写真は「使いまわし」の過去写真、袖にちなんで「誰が袖」柄です。
昨日「身八ツ口ができて、袖が長く伸びた」、というお話をしました。
袖というより、その下にさがっている「袂」というのは
実際にはなくてもいいもの…なんですよね。
それでも、古来より「装飾」ということを大切にしてきた人間というものは
実用だけでなく、いかにムダをも美しさに変えるか?と…(ホントか?)
まぁ専門的なことはともかく、袖ってずっと見てくると
またおもしろいものなんです。
日本では、古来袖を振るというのは「魂を鎮める」とか
「魂を引き寄せる」とか「思いが伝わる」という意味があったそうです。
かの有名な、額田王が大海人皇子に送ったという歌
あかねさす 紫野行き 標野行き野守は見ずや 君が袖振る
これは「袖を振る」のが「愛してるよー」の合図であったため、
「誰か(野守)にみつかったらどーするのよぉ」という
嬉しながらも心配な「不倫の歌」、こらこら、情緒もへったくれもないがな…。
まぁ、そのころの袖というのは、今のような着物ではありませんが…。
防人として旅立つ夫や恋人に、女たちが千切れるほどに袖を振ったのは、
「愛しています」と「無事に帰ってくる」という祈りでもあったわけで。
イマドキは袖を振るより「ソデにする」ほうが多い???
ともあれ、着物が小袖スタイルになり、昨日もお話ししたように、
身八ツ口ができて、袖丈が伸び始めました。
その袖は「小袖」を長くのばしたもの、です。
小袖というのは「袖口が小さいもの」、という意味です。
対して袖口の下が全部開いているものを「大袖」または「広袖」といいます。
十二単のあの袖です。十二単というのは、ちゃんと袖が長かったですよね。
でも、一番下に着ていた小袖は短くて、袖口が今の袖口より
さらに小さかったのです。やっと手が出るくらい。防寒のためですね。
あれだけ広く開いた袖ですから、風通しよかったでしょうから。
その一番下の小袖が一番上にでてきたけど、やっぱり袖はまた長くなった…、
面白いものですね。
で、小袖のまま長くなったというのは、袖口の下が伸びたということですが、
子供のものだけは「広袖」で長くなりました。今でもそうですね。
赤ちゃんのお宮参りの掛け着がそうです。最近はあまり着せなくなりましたが、
まだ歩かないような赤ちゃんに着せる産着や着物は、みんな広袖です。
袖について時代をさかのぼると、最初幼児くらいまでは広袖だったようです。
これは「広袖にしておくと、体にこもった熱を発散してくれて病気にならない」
と、信じられていたからだそうです。
昔は、というより、つい近代までもなのですが、時代が古いほど、
乳幼児の死亡率は高かったわけです。
だから三歳五歳という年を迎えられたことを神に感謝し、
その後もちゃんと育ちますようにという願いをこめて、お祝いをしたわけです。
子供は体温が高いですから、そうやって広袖を開けておけば、
悪い熱はこもらない、と信じられていたわけですね。
そして、この「危ない時期」を越えて児童とか少女と呼ばれる時期になると、
広袖を縫いとめて、普通の振袖にしたわけです。
さらに、もう少し育って「娘」と呼ばれる年頃になると、
今度は「もう子供じゃないんだから」と、袖を切りました。
これが「留袖」の最初です。
つまり昔は「留袖」というのは「一人前だよ」という成人の証だったわけで、
若い女性はみんな留袖(サイズ)を着ていたわけです。
やがて「華やかさ」とか「若さ」という意味で、今度は振袖は娘のもの、
ということで、普段着でもよそ行きでもみな長くしました。
そして嫁に行ったら短く留める、で「留袖は既婚者の証」になりました。
やっぱり女性は、華やかでなくっちゃねぇ。
さて、古着を扱っていますと、いろいろな長さの袖に出会います。
流れとしては、今より長いのですがその長さが決まっていません。
最初のころはなんでだろと思っていましたが、
古い和裁の本(昭和20年代)の中に、その答えがありました。
ちょっと見づらいですが、一番右の「年齢」のところ。
なんとまぁこんなにサイズがわかれとる…。
最近の本ではただ「○○~○○センチ」というような範囲だけ書かれていたり、
身長の0.33くらいと書かれていたりで、年齢で細かく分けていないようです。
どっちにしても総体に昔よりは短めです。
昔の和裁本には、袖丈だけでなく繰越や肩あきの寸法なども、
年齢とか、体型によって「こうするあーする」がいろいろ書いてあります。
洋服の寸法ほどではないにしても、けっこう細かいんですよね。
先日、繰越がなくても着て調整できませんかというコメントがありましたが、
着物って本当に微妙なもので、たとえば陽花様もおっしゃってましたし
私もそうですが、繰越を5分から7分にしました。
2分ってわずか7~8ミリです。それだけで違います。
おまけに「手縫い」であるが故の個人差、というのがありまして、
縫い方は同じなのに、寸法も合っているのに、「仕立て」の違いで、
