書評を読んで、そのままアマゾンでポチッとしました。
「ほどなくお別れです」と言う本。著者の長月天音、と言うお名前にもなぜか惹かれましたし、
たまたま知人のご家族の訃報が続けて耳に入ったこともあって…です。
ほどなく、お別れです | |
クリエーター情報なし | |
小学館 |
題名の言葉、お分かりの方も多いと思いますが、葬儀のとき、最後にお棺にみんなでお花をいれ、
お棺のフタが閉じられるときに司会の方がおっしゃる言葉です。
ほんとに悲しい瞬間です。フタが閉じられれば、もう二度と人の形であるその人には会えなくなるわけですから。
で、本のほうですが、主人公は「美空」という女子大生、就職活動がうまくいかず、落ち込んでいるところに
かつてのバイト先の先輩から電話がきて、忙しいのでバイト復帰して…といわれます。
美空はすぐに行くことにする…そのバイト先が「スカイツリーのすぐそばにある葬儀社」という設定です。
お察しの通り、美空には「人には見えないものが見える」能力があります。
物語は3つ、それぞれにいわくのある「なくなった人」が出てきて、それとかかわることで、
美空が自分の力を見つめなおし、成長していく…とまぁそんなお話しです。
あらすじは書きませんが、こういうお話しは好き嫌いが分かれるところ、だと思います。
霊感とか霊能力とか、あの世とかこの世とか、そういうお話しは信じる信じないがありますし、
「気持ち悪い」とか「あ、そのタグイのハナシね」と、好まないかたもいらっしゃるでしょうから。
私はと言うと、はい、信じますし、「感じる」ほうなので、引き込まれて読みました。
といっても、私は「見えません」し「聞こえません」し、およそ予知能力もないし…です。
ただ見えなくても「あ…」と思うことがある程度です。
なのでお墓参りはあまり好きではありません。ふとした油断で「お持ち帰り」してしまったことが
過去にありましたので…。その程度です。
なくなった人の思いは、それこそ臨終の瞬間に、ダイイング・メッセージでも遺してくれなければわかりません。
つくづく思いますが、葬儀や法事は、実は遺族のためである…と。
もちろん、故人に対しても、お経をあげていただいたり、香りのいいお線香を焚いてあげたり、
みんなで故人のことを偲んだり…そういうことは、故人にも伝わっていると思います。
とはいえ、なにしろ「うん、ありがとね」とあちらで言ってる…ということを教えてくれる人はいませんから…。
これもこちらが「そうだよね、きっと」とおもうばかり。
つまりは、葬儀も法事もキツい言い方をすれば、生きている人たちが、納得するためのもの、と、
そんな風にも思うわけです。
だから、この小説を読むと、今、逝こうとしている人の思念がわかるというお話しなので、
なんかもぅスッキリするわけです。アホみたいですが。
私は母と主人の存在を、いつも感じています。といっても見えるとか聞こえるわけではありません。
ただ、いつもそばにいてみてる…という気がするのです。
勝手な思い込みといわれればそれまでですが、私としては、いなくなった気がしていないのです。
昔ある人が「あの世と言うのは、仏教で十万億土のかなたにある…といわれる。
それはとてもとても気の遠くなるほどの遠さにある極楽のことで、なくなった人はみなそこに行く。
だけど実は、次元が違うから遠いだけで、すぐとなりにあるものなのだ」といいました。
宇宙のお話しで言うところのパラレル・ワールドみたいなもので、「並行して存在する世界」ですね。
私、母のときも主人のときもこの話を思い出して、妙に納得したんです。
遠いけど近い、見えないし、声も届かないけど、すぐそばに居る…。
そう思うと、いずれ自分もあちらに行くのだから、と言う思いと重なって、悲しいとか寂しいとか、
あまり感じなくなっています。二人とも夢にもやたらと出てきますし…。
母はいつも、夢の中でまで「アンタ、はよ片付けなはれや」なんて言うんです。
あ、やっぱり見てるわ…なんて思ったりしています。
先日は、知人のご家族で、もういつ何があっても…とずっと言われているかたより、
何度も入退院を繰り返しても復活していると聞いていた方が、先に逝かれました。
お会いしたことはないのですが、お話しはよく聞いていたので、まだまだ仕事もしたかったかも…と思うと、
知らず知らずのうちに手をあわせる気になりました。
私も、この先一日一日、大事に生きなきゃね、と思っています。
ほんとに「見守られている感」はありますね。
私もあちらで「アンタずっとなまけもんやったなぁ」と
言われないようにしなくちゃ…です。
回向と言いますが、まさに気持ちを回し向けるということが大切かと。。。
どうせ死んだら終わりだから何もしなくていい、という方がいますが、それってそうなんだろうか。。。
送る方も送られる方も、良かったね。と感じられるのが大事かなあと思うのですがねえ、、、
やっぱりそうですよね。
キモチを向ける、そういうことですよね。
義理や義務で法事をする身内がいます。
ミエと体裁とお金の計算ばっかり。
きっとあちらのひとたちにも愛想つかされてるだろうなと
思いながらみています。
やたら立派にとは思いませんが、きちんとキリはつけたいと
私も思っています。
やっぱり大切な一区切りですものねぇ。