慶長7年(1602)に中山道の制定により宿場が成立しました。板橋から28番目の宿場で、真田氏の給人(きゅうにん:領地支配を任せれた人)である永井氏の本陣・問屋、羽田氏と翠川氏の脇本陣2軒が中核となっていました。寛永7年(1630)には、旅籠が28軒と比較的大きな宿場でした。ここから、京都方向への隣の宿場、下諏訪宿までは5里12町(約22km)、また、途中の和田峠は標高約1,600mと和田宿との標高 . . . 本文を読む
慶長七年(1602)の中山道制定にともない、真田氏の配下で、本陣・問屋の石合氏、問屋の小林氏が中核となり、当初は現在の位置より西下の依田川沿いに宿場が設けられた。しかし、寛永八年(1631)の大洪水により宿場が流失したため、現在地に移り、東西方向に「竪町」、後に宿場が賑わうにつれ、南北方向に「横町」が形成されて、特異なL字型の町並みとなった。寛政元年(1789)以降、40軒程度の旅籠があり、中山道 . . . 本文を読む