たいへん着づらい着物ってのがあります。大きな声では言えませんが、
以前親戚の女性に縫ってもらったウールは、どうにもこうにも、
勝手に衿元が開いてくる、背縫いのどこかが妙につれる、と散々でした。
人に縫ってもらって文句は言えませんので(タダでしたし)
そのまま何回か着ました、ついに母に頼んで縫い直してもらいました。
話しがそれてしまいましたね。
ともかく、袖の長さというのは近代に入って、年代にあまり関係なく
50センチ前後、という感じになりました。
既製品で一番多いのは49センチ、でしょうか。
また振袖は本来身長から割り出すものですが、
最近はだいたい決まっているようですね。
いずれにしても、どーせ昔サイズで作ったって今のアタシの袖は一番短いわよ…、
なんぞとひがんでいないで、やっぱり年というものに関係があったわけです。
それと、昔の本を見てみると、ジミハデのラインがやっぱり少し違います。
これは私の感覚なんですが、昭和の真ん中くらいまで、
40半ばくらいから、突然着物全体がババくさくなる…気がします。
日本は平均寿命がどんどん延びて、また生活環境などが大きくかわって、
昔の50歳と今の50歳とでは、全然違いますよね。
子供のころを思い出して「近所のオバサン」を並べてみると、
子供心にすごく「おばあさん」だったと思っていた人が、
考えてみるとまだ40代後半とか50台前半なんですね。
まぁ普段着物しか見ていませんでしたから、みんなジミでしたけど、
それにしても当時の着物というのは「ここを境に急に老ける」…
という感じがします。
そんなこともあって、昔着物はけっこうハデめ、
赤い着物なのに袖は30代サイズだったり、
ちょっとジミ眼なのに若向きサイズだったり…古着はそんなこともあります。
今、みんなが和裁をやらなくなって「袖の長さ」が違うというのは、
なかなか厄介なものです。
「カンタンお直し」で、とりあえず見た目サイズ合ってればという直しなら、
長いものを短いものに揃える、のは私程度の和裁でもなんとかなりますが、
短いのを伸ばすとなると筋消しが必要だったり、触ってみたら
いっぱいいっぱいで余裕なかったり…。
昔の人は、ほとんど和裁をやったわけで、そういう手間を別に惜しまなかった、
ということもありますね。なんでもスイッチ・ポンの時代の私たちは、
ついつい細々と手をかけることを「たいへんだ」と思いがちですが、
実はたいへんなのではなく「面倒だ」という思いがあるわけですよね。
手で縫うのが当たり前だった時代は「ちょっとお直し」するのは、
私たちのボタンつけ程度のことで、オシャレのためには、
そういうことを惜しまなかったんですね。
最後に、手持ちの古いじゅばんです。解いてハギレの販売予定、
じゅばんとしての形はなくなります。惜しい気もする…んですよねぇ。
どちらも元は着物だったものの「繰り回し」と思われます。
着物だったときは、どんなお嬢さんに着られていたんでしょうねぇ。
こちらは鬼しぼちりめん、いわゆる「端縫い」です。
袖丈は66センチちょっと、尺でいうと一尺7寸5分です。
若い娘さんのものですね。
昔の人の仕事を見るといつも感心しますが、
「手元にあるものの中で美しく装う」ことに対しての情熱、すごいです。
袖口と振りで、見える柄は違ってしまうけれど、それでも裏にいたるまで
左右同じになるように、赤くてきれいなものを外から見えるところに
使っています。映っていませんが、外から見える「振り」の裏はピンクです。
柄のアップ、少し紫っぽく映ってしまいました。
上の写真のほうが近いです。紺地に橘、藤、紅葉。
同じ厚みのちりめんがなかったのでしょう、肩の無地赤のところは薄い紅絹です。
そして背中と肩にかけてのパッチワークは、見事に細かいです。
たぶん、こうしてじゅばんにしたあとは、もうほとんどまともに使えるサイズは
残らなかったのでしょうけれど、その小さな残りを
また小さな香袋やお守り袋に、ちりめん細工にと使ったわけですね。
ほんとに「エコライフ」してたわけです。
こちらは錦紗まではいかないけれど、かなりシボの細かいちりめんです。
市女笠虫の垂衣と、饅頭笠、間を埋めるのは、桜・菊・紅葉…。
本当に鮮やかな色目です。これもいいとこ取りですから、
よーく見ると細かくあちこちついであります。
柄のアップ、こちらは市女笠のほう。
こんなに派手ですが、袖丈はなんと46センチ、一尺2寸ちょっとです。
今の着物でも短いですね。じゅばんですし、紫地ですから、
けっこう年配の人が着たと思います。
今日は「所作動作」のお話しまで行きませんでした。
またの機会にということで、ここで袖を振る~またねぇ~~(フリフリ)。
昨日「身八ツ口ができて、袖が長く伸びた」、というお話をしました。
袖というより、その下にさがっている「袂」というのは
実際にはなくてもいいもの…なんですよね。
それでも、古来より「装飾」ということを大切にしてきた人間というものは
実用だけでなく、いかにムダをも美しさに変えるか?と…(ホントか?)
