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ネット坐禅会・その20・・・曹洞宗の坐禅・帰家穏坐

ここまで曹洞宗の坐禅の特徴について述べてきました。釈迦が坐禅によって悟り、祖師方に受け継がれ、仏教を学ぶ正門としてきたこと。人は、自らの中に仏の可能性を備えていると思えること。しかし、仏としての行いを実践しない限りは、現れては来ない。そのためには、自我の思い計らいを離れ、本来の自己を実現するための坐禅が大切であること。 . . . 本文を読む
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ネット坐禅会・その19・・・曹洞宗の坐禅・身心脱落

今生きているリアルな現在こそ、唯一無二のライブ、生放送の生きている瞬間瞬間です。そこを仏の実現として生きるのが、「修証一如」の禅の精神ですが、どのように過ごして行けば良いのでしょうか。 . . . 本文を読む
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ネット坐禅会・その18・・・曹洞宗の坐禅・修証一如

本来仏様であるはずなのに、苦悩は多く、争いは尽きず、悪知恵はどこまでも際限がありません。コロナの脅威も深刻です。いつ仏はやってくるのでしょうか。この現実の矛盾の中にこそ、坐禅の重要性があると、曹洞禅は展開します。 . . . 本文を読む
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ネット坐禅会・その17・・・曹洞宗の坐禅・仏性

只管打坐の坐禅の背景には、もともと自分の中に素晴らしさがあるということが前提に考えられています。迷いのもとは、むしろ自分自身による余計な思慮分別にあり、それを排除する行の大切さを求め、その行いに生きるという精神につながっています。 . . . 本文を読む
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ネット坐禅会・その16・・・曹洞宗の坐禅・釈迦の悟り

ここからは、曹洞宗の立場からの禅の精神、考え方、現代的な意味を発信したいと思います。 . . . 本文を読む
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ネット坐禅会・その15・・・坐禅の歴史・日本の禅

インドの仏教が、盛んに高度な教理を追求し、中国の仏教も沢山の経典が翻訳され、達磨大師が禅を伝えた頃、日本に高度な仏教がいきなり伝わり、カルチャーショックのような衝撃とともに、飛鳥、奈良、平安の先人たちは、教理の発達順に関係なく、優れた教理を受容していきました。禅についても平安時代末期からは、すでに広がりをみせていたようです。 . . . 本文を読む
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ネット坐禅会・その14・・・坐禅の歴史・中国の禅

中国に渡った仏教は、インドで練られた様々な解釈による教義内容が、時間経過や内容を問わずにもたらされたために、学問としての体系化が為され、やがて宗派が形成されていきます。そんな理論的な教えから、実践的な教えが望まれる形で広まったのが、禅や浄土や密教です。特に禅宗は、達磨大師によってもたらされ、全土に広がりました。 . . . 本文を読む
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ネット坐禅会・その13・・・坐禅の歴史・インドの禅

しばらく、禅の生活スタイルについて考えてみたいと思います。そもそも坐禅の起源は何処にあるのか?存在意義はどこにあるのか調べてみたいと思います。 . . . 本文を読む
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ネットワーク坐禅会・その11…心を守る坐禅・調心

3調の残りの調心についてしるします。 . . . 本文を読む
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ネットワーク坐禅会・その10…心を守る坐禅・調息

コロナウィルスによる心への感染防止の特効薬とも言える「禅」の調息について考えてみたいと思います。 . . . 本文を読む
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ネットワーク坐禅会・その9…心を守る坐禅・調身

コロナウィルス感染が心配されますか、その心配に付随して、自粛生活や収入の減少、仕事の破綻による自らの心、家族間の心の行き違い、心の感染拡大が心配されます。コロナウィルスには決め手となる特効薬やワクチンは開発されていませんが、心については、特効薬があります。 . . . 本文を読む
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ネットワーク坐禅会・その8…3密プラス・同事行

ステイ・ホーム週間の正念場を迎えます。3密は当たり前、さらにこの上に、このブログで提唱しているプラスの「心の密」が実践出来るかが問われています。 . . . 本文を読む
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ネットワーク坐禅会・その7…つながっている命・縁起

 日本の現代社会は、核家族と呼ばれた時代は過ぎ、子育てが済むと子は独立し夫婦二人の世帯になる。そのどちらかが亡くなったり、施設に入ると独居となり、いわゆる核個人の個人化が進む社会と言えます。しかし、一人で生きられる社会だと言っても、一人で生きていける訳ではありません。 . . . 本文を読む
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ネットワーク坐禅会・その6…コロナ問題と経済・仏教経済学に学ぶ

コロナにより緊急事態宣言の発令により、営業や外出が制限され、経済の混乱が心配されます。マルクス理論による計画経済に限界が生じ、世界的に自由、資本主義経済の流れになっていますが、目先の便利さ、豊かさ、自分中心の利益優先による弊害は、自らの破綻をも招く危険があります。 . . . 本文を読む
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ネットワーク坐禅会・その5…何があっても可笑しくない・無我

禅は、「真理をそのままに観る実践行」と言えます。真理とは宇宙、この世の真実、今ある現実そのもの。そして、その実態は常に変化し決まった形が無い。逆に言いば、どんなふうにも変わり得る。つまり何があっても可笑しくないのです。その現実に向き合うことをZENと呼ぶのかも知れません。 . . . 本文を読む
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