ひかりとしずく(虹の伝言)

勉強会や講演会、上映会のレポートなど主に載せています。

42才のノクターン

2009-06-01 | 季刊誌なな色メールより
「日本って結局はアメリカの真似をしてかっこをつけているんだ。」と二十歳の頃から私は日本が嫌いになり始めました。
そういう自分も高校の時にはサリンジャーやヴォネガットばかり読んでいました。

高校卒業前後、友人と英会話の練習にとよく京都の清水寺へ行っていました。
そこで知り合いペンフレンドになったアメリカ人青年の影響で日本文学を読んだり、日本傘や和物を買ったり和製のモダンさ、粋なところに心惹かれるようになっていました。
ペンフレンドの彼が読んだ日本文学(川端康成、谷崎潤一郎)についてはその女性的な感性が当時の私にはしっくりきませんでした。
それより『嵐が丘』や『風と共に去りぬ』が好みでした。
女流作家の作品だということもあるのでしょう。
男性が美化されかっこよく描かれますよね。(『大地の子』の陸一心しかり。)

松岡正剛さんの『17歳のための日本と世界の見方』を読みました。
日本の編集能力に優れている所も悪くないんだと思え、改めて日本の良さを認めることができるようになりました。
セイゴウ先生にとってその代表的なものとはたらこスパゲッティとのこと。うまい!
私はグラタンに味噌を隠し味で入れます。
お餅にチーズを乗せて焼いたのもggood tasteですよ!

同じ友人から借りた本『下流志向』『街場の教育論』も現代社会の問題のとらえ方と本当に大事なものとして書かれている事が、シュタイナーの思想と共通するところがあり驚きました。
孔子の六芸 『礼』・・シュタイナーの自然への畏怖の精神
 『楽』・・二つの音の間、過去と未来への拡がりに身をゆだねる豊かな時間意識
 『射』・・弓『御』・・馬 (武術) いかに自分の身体、道具を意識し効果的に使うか、馬(非自己)と一体となるコミュニケーション力。オイリュトミーがそれを補いそうですよね。
『書』『算』・・最後に来ます。生活するために必要なこと。
フォルメン描写はその芸術的印象をエーテル体へ影響させるべくあると思います。


“礼”の心が無くなったのが、日本中にクレーマーを増加させる原因となったのでしょう。
私が社会人になった頃、文句を言ったもん勝ちという傾向がもうありました。
損得勘定の強い大阪だけかと思っていました。
(沖縄出身の友人が「大阪の人は性格が悪い!」と驚いていました。)
それに人間の本当の価値なんて数値で測れるものではなく評価を表せないものですよね。
そもそも評価しようと考えるのが間違っているのでしょうね。
(我が家の長女も今週末の中学校での中間テストでの初めての順位公表にプレッシャーを感じているようです。
良い意味でプレッシャーになればいいのですが。)
 
さて、先日久しぶりにヴォネガットの本を読みました。
彼の人生最期のエッセイです。
文章は相変わらずブラックユーモア満載で面白いのですが、生死感など考え方が俗物的でがっかりしました。
(そんな彼も今頃は雲の上です。)

同じものに出会っても幼い頃や若いころとは感じ方など変わりますね。
私は女性で母になり育児を通して大分と考え方も変わったと思います。
以前から漠然と輪廻転生や魂の存在を信じていましたが、今は以前と比べ物にならないくらいスピリチュアルな世界のことが当たり前に感じています。
男性の中にも女性性の強い人やスピリチュアルな世界を理解している人も最近は多いと思います。
今私が素敵だなと思う男性は、ワイス博士(『前世療法』の著者)とモリー先生(『モリー先生との火曜日』)と、日野原重明先生です。
 
日野原先生はご高齢にもかかわらず、子供達に《いのちの授業》というものを全国で行い、また《新老人の会》という元気な高齢者の活動する場を作っているとのことです。
日野原先生曰く「命=時間」。
モモに出てきた 一人一人の“時間の花”は命のことでした。