まぁ専門的なことはともかく、袖ってずっと見てくると
またおもしろいものなんです。
日本では、古来袖を振るというのは「魂を鎮める」とか
「魂を引き寄せる」とか「思いが伝わる」という意味があったそうです。
かの有名な、額田王が大海人皇子に送ったという歌
あかねさす 紫野行き 標野行き野守は見ずや 君が袖振る
これは「袖を振る」のが「愛してるよー」の合図であったため、
「誰か(野守)にみつかったらどーするのよぉ」という
嬉しながらも心配な「不倫の歌」、こらこら、情緒もへったくれもないがな…。
まぁ、そのころの袖というのは、今のような着物ではありませんが…。
防人として旅立つ夫や恋人に、女たちが千切れるほどに袖を振ったのは、
「愛しています」と「無事に帰ってくる」という祈りでもあったわけで。
イマドキは袖を振るより「ソデにする」ほうが多い???
ともあれ、着物が小袖スタイルになり、昨日もお話ししたように、
身八ツ口ができて、袖丈が伸び始めました。
その袖は「小袖」を長くのばしたもの、です。
小袖というのは「袖口が小さいもの」、という意味です。
対して袖口の下が全部開いているものを「大袖」または「広袖」といいます。
十二単のあの袖です。十二単というのは、ちゃんと袖が長かったですよね。
でも、一番下に着ていた小袖は短くて、袖口が今の袖口より
さらに小さかったのです。やっと手が出るくらい。防寒のためですね。
あれだけ広く開いた袖ですから、風通しよかったでしょうから。
その一番下の小袖が一番上にでてきたけど、やっぱり袖はまた長くなった…、
面白いものですね。
で、小袖のまま長くなったというのは、袖口の下が伸びたということですが、
子供のものだけは「広袖」で長くなりました。今でもそうですね。
赤ちゃんのお宮参りの掛け着がそうです。最近はあまり着せなくなりましたが、
まだ歩かないような赤ちゃんに着せる産着や着物は、みんな広袖です。
袖について時代をさかのぼると、最初幼児くらいまでは広袖だったようです。
これは「広袖にしておくと、体にこもった熱を発散してくれて病気にならない」
と、信じられていたからだそうです。
昔は、というより、つい近代までもなのですが、時代が古いほど、
乳幼児の死亡率は高かったわけです。
だから三歳五歳という年を迎えられたことを神に感謝し、
その後もちゃんと育ちますようにという願いをこめて、お祝いをしたわけです。
子供は体温が高いですから、そうやって広袖を開けておけば、
悪い熱はこもらない、と信じられていたわけですね。
そして、この「危ない時期」を越えて児童とか少女と呼ばれる時期になると、
広袖を縫いとめて、普通の振袖にしたわけです。
さらに、もう少し育って「娘」と呼ばれる年頃になると、
今度は「もう子供じゃないんだから」と、袖を切りました。
これが「留袖」の最初です。
つまり昔は「留袖」というのは「一人前だよ」という成人の証だったわけで、
若い女性はみんな留袖(サイズ)を着ていたわけです。
やがて「華やかさ」とか「若さ」という意味で、今度は振袖は娘のもの、
ということで、普段着でもよそ行きでもみな長くしました。
そして嫁に行ったら短く留める、で「留袖は既婚者の証」になりました。
やっぱり女性は、華やかでなくっちゃねぇ。
さて、古着を扱っていますと、いろいろな長さの袖に出会います。
流れとしては、今より長いのですがその長さが決まっていません。
最初のころはなんでだろと思っていましたが、
古い和裁の本(昭和20年代)の中に、その答えがありました。
ちょっと見づらいですが、一番右の「年齢」のところ。
なんとまぁこんなにサイズがわかれとる…。
最近の本ではただ「○○~○○センチ」というような範囲だけ書かれていたり、
身長の0.33くらいと書かれていたりで、年齢で細かく分けていないようです。
どっちにしても総体に昔よりは短めです。
昔の和裁本には、袖丈だけでなく繰越や肩あきの寸法なども、
年齢とか、体型によって「こうするあーする」がいろいろ書いてあります。
洋服の寸法ほどではないにしても、けっこう細かいんですよね。
