トップ写真は無関係画像です。最近入手、お気に入りの「イマドキはないじゅばん」…。
元は単衣の着物だと思います。夏ちりめん…といわれるものではないかと思いますが、
薄手で軽く、色柄も涼しげ…って、もう10月も終ろうかというときになって…。
これ、こんなに揚げがるあんです。
15センチですから倍で30センチ伸ばすと、元は身長150センチくらいの人用。
昔なら、これくらいの人いっぱいいましたから、それを少女用に揚げをして着せた感じですね。
なかなか大胆な柄、男物かとも思うような柄ですが、私なら着ますねぇ。
間の波なんかちょっと銀が入ってたりします。凝ってますね。
シミもあったりするんですが、いいところを取ったら、なんとかじゅばんにはなりそうです。
さて、本題に入ります。
着物離れから数十年、着物についての伝承がないまま、それでも着物が着たい、着物がすき、
そう言ってくださるかたのために、何か少しでも情報を…と、ずっと思っています。
今の時代、モノゴトの流れや変化が、ものすごいスピードになっています。
ネットも私が始めたころよりも、いろいろ変わりました。もうすぐ10年ですが…。
悪いことばかりではありません。いいこともたくさんあるとおもいます。
着物が少しずつでも着られ始めたのも、ネットがずいぶん役に立っているのではないかと思っています。
ただ、情報というのは「垂れ流し」もいけないし「聞き流し」も、もったいないし、
受け取るには受け取るなりに、知恵をつかわなければなりません。
選択するチカラも必要だし、流されたり、染まったりも、きちんと自分でわかっていないと…です。
皆様には、耳タコどころか、タコがかさなってピアスみたいになっているかもしれませんが、
着物は、かつてずっと流れていたものが、きちんと伝承されていません。
確かに流れが完全に途絶えてしまったわけではないのですが、途中から極端に流れが細くなりました。
そのとき、そこの「堰」のようになった部分に、ひっかかって、こちらまで流れてこなかったことが
たくさんある…というような感じなのです。
だからといって引っかかっていること全部が「もういらないわ」ということではないんですね。
まず、今の方は着物を着たいと思っても、着られる人がそばにいないことが多いため、
結局はだれかにのところに習いに行く…ということになります。これはもう仕方のないことですね。
着付け教室に行ったことのない私がアレコレ言うのは、失礼かもしれませんが、
講師としてお仕事をなさっておられる方々も、元はその教室で習った方が多いと思います。
今、私のように「我が家流」で、親から教わって着物は自然と着られるようになっていた、
というような方は、おけいこごとでもしていない限り、私の年代でも少ないです。
「あぁ若いころ着てたからねぇ、着物くらい着られるわよ」というのは、たぶん70歳ちと手前くらいがギリギリ?
だとすれば、教えるほうも「自分が教室で習ったこと」ですよね。
それは時代背景によってのことで、しかたないと思うのですが、教える上で、
「~でなければならない」「~である」とだけ教えたとしたらは、ほかがないことになります。
もちろん「礼装」などでは「きまりごと」はありますが、それはあくまで「礼をつくす」ためのルールであって、
基本的な目安や原則はありますが、好みで変えても問題のないこともたくさんあります。
大事なことは、礼を失しないためのルールと、ちょっとしたコツ…です。
どうしても同じように着崩れたり、どこかツレたりするのは着物ではなくじゅばんの着かたがまずかったりします。
また仕立ての問題もあったりします。仕立てた人のウデ、ということもあれば、その着物自体の作られ方も。
昔の名古屋帯で、前帯の柄が裏と表で違う場合があります(今もありますが)。
それは、その時の気分や着物にあわせるために「今日はこっち」と、選べるわけです。
そのかわり、いつもと反対の向きに帯を締めることになります。
帯に元々「関東巻き」「関西巻き」という別がありますが、それは決まりごとではなく地域の風習のようなもので、
それぞれに例外になることはいろいろあるのです。
帯の誂えはあまりありませんが、例えばそんな時、関東腹、関西腹、といって、
その人の締めグセ(関東か関西か)で、片側だけ柄をつける指定をして「倹約」することもあります。
先日「小物はちゃんと並べて」と書きましたが、小物はひとによって使うものが違います。
左利きとか右利きとかで、個人で違ったりすることもあります。
着付け教室で教えるのは、あくまで基本原則であって、そこから先は「応用編」なのだということ、
教える側も、教わる側も、皆さんにわかっていただきたいなぁといつも思います。
学校の勉強だって、基本を習って試験は応用問題ですよね。
社会に出れば、今までの生活が基礎で、 全部応用していくってことだし、みんなおんなじなんですよ。
1+1は2…、と教えるのはいいのですが、実際には2にならない場合もあったり、
+3、+4だったり、-1だったり…それがいよいよ着物を着るときの楽しみなのだ…と
教えてほしいし、わかってほしいのです。
あっもちろん、そうやっておられるところもありますので…。
以前着物関係の仕事をしていた方が言っていたのですが、娘さんが振袖を選ぶときに、
「この人はこっちの古典柄の方が似合う、その色は顔映りがよくない…」と思って、さりげなくそう言っても、
娘さん本人が、今風のにぎやか柄をかわいいといい、ピンクがはやりだからというと、
