ひかりとしずく(虹の伝言)

勉強会や講演会、上映会のレポートなど主に載せています。

セントバレンタインに思いを馳せて

2009-02-01 | 季刊誌なな色メールより
雪かきで悪化したしもやけもようやくスイートアーモンドオイルと精油(ロズマリー)で改善の兆しの今日この頃です。
今冬の秋田は勿論、私の古い友人の住む島根県なども大雪で苦労したと聞きました。
寒いときはそれらしく寒くなってくれた方が安心!おかげで節分の「鬼は外!福は内!」も寒いし家の中で。


旧暦では2009年の元日は1月26日でいつもより少し早めになっていますが、来年2010年などは月14日です.
(月の満ち欠け、朔(新月)で決めるとか。)
来年などはこの節分の日もまだ年明けしていないんですね。
そういえば、立春の4日を新年とする考えもあったようです。
季節の節句は旧暦で考えた方がしっくり来るようです。(桃の節句や七夕、お月見などは特に。)
 
象潟町でも私の住んでいる小浜・二の丸地区では立春を過ぎた二月の初めに、『初午』といって近所の稲荷神社のお祭りがあり、獅子舞を町内の子供達が行う慣わしがあります。
今年は我が家の長男(小一)も土日毎の練習に見習いとして参加し(当日は旗持ちの役でした。家々を周った後一人前にご馳走やお菓子をよばれて来ました。
象潟はいろんな風習が残っていて面白いです。
昨年よりの世界規模の不景気で日本の大手の会社が経営難に陥って日本中が混乱していますね。
私が働き始めた頃、日本経済は異常な好景気でした。
そのバブル絶頂期にはディスコやら、ダイビング、ライブハウス、ツーリング、海外旅行、会員制サークルでのパーティーと青春を謳歌しました。
といっても、その辺は多血質っぽいのです。
極めている友人に連れて行ってもらい、とり合えず満足する程度。それぞれ形はばっちりきめたいのでお給料をつぎ込んだなぁ。
若かりし日々の自身と周りを振り返ると、看護の職場での数々の理不尽な出来事に耐える若い看護士にありがちなパターン。
死を身近に感じるのを避けたくて「今のうちに楽しまなきゃ。」と、仕事のストレスを発散できる楽しいことを探す。
もしくは、宗教に傾倒する。・・・の2パターンに分かれていたような気がします。

やりがいを求めながら力量不足に燃え尽き症候群や、理想と実際との差に疲れて乾いてしまうという感じ。
それでふと外の世界を見れば日本社会が皆今で言うセレブになれるかのような夢を見ていたし。
勘違いしていたのでしょうね。

今は何が本当に大事かを考え直すいい時期なんだと思います。
選択肢や収入が制限されるかもしれませんが、何の為に子供の寝た後に帰宅してまで働くのか、日本の企業も大人たちも考えた方がいいと思います。
ワークシェアリングの方式はいい案だと思います。
ヨーロッパの国々では自己の時間のために働いているとハッキリ言いますよね。

丁度昨年から私はホメオパシーの考え方にとても共感し、とらの子会のレメディを購入しました。
軽い風邪の症状くらいなら家で治療しています。
ホメオパシーはドイツでサミュエル・クリスチャン・フレデリック・ハーネマンという医師が原理「似たものが似たものを治す。」を発見し確立させたものです。
彼は当時ヨーロッパで最高の医師カレンの本の翻訳をする内にマラリアの治療にキナが効くとあるのに引っかかり、研究を重ねたといいます。(これは南米原住民のインディオが培ってきた治療法がイエズス会の宣教師たちによりヨーロッパに入った。)

日本でも喉がいがらっぽい時にしょうが汁が効くとかは古くから伝わっていましたよね。
これです。
是非、家庭で試して欲しいのが、火傷の治療です。お料理中に鍋の熱いところに触れてしまったり、油がはねたりということでよくあると思いますが、そんな時大抵の方は応急処置として冷やすと思いす。私も当然そうでした。
以前の方法はしばらく流水で冷やしその後すぐ副腎皮質ホルモン剤入りの軟膏で炎症が起きないように先手を打つというものでした。
ですがそれよりもぬるま湯や、やかんの蒸気にあてた時の方が翌日の治り方が良かったのです。
温めるとその時はズキンと痛みます。
でも、自然治癒力が引き出されるんですね。(勿論、火傷の程度にもよります。)

