風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
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五月雨を 松尾芭蕉(比歌句 41 右)

2018年06月04日 | 和歌

五月雨を集めて早し最上川 松尾芭蕉(まつお ばしょう)

 

『奥の細道』によると

<最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。爰に古き俳諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、 芦角一声の心をやはらげ、此道にさぐりあしゝて、新古ふた道にふみまよふといへども、みちしるべする人しなければと、わりなき一巻残しぬ。このたびの風流、爰に至れり。

最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをや、いな船といふならし。白糸の滝は青葉の隙々に落て、仙人堂、岸に臨て立。水みなぎつて舟あやうし 。>

芭蕉dbより

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno24.htm

 

この旅の風流はここに至れりと言っているのだから、奥の細道の旅の目的は、この最上川ライン下りだったということだろうか。

ライン下りに適した日和を待って乗船したが、難所では水がみなぎり溢れて、舟が転覆しそうになったという。

芭蕉にとって「風流」というものは、ただの花鳥諷詠ではないということだ。身を危険に晒してまで勇壮な自然を観察し、風流を極めた先人の跡を尋ねている。そうすると、風流人は人生のアスリートなのではないかと思えて来る。

そこまでの覚悟はできないまでも、せめて一度は最上川のライン下りぐらいはしてみたいと思う。(アスリートのファンの心境です。)

ついでにですが・・・

この句で良く取り上げられる<集めて早し>と<集めて涼し>の違いについてだが、これは、発句には、二種類あることを示している。

連歌、連句の発句と、句を独立して鑑賞する発句(後の俳句)。

<涼し>は、挨拶だと『去来抄』に書かれている。