親は「アンタがよければ…」と言ってしまう…。
「親御さんが着物のことを知らないから娘さんにアドバイスできないんですよね。
だったらプロの意見を聞くとか、私にはよくわからないから、お店の人に聞いたら?とか
こちらにフッてくれればいいのに、それもないんですよね」と…。
確かに自分には全くわからないことを教わるわけですから、そこから出ることは不安かもしれませんが、
冒険心は持ってほしいと思います。いえ、「花魁さん」までいってほしいとは思いませんが…。
着物の自由というのは、洋服のようなデザインの自由がない「代わりの自由」があります。
カタチが変えられない分、アタマ使わないと自分流にするには工夫が必要なのです。
そして実は、それは洋装ではいつも普通にやっていることなんです。
「こういう衿は似合わない」とか「もう少し甘さがほしい」とか…やってますでしょう。それとおなじなんですよ。
情報がない、経験が積み重なっていないということは、振袖選ぶにも「わからないから、娘がよければいい」とか
「今こういうのがハヤリなら、娘がそれに乗り遅れないようにしなきゃ」とか、そういう選択になってしまう。
逆にお母さんも今風にすっかりその気…で、古典柄のよさなど見なかったりすることもあります。
着物には千年以上の積み重ねがあるのに、「洋装の数十年」の積み重ねを優先してしまうわけです。
まず基本って大事、基本ってなんだ?を理解することはとても大事…と思います。
親からのお仕着せの着物を
娘時代は 親の楽しみだからと黙って着ていましたが
自分自身で仕立てに出す年齢になって
反動の様に 地味な着物ばかり誂えてしまい
年齢を重ねた今は 余りの地味さに
どうすりゃ良いの と思案中
自分流にする工夫を
無い知恵絞って考えなくてはと思っています。
習いましたが、今や教室に行かなくてもPCで
教えてもらえる時代になりましたね。
教室によって教え方も様々で、絶対外してはいけない所を守ればどちらでもアリなんだと最近思います。
振袖・訪問着などいわゆる「親の見立て」であつらえた着物は
見事に“由緒正しき”古典柄です。
正直、古典柄と現代風、どちらが自分に似合うのかも
よく分からないまま、与えられた物を着ていた有様で。
そのせいか、昔ながらの文様に安心感を覚えます。
逆に現代風な柄にチャレンジするのは、勇気が必要です。
おかしいですね、洋服は、かなり大胆でも平気なのですが。
「刷り込みってコワイわ~」と思っています。
教室に通わないと着られない「文化」というのは、おかしいと思うんですけど。
この辺の妙な力みが「ねばならない」を生んでいるように思えます。
<ほかがないことになります。
これこれ、これが一番勿体無いし、残念です。
色柄については、「好み」と「似合うもの」は違うというのは着物においては本当に顕著ですよね。
でもその前に、歴然とした美的感覚だの色彩感覚だのがあるんだよなぁ・・・と、色の使い方の上手な方、取り合わせのセンスの良い方の着姿を拝見するたびに己が手を見るワタクシです。
トップのお着物!!なぁんて素敵な!!
なんとか着られるようにはなりませんでしょうか?って・・・他所様のものを・・・てへへへへ
私が団塊、母は80代後半。着物を日常にも着てたのは祖母の世代までかと。母の世代は、参観日とか特別の日に着るくらいでしたね。着物好きの母にして、そんなものでした。祖母たちも最晩年は、日常着は服とも着物ともつかないようなものを着てましたよ。老人用に、前が着物式に打ち合わせになってるワンピースみたいなの。
日本文化の切れ目は昭和30年代だとよく言われますが、着物生活が終わったのもやはりそのころですね。
なんだか同じような道を辿っておりますねぇ。
そうなんです、今出してくると、あと10年先やん…。
そんなんばっかし。
なんとかせねば…ですね。
なんだか最近の着付け教室は、着物を着ることではなく、
本に載ってるようにとか、そんな感じの気がします。
習うことはいいことですから、教えるほうが、もう少し、
柔軟になってほしいものですね。
昔は、柄もそれほど冒険柄はありませんでしたから、
それなりに親のマネですんだんですよね。
銘仙などを着るときに遊んで見る…みたいな?
今は着物柄まで、外国のブランドや、全くの素人だろうと思えるような、
芸能人さんなどがデザインしたり…。
それはそれで新しい面白さとも思いますが、選ぶほうが迷いますね。
年をとるとよけい保守的になりますから、私はずっとこのまんまでしょうねぇ。
ほんとに「異文化との遭遇」みたいなもんですよ。
だからおっしゃるとおり「ねばならない」の力みが
出てしまうのだと思います。
けっこういい加減なものなのに…。
美的センスについてはもう…他人様のことは申せません。
精進あるのみ…なんでしょうかねぇ。どうしても偏ります。
このじゅばん、ブログ記事には書かなかったのですが、
実は、その前に「うそつきの袖分2枚」出たんです。
それも入手しましたから、パズルすれば着物にもなるかな…なんですが、
問題は「シミ」…。
しっかり「わたくし、シミでございますっ」って感じであるんです。
よーくパズルをして考えないとです。
おっしゃるとおりです。
自分で着られて縫えた人たちが、それを伝え損ねた時代が、
30~40年代です。もったいないですね。
私の周りには、まだまだ冬場は着物のオバサンやおばぁちゃんが
たくさんいてくれましたので、目になじんでいます。
お福ちゃんに着せてみましたよ。ご覧下さい。
じゅばんなので、ちと違和感ありますが。