細かいめの「龍郷柄」、これはアンサンブルでした。小さい柄は少ないかと思います。
丸い柄1個が500円玉くらいです。もしかしたら男物だったかもですね。
元々よく着られていたようで、着物のほうは、腰のアタリですでに「ツギ」がされていました。
身丈はチビの私でもちと足りない短め。羽織の方は、返しが大きくとってありました。
さて、これをどうするかで、呉服屋さんに見てもらいましたら、「パズルだわ」。
はい、やってください、お願いします、と一応のこちらの希望をあれこれ伝えました。
できあがって呉服屋さんのお嫁さんが届けてくれたのですが、
最初の「パズル」段階で、お母さん(私がいつもいう奥さん)と縫子さん、
この方は私と同じくらいだそうですが、二人で全部広げて
「ここはこう継いで…」「いやこっちの方がいい」と、ものさし振り回しながら
それはそれは熱くやっていたそうで…「私の入り込むスキ、ありませんでした」と。
実際、いつも私のとんでもないやりくりのお願いを聞いてくださるのが、
その縫子さんなんですが、ほかのお抱えの縫子さんではできない…なぜかというと、
そういう「繰り回し」をしたことがないから。そりゃそうですよね。
で、結果的にまず着物、これは掛け衿分がどうしてもでないということで「つまみ衿」、
あとは羽織り分から切りとったものを胴で分からないように継いでくれました。見事です。
そして羽織は…実は私はアンサンブルと言うのはまず着ないので、
「袴下」にしてもらいました。正確に言うなら「袴下」と「半着」のあいのこ…でしょうか。
袴下というのは、男性用の袴の下などに穿く「丈の短い着物」のことです。
またもっと普段着っぽい野良着や作業衣なら「半着」といいます。
二つ並べてみました、全部広げられないので、半分にたたんだ長さで比較です。
お福ちゃんに着てもらいました。
男性の紋付の場合、袴が「行灯袴(マタのないスカート型)」なら、下から着物が出なければ、
普通に着ればいいのですが、下から着物が覗かないようにと、歩きやすくするために
また、ズボンと同じタイプの「馬乗り袴」の場合は、中で着物がもたつかないように、
こういう袴下という膝下丈くらいの着物も着ました。
もしこれを着ないときは、いわゆる「尻っぱしょり」をするわけです。
半着は、普段着用でもんぺの下に着る木綿モノや、野袴などラフな袴の場合用、というのが一般的。
袖も多くは筒袖とか船底袖、素材も木綿などです。
私の場合は例の「かるさんもどき」に着る着物として作ってもらいました。
よって袴下のように短いし、袖は普通の袖なのですが、もんぺやカルサンをはいたときに
動きやすいように、後ろにセンターベンツが入っています。もう少し深くてもよかったかな。
なんか子供の着物のような…ですね。
かるさんもどき、これもお福ちゃんで…こんな感じになります。
私がこのカッコのときは、普通の着物ほど衿を抜きませんし、帯も角帯か細め帯。
通常、女性が袴を穿くときは行灯袴ですから、おはしょりを多くとって着物を短く着付けて半幅帯を使います。
私の場合は普段用ですし、できるだけラクに着るために男ものに近い着方をするわけです。
衿を全く抜かないと、クビの短いのが目立つので少し抜きますが、おはしょりないと着づらいのです。
そこでこれは、通常の着物より繰越を多くしてもらいました。
ちょっと見づらいですがこんな感じ。
脇から下の着物が覗くってのがすきなんです。もう少し深いと、前後の動きがもっとラクになります。
今までは、普通の着物を膝下を切って、自分で適当に後ろのベンツを入れたりしていたのですが、
それは例えば裾のほうに汚れがあって着物として着られないものとか、
旅行のときは汚れてもいいようにポリの着物とか、それをばっさりやっていたのです。
まだ着られる着物にそれをやるのはどうしても抵抗があって…。
それでちょうど羽織り分プラス少し余分にあるならと、パズルをしてもらったわけです。
幸いにも柄が龍郷にしては細かいので、ついであるところがほとんど分かりません。
もちろん、着たら中に入るところで継いであるのですが、呉服屋さんが説明するのに、
「ここで継いであって…あれっどこだっけ」というくらいです。見事です。
今はかせているもんぺさんは、ちょっと丈が気に入らないので、
もう一枚、古い紬のハギレから作ろうと…はい、思っているだけです。
この袴下を着てもんぺを穿くと、着物がちょうど両足を包み込むようになるので、
冬場はとてもあったかいのです。モコモコもしませんのですっきり着られますし。
上着は道中着にしても羽織にしても、丈の長めのものが合います。
かなり時代を経たものでしたが、痛みも汚れもなく、本当に状態よく保存していてくださいました。
水もくぐっているわけで、しなやかで軽いです。
着物の裏には紅絹が、八掛には紋錦紗という今なら贅沢な裏がついていました。
羽裏は染疋田の大きな雲取、ちょっと飛んでいる金の柄がすでに変色していましたが、
最近の無難路線の淡いぼかし柄と比べたら大胆ステキです。
紅絹ははずし、袴下の袖口は共布、中は胴裏、八掛はナシです。
着物の方は紬用の八掛をつけることになりましたが、呉服屋さんの奥さんは
「お願いだから黒はやめて」、私は「お願いだから黒にして」…私が勝ちました。
少し明るい目のをつけて若く着なさいよというのに「このままで100まで着る」…。
さて、帯はどんな色が合うでしょうか。
もんぺと呼ばれるようなものをはいていたのを
写真をみて思いだしました。
絹だったか、綿だったか、わかりませんが、
母は外国製のミシンで縫っていたような...。
戦時中にそのミシン(シンガー)をお米と交換で
譲ってほしいと言われたけど、それは出来なかったと
私のミシンを買ってくれましたときに言ってました。
それにしても、今、こんなに着物を身近に感じながら
そして新しいものでなく工夫をたのしんでいる姿が
素晴らしい!!と思います。
着物のほうのUPもしてくださいね。
かるさんスタイル、初めてお出会いした時の
姿思い出しました。ご自分で考えて作られる
かるさんがとってもお似合いでした。
着物の後、スリットのようになっているんですね。
もんぺ系は、一度はくとラクでやめられません。
冬は暖かいですし…。
楽しくあたたかく着させていただきます。
母のもんぺは大島でしたっけ。
もうツギあてがあるようなのですが。
長く使えるのも着物のよさですね。
私はアンサンブルと言うのが苦手なのと、
紬の羽織は、合わせるのが難しいので、
こんなふうに作り変えました。
縫子さん、苦労したようです。
またもんぺを作りたいと思っているのですが
ミシンを出すのがねぇぇぇぇの
なまけものです。