流れゆく大根の葉の早さかな 高浜虚子(たかはま きょし)
山本健吉は、この句をクローズアップ手法だと説明されていた。確かにそうなのかもしれないが、私は心惹かれなかった。
ある日のこと、<五月雨を集めて早し最上川>の隣に、この句を並べてみた。
芭蕉の句の“雅”に対し、虚子の句は“俳”になっていると感じた。
句を並べることによって、句の面白さが引き出されたのだ。私がこの比歌句を書いてみようと思ったきっかけでもある。
流れゆく大根の葉の早さかな 高浜虚子(たかはま きょし)
山本健吉は、この句をクローズアップ手法だと説明されていた。確かにそうなのかもしれないが、私は心惹かれなかった。
ある日のこと、<五月雨を集めて早し最上川>の隣に、この句を並べてみた。
芭蕉の句の“雅”に対し、虚子の句は“俳”になっていると感じた。
句を並べることによって、句の面白さが引き出されたのだ。私がこの比歌句を書いてみようと思ったきっかけでもある。