先日、繰越がなくても着て調整できませんかというコメントがありましたが、
着物って本当に微妙なもので、たとえば陽花様もおっしゃってましたし
私もそうですが、繰越を5分から7分にしました。
2分ってわずか7~8ミリです。それだけで違います。
おまけに「手縫い」であるが故の個人差、というのがありまして、
縫い方は同じなのに、寸法も合っているのに、「仕立て」の違いで、
たいへん着づらい着物ってのがあります。大きな声では言えませんが、
以前親戚の女性に縫ってもらったウールは、どうにもこうにも、
勝手に衿元が開いてくる、背縫いのどこかが妙につれる、と散々でした。
人に縫ってもらって文句は言えませんので(タダでしたし)
そのまま何回か着ました、ついに母に頼んで縫い直してもらいました。
話しがそれてしまいましたね。
ともかく、袖の長さというのは近代に入って、年代にあまり関係なく
50センチ前後、という感じになりました。
既製品で一番多いのは49センチ、でしょうか。
また振袖は本来身長から割り出すものですが、
最近はだいたい決まっているようですね。
いずれにしても、どーせ昔サイズで作ったって今のアタシの袖は一番短いわよ…、
なんぞとひがんでいないで、やっぱり年というものに関係があったわけです。
それと、昔の本を見てみると、ジミハデのラインがやっぱり少し違います。
これは私の感覚なんですが、昭和の真ん中くらいまで、
40半ばくらいから、突然着物全体がババくさくなる…気がします。
日本は平均寿命がどんどん延びて、また生活環境などが大きくかわって、
昔の50歳と今の50歳とでは、全然違いますよね。
子供のころを思い出して「近所のオバサン」を並べてみると、
子供心にすごく「おばあさん」だったと思っていた人が、
考えてみるとまだ40代後半とか50台前半なんですね。
まぁ普段着物しか見ていませんでしたから、みんなジミでしたけど、
それにしても当時の着物というのは「ここを境に急に老ける」…
という感じがします。
そんなこともあって、昔着物はけっこうハデめ、
赤い着物なのに袖は30代サイズだったり、
ちょっとジミ眼なのに若向きサイズだったり…古着はそんなこともあります。
今、みんなが和裁をやらなくなって「袖の長さ」が違うというのは、
なかなか厄介なものです。
「カンタンお直し」で、とりあえず見た目サイズ合ってればという直しなら、
長いものを短いものに揃える、のは私程度の和裁でもなんとかなりますが、
短いのを伸ばすとなると筋消しが必要だったり、触ってみたら
いっぱいいっぱいで余裕なかったり…。
昔の人は、ほとんど和裁をやったわけで、そういう手間を別に惜しまなかった、
ということもありますね。なんでもスイッチ・ポンの時代の私たちは、
ついつい細々と手をかけることを「たいへんだ」と思いがちですが、
実はたいへんなのではなく「面倒だ」という思いがあるわけですよね。
手で縫うのが当たり前だった時代は「ちょっとお直し」するのは、
私たちのボタンつけ程度のことで、オシャレのためには、
そういうことを惜しまなかったんですね。
最後に、手持ちの古いじゅばんです。解いてハギレの販売予定、
じゅばんとしての形はなくなります。惜しい気もする…んですよねぇ。
どちらも元は着物だったものの「繰り回し」と思われます。
着物だったときは、どんなお嬢さんに着られていたんでしょうねぇ。
こちらは鬼しぼちりめん、いわゆる「端縫い」です。
袖丈は66センチちょっと、尺でいうと一尺7寸5分です。
若い娘さんのものですね。
昔の人の仕事を見るといつも感心しますが、
「手元にあるものの中で美しく装う」ことに対しての情熱、すごいです。
袖口と振りで、見える柄は違ってしまうけれど、それでも裏にいたるまで
左右同じになるように、赤くてきれいなものを外から見えるところに
使っています。映っていませんが、外から見える「振り」の裏はピンクです。
柄のアップ、少し紫っぽく映ってしまいました。
上の写真のほうが近いです。紺地に橘、藤、紅葉。
同じ厚みのちりめんがなかったのでしょう、肩の無地赤のところは薄い紅絹です。