実は私はここの所珍しく元気をなくしていました。
具体的な環境問題対策活動もできていないこと(職場に自作のパンフレットを置いていても効果が無いと感じる)。
ホメオパシー療法の素晴らしさを知っていくほどに、実際今の職場での西洋医学の抗アレルギー剤、抗生物質、副腎皮質ホルモン剤の乱用における治療の補助に幻滅していること。
シュタイナー教育を知った時と同じく理想と現実のギャップに焦燥感を断じ得ません。
そんな時、日野原先生の著書『いま伝えたい大切なこと-いのち・時・平和-』の中の次の詩を読んで元気付けられました。


天に大きな輪を描きなさい それはあなたが生きているうちに時間をまっとうすることはできないかもしれないけれども、その大きなビジョンの中のひとつの弧(ark)となりなさい。
        ロバート・ブラウニング(英国の宗教詩人 1812~1889年)

 
日野原先生は若い頃お体が弱くそのために戦場に行けず、おかげで戦死せずにすんだそうです。
そして、大学生時代に結核に罹りエリートコースから外れたものの、音楽の治療効果に気づけたこと、昇進話の教授職より義理があり自身も心からやりたかった聖路加国際病院長、看護大学学長となったことを、「一見マイナスと見える選択でも、実は自分のつぼみを大きくふくらませてくれた。
人生はわからないものだと思います。
と同時にどうせわからないのだから自分のやりたいことを優先させたほうがいい、と私は考えます。
読者のみなさんも、やりたいことがあったら、どうやったら実現できるのだろうとよく考えてみて下さい。」と書いています。
大人も憧れのモデル(師)を持つべきですね。
シュタイナー教育を家庭で取り入れることに関して、幼児期の環境として、物語や自然体験に力を入れるようにして来ました。
一昨年の春に、秋田市でのシュタイナーの勉強会「シュタイナーの楽光」が解散してから、独学をするべく大村さんのワーク(第一期)や、賢治の学校についての取り組みの本、子安さんの本などを購入していました。
ですが情けない事になかなか読む時間を作れずに今に至っています。

子安美知子さんと言えば、日本にシュタイナー教育の良さを知らしめた第一人者ですが、彼女も最初の三冊にドイツ、ミュンヘンのシュタイナー学校に子供を通わせた体験を書いた本でどんどん紹介し大騒ぎになったものの、それがただ表面上の特殊な学習のさせ方に集中し、せっかくドイツまで見学に来ても興味本位な日本人の態度に辛い思いもされたようです。
その数年後、何度も断っていたものの再度日本に向けてきちんと紹介したほうがいいと思い至ったというお話を書いたものが、『シュタイナー再発見の旅』です。これが一昨年に買ったという本です。
この本の中身は以前遊学舎から借りて観たテレビドキュメントを作った際の前後のお話です。
これを手に取ったのは実際本を買ってから半年以上も後でした。
去年の秋頃だったと思います。
私もシュタイナー教育から少し距離をおいていた自分の心境と重ね、懐かしいフミさんの同級生たちに逢って近況を語り合う場面や、シュタイナーを受けて成長した事について話すのを読みつい懐古心で涙ぐんでしまいました。
本書の中より子安さんがこれを抜きにしてシュタイナー教育を素晴らしいと思う判断をして欲しくないと書いていらっしゃる箇所を抜粋したいと思います。

((身体、心、精神))
人間は、身体の世界、心の世界、精神の世界、という三つの世界のなかに同時に生きています。
 
第一の身体の世界は、目に見える物質の世界です。
そこでは石や水、車やテーブルやパンなど、すべての物体と同じように私の体も目に見えます。
あとの二つの世界は目には見えません。
けれども両方とも在るのです。
 
はっきりさせなければいけないのは、第二の「心の世界」と第三の「精神の境」が違うものだということです。
どちらも目に見えないけれど、二つをいっしょくたにしないでください。