今のこの社会状況も日本の自然治癒力が試されているのではないでしょうか。

物で溢れた世の中では子供達も「あれ買って。次はこれ!」と物欲が後を絶ちません。
長女(小六)は今後の家の収入について心配してくれ、誕生日のプレゼントも気を使ってペンケースにしてくれましたが、長男はお正月のお年玉で高価なラジコンを購入。
その後もスターウォーズの人形やカードゲームのカードにときりがありません。
困ったものです。
しかもラジコン、飛行機は危ないと止めたところ、戦車を選んで買ったのでした。
実際、キャタピラーは障害物を乗り越えて動くし大砲も使え面白そうです。
だけど物騒ですよね。
買った当日嬉しくて夕食時居間で遊んでいたらおじいちゃんから「戦車は何をするものだか?人を殺すものだべった。」と言われてしまいました。
長男には、「おじいちゃんは戦争でお兄さんを亡くしたから、戦車は嫌なんだ。」 と話して、子供部屋だけで遊ぶことにしました。
それにしても、テレビで戦闘の映像を見て、「かっこいい。」と言っているので心配です。

イラクでは自殺を図るアメリカ兵が急増と聞きました。
辛いですね。
こんな話、どう話したらわかってくれるか・・・。
特撮ヒーローものを毎週見ては、正義だと力で相手をやっつけてもいいという考えがすり込まれてしまっているんですね。
私自身がアニメやヒーローもの好きなので、シュタイナー教育に憧れつつも、悲しいかなテレビを見せてしまい、その結果こういうことになったのでしょうね。
何とかまだ彼は野生児のごとき活発なので、外遊びで怪我や痛みを体感したり、自然に触れさせるよう努めています。

それから、考えました。松谷みよ子さんの『モモちゃんとプー』の中の戦争についての箇所を読んでやろう、戦車が出てきたはず・・・と。
やはり、カラーの挿絵があったので、彼は早速食いついて来ました。
読んでいる間の彼はずっとだまっていました。
物語の進行を見守っていたのでしょうか。
効果のほどは今はわかりません。
ただ、読み終えハッとしたのは私の方でした。

                        【クレヨン ドドーン】

ある日のことでした。モモちゃんはコウちゃんと、絵をかいてあそんでいました。
コウちゃんはしばらくすると「ぼくみたいまんががあるんだ。」といって、テレビのスイッチをいれました。
そうしたらどうでしょう。テレビったら、せんそうのことばかり、うつしているんです。
ドドーンってたいほうがなると、ちいさなうちなんてふっとんで、ものすごいけむりがあがります。
火ももえて、そのもえかただって、しゅうとじめんをはうようにもえるんです。

コウちゃんは、パチンとチャンネルをまわしました。
やっぱり、せんそうのです。
パチンとまわしました。
やっぱりせんそうのです。
どうしてだか、なぜだか、どこもせんそうのことばかり・・・。  
           
             
(中略)

「いや、いやいやいや、せんそうはきらい。」 
モモちゃんがいいました。
「へっ、よわむしだな。それにあれ、うそっこだよ。ほんとうのせんそうじゃないの。」
 
すると、ケケッ、ケケッ、というへんなこえがしました。
「だあれ、へんなこえをだしたのは?」 
モモちゃんとコウちゃんは、かおをみあわせて、くるっとあたりをみまわしました。
それは、空いろのいんこでした。
いつもは、チチチ、グジュピーチグジュピーチ、とかわいいこえでないているのに、へんなふうに口をまげて、へんなこえでいうのです。 
「テレビのせんそうはね、うそっこのもありますけどね、いまうつっているのはほんとうのせんそうですよ。」      

(中略)      

「みなみのほうで、せんそうがおこっているんです。とりも、どうぶつも、めいわくしているんです。
 なにしろ、にんげんというものは、ほんとうにもう・・・。」 
いんこはくちばしをぎゅっとかみしめて、はねをさかだてました。

「せんそう、モモちゃんちにもくる?」
モモちゃんは、しんぱいそうにいいました。
「かもしれません。」 

「いや、うちへきたらいや。ねえ、どうしておとなたちはせんそうするの?
 せんそうなんてやめて、ご本をよんだり、絵をかいたりすればいいのに、ぞうさんとか、お花さんとか、それから、 およめさん。」
「ちぇっ、船かひこうきだい!」 
コウちゃんがいいました。 
「ぼく、ねこもいいとおもう。」 
プーはちいさいこえでつけたしました。

でも、モモちゃんは、もうほっぺたをまっかにして、目をきらきらさせて、おこったみたいにいいました。
「わかった、クレヨンないのよ、きっとー。だからせんそうするんだ。」