そして背中と肩にかけてのパッチワークは、見事に細かいです。
たぶん、こうしてじゅばんにしたあとは、もうほとんどまともに使えるサイズは
残らなかったのでしょうけれど、その小さな残りを
また小さな香袋やお守り袋に、ちりめん細工にと使ったわけですね。
ほんとに「エコライフ」してたわけです。
こちらは錦紗まではいかないけれど、かなりシボの細かいちりめんです。
市女笠虫の垂衣と、饅頭笠、間を埋めるのは、桜・菊・紅葉…。
本当に鮮やかな色目です。これもいいとこ取りですから、
よーく見ると細かくあちこちついであります。
柄のアップ、こちらは市女笠のほう。
こんなに派手ですが、袖丈はなんと46センチ、一尺2寸ちょっとです。
今の着物でも短いですね。じゅばんですし、紫地ですから、
けっこう年配の人が着たと思います。
今日は「所作動作」のお話しまで行きませんでした。
またの機会にということで、ここで袖を振る~またねぇ~~(フリフリ)。
繰り回し、そうなんですよね。
近いうちに、袖のこともふくめて、
繰り回しのお話しを書いてみようかと
考えています。
昔の人は、頭使ってますしムダがないですね。
陽花様
そうなんですよね、近所の人もそんなに
オバサンじゃないのにグレーとかこげ茶とか
ばばくさーいのきてました。
私のは全部一尺三寸二分、というハンパ。
母と差をつけるためでしたが、
いまになって、この「二分」の違いに
泣かされてます。
りら様
私も若いころから、ジミ好みで、
母からは「私だって着るのイヤだ」なんて
文句つけられてました。
今あまりにも「妥当」なんですよねぇ…。
なのでじゅばんは、まっかっかばっかり。
こういうので作ってみたいと思います。
本物の古いのは、かなり弱っているものが
多いので、うそつきで作ってみようかと…。
これは近いうちに、ほんとに作らないと、
HPのほうで「作り方」をアップするのが
おもいっきり遅れているんです。
あーやらなきゃ…。
単衣のものはなんとか直せるようになったのですが、袷はもうお手上げで、毎年ヒーヒーしています。
頻繁に着物を着るようになったのが40過ぎてからなのですが、色柄を選ぶのが難しいと思うようになりました。
10代の頃親に作ってもらった物はしっかり地味好みでして、母は「どうせ気に入らない物を作っても着ないんだから」と、いつも私に選ばせてくれてましたので。
でも、40過ぎて地味な色、柄の細かい物を着たら本当に老けてしまうんですよねぇ。
かと言って大柄の派手なものは顔映りが良くなくなってますし・・・・
この辺が、着物の面白さ、難しさだと再確認しました。
派手な長じゅばんと言えば・・・石川あきさんの本でしたか、「お年を召した方が喪服の下に赤い長襦袢を着ていてとても素敵だった」というくだりがありまして、年とっても長じゅばんは派手で行こう!と思っています。
着物の友禅柄は苦手なのですが、昔のこういう柄は本当に素敵ですよねぇ。
こんな長襦袢が欲しいものです。
ずいぶん着るものが違いますね。
義母なんかは今の私とあまり変わらない
歳でしたが、本当に地味なものを着ていました。30数年でこんなにも変わるものかと
今更ながら思います。
持ってきた着物の中には1尺3寸と
1尺5寸袖がありました。
あの頃はそれが普通だったのかなぁ・・・
子供が出来て長い袖の着物も着れなくなって
袖丈をつめました。
そんな訳で娘に作った着物は全部1尺3寸にしました。
昔の着物の袖が長かった理由の一つに、後の繰り回しに便利だということもあったのではないでしょうか。以前、母が古い着物を解きながら、袖は力がかからず状態がよいので繰り回しで上前に持っていくことができるから、若いうちは袖を長くしていたと申しておりました。
現在なら、繰り回してまで縫い直すことは考えず、余り分があれば内揚げをとって、身丈をのばせるように、また痛んだ裾を切ることができるようにしますよね。それどころか、一時は余り布で着物とおそろいのバッグやらショールやら草履やら、流行りましたよね。袖が短い時代だからこそと思います。