「心の世界」では私たちの感情が動きまわります。
うれしかったり、悲しかったり、怒ったり、ねたんだり---そういうことは、この第二の世界で行われています。
 
では第三の「精神の世界」では何が行われるのでしょう? 
私たちは、自分が怒ったりよろこんだりする「心の動き」とはかかわりのない次元で、さまざまなことがらの発生、消滅、経過などの事実を、事実そのままに見る---あるいは認識することをします。
それを行っている舞台が「精神の世界」なのです。
そのさい、認識したことがらを言語化したり論証したりする「頭脳」の力が伴うかどうかは問いません。
「頭脳」のはたらきはむしろ身体機構と関連になるからです。
ある客観的な真理を、どこかでぴたりとみてとっている「私」---そういう目に見えない核のようなものが、人間だれしものなかに存在するのです。
その見えない「私」のことを「自我」と呼んでおきましょう。
「精神の世界」は、自我が住んでいる、または自我が故郷にしている世界なのです。
 
シュタイナー教育の深みに入っていくためには、まず自分自身が、この三つの世界の住人であるという事実に、しばらくの時間をかけてでもなじんでおきましょう。
その上でやおら、人間が生まれることと死ぬこととの関連を、ここからつかんでいくことになります。
 
たとえば今こうして行きている私が、ある日死ぬ---その「死」とは、まずは私のからだが、物質に帰ることです。
「身体の世界」はすべて、学校の化学や物理で習ったような物質で成り立っているのですから。
その次に私の心が、第二の「心の世界」に帰ります。
「心の世界」も、目には見えないけれどもやはりさまざまな要素から成り立っています。
それで、私が生きていたあいだの心の生活からたずさえてきたあれこれの要素は、今ここでしばらく「心の世界」を遍歴するあいだに、そこの要素要素のなかに吸収されて、帰っていくのです。

身体という家を出て、心という衣服をぬいだ「私」=見えない自我は「精神の世界」に帰ります。
そしてここで、先ごろまで滞在した何十年かの「人生」を、じっくり振り返り、吟味します。
その総括のうえで、次回の人生の計画を立てます。
こんどはどんな親を選び、どんな身体にやどり、どんな課題を定めて地上に降りようか・・・と。
そしてその時期も選ぶのです。
ということは、私たちのだれもが、これまで何度も生まれ変わりをくりかえしてきたし、これからも何度も生まれ変わる、ということなのです。
障害者は、今回の人生を始めるにあたって、あえて不自由な身体や、自由に外に出にくい心を選んだのです。
そういう不自由な体や心をすみかにしたときの、その人生では、そうでない人生を選んだ場合にくらべて、自我の発展の度合いがずっと高くなるといわれています。
この点に、まさにいわゆる障害児に向けたシュタイナー教育の真髄があるのです。

日本は医療が発達しとても長生きのできる豊かな国となっています。ですが残念なことに、日野原先生もおっしゃっていますがその老後のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)そして、クオリティ・オブ・デスはどうでしょうか?とても質が良いとはいえないと思います。
経済的に恵まれていればいいと思いますか?
家族がケアの行き届いた老人施設に入れてくれれば、プクプクに太るまで経鼻カテーテルで胃に直接高カロリーの液体食を入れてもらえます。
 
今の日本の医療現場は、西洋医療で命を救う治療にかけてはとても発達したと思います。
今はまた別の諸問題(医師不足、救急患者のたらい回し等)があり、先進国と胸を晴れない状況でもありますが、それとは別の意味でも問題があると思います。

今まで私は患者さんにベストを尽くしていると考えていました。
ところがホメオパシー治療を知ってから、それはただ症状をなくそうとしているだけで、根本的な原因を無視しているとわかりました。
ただのごまかしです。
私はホメオパシーが日本にも普及すればいいと思っています。
ヨーロッパでは保険がきく、ホメオパスの薬局が普通の薬局と同じく町に立ち並んでいるとか。
ハーブを使った自然療法も盛んにあり、その一貫のように受け入れられているようです。

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