくて、地味できちんとした普段着に喪章や黒羽織で融通つける、いい「方便」だったと思うのですけど。
羽織=スーツの上着、という例えがわかりやすく、納得しました。
読んでいて、明治期の女学生が袴を着ることに男性が反対して、「馬乗り」と「行灯」と、二つの形ができたという話を思い出しました。
女性はそれまで、正式な「社会」には出ていなかったので、いざそうなったとき初めて、他人からどう見られるかを考えるようになったのでしょうね。
今回、たくさんの方に同じ質問をしましたが、私の周りにいる、着物を着る50代以上の女性は、あまり羽織が好きではないような印象を受けました。
羽織は着る人と着ない人がはっきり分かれるのかもしれません。
お祝い事は、まあお祝いですから多少の間違いや食い違いがあっても見過ごしやすいですが。
黒羽織、慶事に着るのは新しい習慣みたいですから難しいですね。
弔事については、喪服が黒に変わった頃からの習慣かなあと思いますが、慶事については戦後の卒・入学式以外ではほとんど聞きませんし。
私が子供の頃にはそれが多くて、そのあとは皆さん紋付きの着物や訪問着を作るようになったので、知らないだけかもしれませんが。(上皇とか、法皇とかいた時代なら着たかも…)
お通夜については子供の頃は、真っ黒では準備してたようでいけない、と母はいってました。
遠方の親族はともかく、近所の方などだとわざわざ黒のスカートに白黒ストライプのブラウスとかを探して着て行ってました。
もちろん、割烹着持って。
今は、みんな黒で当然、みたいになってますね。
海外の要人の葬儀などでも、来賓の他国の首相とか大統領とかでも、ダークスーツですね。
あれを見て、やっぱり全員真っ黒というものではないんだなあと思いました。
親族以外のお葬式、色喪服でいいとは思うのですが、周りはみんな黒の洋服だし、黒だと五つ紋だし、とかいろいろ。
黒無地の紬、と言う生地を見つけたとき、これに縫いで一つ紋を入れておいたら…と思ったこともあるのですが、紬で葬儀はいいのかなあ?縞(=紬)に黒紋付きでよいのならいいかなあ?とか考えることいろいろです。
ぽんたさんの、故人のお母様の鈍色の喪服は、尊属にあたるから、という習俗かもしれませんね。
極端な例ですが、天皇陛下は喪服を着ることはない、というのと同じようなことです。
今回のエントリ、考えさせられました。
先日、友人が急逝し私は黒喪服でお葬式に行ってきたのですが、喪主の母上(故人の義母に当たる方)が告別式に着ておられたのが鈍色の一つ紋の無地に黒帯でした。
告別式にご親族の方が色喪服?と私は思い、あちら様は友人なのに黒喪服を着て・・・と訝しく思れたかもしれません・・・。
お通夜は地味目の服か色喪服で、告別式はきちんとした喪服で・・・礼をもって故人を送りたいと私自身は思っていたのでしたが、独りよがりになってはいけませんね。
先様がどう思われるか・・・そう考えると着物はもう着られません。こうしてまた着物を着る機会が無くなっていきます。寂しいことです。
十三回忌用に用意したのですが、これをお通夜には、気が引けます。黒喪服に帯だけ鶸色も気が引けますので、そのときは、濃い紫のお年忌用の帯にするつもりです。
一つ紋の黒羽織は持っています。柄もつゆ芝で、納骨の日に来ておりました。
腰痛に悩む私は、着物が一番有り難い礼装ですから、何か言われたら、そう答えています。
失礼にならないように、礼装は気軽な気分にはなれないのが、辛いところです。
この数日の記事、大変ありがたく、読んでおります。