ひかりとしずく(虹の伝言)

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アウンサンスーチー女史のことば

2014-02-03 | 季刊誌なな色メールより
昨年の今頃、秋田駅前の映画館で公開された『The Lady』を連日の大雪と子どもの冬休みの行事などで見逃した私はアウン・サン・スーチー女史の書籍を購入したのでした。彼女の冷静な態度と周囲の人を思いやる優しさとそして文章表現の素晴らしさに感動を覚えました。

映画はDVDを借りやっと観ました。離れ離れになったイギリスの家族とは文通すらも妨害されますがずっと心を寄せ合っています。病魔に苦しみながらもそれを隠して出来る限りの応援をする夫。母親を恋しがるまだ思春期の次男の姿は切なかったです。それでも、彼女は父の意思を受け継ぎ、祖国の家族たち(民衆)のために尽くすのです。感動しました。彼女の素晴らしい文章を一部紹介します。

増補復刻版 『ビルマからの手紙1995~1996』
 
ビルマには四季がなく、あるのは暑季、雨季、涼季という三つだけ、と一般に考えられている。春という季節は、大部分の人の知るところではない。なるほど比較的気温の低い国境沿いの地帯には、春のように晴れて心地よい天候の続く時期があるが、われわれはこれを初夏と呼んでいる。また日本人ならまず疑いもなく秋と弁別するような季節も、ビルマにはない。ただ、国教沿いの落葉樹がある地域では、「もみじ」のような紅葉が涼季のはじまりの何週間かを明るく染める。
 
ビルマ人の行動を何気なく観察するだけでは、私たちは季節の移り変わりにはとくに敏感でないかのように見えるだろう。

(中略)
 
しかし実際には、ビルマ人は、一年を通じて身の周りの自然で起きる細かな変化を敏感にとらえている。古典の伝統の中では、私たちは六つの季節を認識していたし、太陽暦の十二の月を、あたかもそれぞれの月が別々の季節であるかのように表現する詩のジャンルもある。
 
十二月は、おおざっぱにいうとナッドー月に重なる。この月は仏教がビルマに根づく前の時代には、ヒンズー教で富を司る象の頭を持った神格、ガネーシャ神を拝む時期だった。古典史の伝統では、ナッドーは、大地が霞と冷たく銀色に光る露につつまれ、胸は遠く離れた愛する人への思慕でいっぱいになる月である。それはダズィン蘭(豆蔦蘭)の咲く季節でもある。この蘭はえも言われれぬ美しさをしたちっちゃな花で、羊皮紙色の花びらを黄金色の雄しべが彩り透けるような緑の弧状の茎から垂れ下がっている。ビルマ人にとって、ダズィンは格別にロマンチックで繊細で、育てるのが難しい花だ。その優雅な美しさは、この花が咲く季節の肌を刺す冷気のなかで一際映える。
 
ナッドー月は、ヘマンタ、すなわち冬の季節の後半を成している。それはビルマで最もうるわしく、最も郷愁を感じさせる月である。空は磁器のごとく明るく淡い空色で、地平線に沿って、アヒルの卵のようなかすかな青色に縁取られている。ラングーンでは最も寒い日でも、京都の桜の花が咲くころの晴れの日ほども寒くない。しかしビルマ人にとっては、これでも実に寒い。言い伝えによればヘマンタの季節には、肉、ミルク、バター、ハチミツや乾燥ショウガといった、栄養に富む「熱い」食べ物をとるのが望ましいとされる。私にとって冬は、家族がいつも使っていたチン製の毛布の上に重ねがけをするようになる時に始まる。

(中略)
 
夜ベッドに入るたびに、ビルマ全土の良心の囚人やその他の獄中につながれた人々のことを思わずにいられなくなって、これで八回目の冬になる。蚊帳の中、すてきなマットレスの上に横になり、毛布の繭にくるまれて温まるとき、私は、私の政治活動の仲間の多くが、吹きさらしの独房のなかで、コンクリート床特有の不快な冷気がにじみ出てくる薄いマットの上に横になっていることを思い出さざるを得ない。・・・

(後略)



女史は政治に真正面から立ち向かいながら、ユーモアとウィットを失わず、世界に手紙を書き続けたのです。   
 


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