「テレビせんそうのところへつれていきなさい!」 
するとあたりはきいんとまっくらになり、つぎにはもえるようにあつくなり、ダダーン、バリバリ、というすごいおとがしました。
せんそうをしているところへきたのでした。 
まっくろに日やけしたへいたいさんが、たいほうにしがみついてうっています。
ダダーン、ダダーン。 
じめんがぐらぐらゆれます。
空にはひこうきが、ぐうんと、とんいきます。
「せんそう、やめえーー。」 
モモちゃんはさけびました。
でも、だあれもふりむきません。
「せんそう、やめえーー。」 
コウちゃんも、さけびました。
でも、やっぱり、へいたいさんたちは、目をひからせて、たいほうをうっています。 
ヒュー、バリバリバリ。 
ものすごいおとがして、ちかくにたいほうのたまがおっこちました。 
「こわあい。」 モモちゃんはコウちゃんにしがみつきました。
「ようし、こうなったらぼく、やっちゃうぞ。」 
コウちゃんは、がようしのたばをまるめると、そばにあったいほうにとびつきました。
そして、たまのかわりに、がようしをつめこみました。 
「せんそう、やめえーー。」 
ドドーン。  
がようしのたまは、空たかくとびあがり、まるでトランプのてじなのように、そらいちめんにひろがった、ひらひらおちてきました。そして、へいたいさんの手の中へ、ふわりとおちました。 
                 

(中略)                                      

モモちゃんが目をさましたとき、あたりは、もう、くらくなっていました。 
ママが電気をつけてくれました。
モモちゃんはすわって、まだゆめのようにいいました。 
「ママ、せんそうどうした?おしまいになった?」
「え?せんそう?せんそうねえ、はやくおしまいになってくれればいいのだけど・・・。」

ママは手をのばして、パチンとテレビをつけました。  
あっ、とモモちゃんはおもいました。
「せんそうしてるよ、まだしているよ、せんそうやめえっていったのに。」  
モモちゃんは、なみだをぽろぽろこぼしていいました。
「まあ、どうしたの、モモちゃんは。」
「せんそうやめてえっていったのにぃ、いったのにぃ、、クレヨンあげたのにぃ。」  
モモちゃんは、なきじゃくりました。
そして、ママにしっかりしがみついていいました。
「ねえ、せんそう、どこまでくるの? えきまでくるの? 
かどの、おかしやさんまでくるの? 
おうちまでくるの? 
モモちゃん、こわいよ。」

「きませんよ、あのせんそうはとおいところなの。
でももしそばまできたら、ママが、だめ! っておこるから、ね。」

「でも、どこかでしているんだよ、それなのに、だめ! ってママ、いわないの?はやくいわないと、みんなしんじゃうよう。」  
ママのひざで、モモちゃんは、いつまでもしゃくりあげていました。
モモちゃんが、もうじき、五つになるときのことでした。


モモちゃんとアカネちゃんの本シリーズ2 「モモちゃんとプー」より 抜粋 


参戦可能な憲法に変えるなんてとんでもないです。
日本人は自国の戦争被害の悲しさをもっとほかの国にお互いにですが、伝えるべきだと思います。
世界の国々の歴史の教科書が自国中心で、愛国主義的な記述をしている(過去の戦争を肯定している)と新聞で見ましたが、危険だと思えて仕方がありません。
人間は集団になると個人の責任ある判断ではなく、殺人も正義の行為としてしまいます。
それが戦争だと思います。
その小規模なものがいじめだと思います。

昨年には相撲部屋の後輩へのしごきが致死となったというニュースがありました。
他の力士たちは親方や兄弟子に逆らうと自分もそうされると反対できなかったのでしょうか?
いじめを集団でしているとエスカレートしてくるといいます。
心理学的にあるんだそうです。
そうやっている自分を肯定したくなるのでしょう。
それは本当は否定すべきだと気づいているからではないでしょうか?
特に日本人はみんなと同じが好きな人種らしいです。
「友達に誘われて万引きをした、」
「友達もしているからクスリ(麻薬)をやってみた。」とか・・・。
わが子にはそこで自分の考えを通せる人間でいて欲しいですね。
何の話からか長女に、私が高校時代にカトリックの学校だったので『コルベ神父』の映画を観た事を話したときがありました。
皆さんはご存知でしょうか?
コルベ神父様はユダヤ人でしたので、ナチスドイツの収容所に連行されていました。
そこである日、一室にいた数十人の中からドイツ兵が無差別で数人を選び、その人たちを独房で餓死させると言ったのです。選ばれた中の一人の男性が、自分には家族があるのでやめて欲しいと訴えたのです。
すると、ドイツ兵は「それでは、彼の身代わりに誰かを選ぶ。」と言います。
するとコルベ神父様は自ら名乗り出るのです。
そして、その通り独房で静かに亡くなったのです。
私はこの学校でキリスト教カトリックの教えに接しましたが,反抗期で、素直に受け入れることはなかなかできませんでした。
けれど、コルベ神父様のお話には感動を覚えました。
これこそ愛の精神だと感じました。

最近知ったのですが、コルベ神父様は生前九州のある協会に宣教師としていらしていた事があったそうです。
そこを訪ねた方がとても神聖な静かな場所で、彼の魂を感じたとプログに書いていました。
(『前世療法』の翻訳家の山川夫妻です。)

全世界が、敵の兵士でも看護をしたナイチンゲールのように、本当の正義・博愛心で満たされますように。
バレンタインのころ。
なな色シスターズに愛をこめて、したためます。
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