初任研の校内指導員の役を賜っている。
初々しい先生とともに、一年間研修をしていく。
彼の国語の授業を参観した。
「春の歌」の授業に取り組んだ。
彼は、忙しい中、しっかり指導案を用意してあった。
えらいなあ。
春の歌 草野 心平
かえるは冬のあいだは土の中にいて
春になると地上に出てきます。
そのはじめての日のうた。
ほっ まぶしいな。
ほっ うれしいな。
みずは つるつる。
かぜは そよそよ。
ケルルン クック。
ああいいにおいだ。
ケルルン クック。
ほっ いぬのふぐりがさいている。
ほっ おおきなくもがうごいてくる。
ケルルン クック。
ケルルン クック。
授業の後、この授業について
新採の先生と、拠点校指導員さんと
三人で研修を行う。
これが、私にとっても勉強になる。
拠点校指導員さんのお話がいいのだ。
(拠点校指導員さんはもと大校長)
話し合っていると、今まで気にもしていなかったことが
見えてくる。
例えば、最初の
かえるは冬のあいだは土の中にいて春になると地上に出てきます。そのはじめての日のうた。
の部分が、おかしいということに気付いた。
普通、詩にこんな前置きはない。
前置きがなくても、短い言葉の中から、作者の目にした情景や、作者の心情をさぐっていくのが、詩の醍醐味だ。
それなのに、なぜ前置きがあるのか?
しかも、この前置きには、「、(読点)」がない。なんだか、謎めいている。詩人は、句読点にも神経を使う。(普通は詩に句点は使わないことが多い。)
ということは、この詩の解釈のかなりの部分のヒントはこの前置きの中に入っているはずなのだ。
調べてみよう。
かえる=両棲類の一種。
よく跳ね、よく泳ぐ。
種類は たくさん有り、鳴くものが多い。
冬= 秋の次に来る、寒い季節。
草木が枯れて、雪が降る、12・1・2の三か月。
あいだ=一続きの時間・空間。
土= 岩石が徹底的に砕かれて、直接「土」を形づくる物。土壌。
中= 何かの仕切りで取り囲まれた所。
いる= 〔もと、(動かずに、じっとその所に)すわる意〕
〔人・動物が〕ある時間その場所を占める状態が認められる。
春= 寒い冬の後、暑い夏の前の、気候の良い季節。
雪・氷が溶け、草木が芽を出し、
花を開く、3・4・5の三か月。
なる= 時間が経過して、ある時期・時刻、天候などに移る。
地上= 人間がそこに住み、また動植物がそこで生きる
舞台としての地面、及び それより上の空間。
出る= 〈どこ・なにカラどこ・なにニ―/どこ・なにヲ―〉
境や限界を越えて外へ行く。
外=囲みや△仕切り(区切り)に限定されない、広い部分。
その= 話し手から見て、聞き手の方に より近いと意識される物事を指す。
直前に述べた物事を指す。
はじめて=ある経験を経てようやくその状態になるさま。
日= 特定の(行事をする)日。
の= あとに来る言葉の内容や状態・性質などについて限定を加えることを表わす。
うた= 感情の起伏を伴いながら、口を衝(ツ)いて出て来る、
リズムやメロディーを持つ言葉。
これを、つなぎ合わせてみる。
よく跳ね、よく泳ぐはずのかえるは、
草木が枯れて雪が降る、
寒い季節の三か月の時間は
岩石が徹底的に砕かれた土壌で取り囲まれた所に
動かずにじっとその所にすわっている。
時間が経過して、暑い夏の前の気候の良い季節になると、
生きる舞台としての囲まれていない広い空間である地上へでていく。
このような経験を経てようやく地上に出た特定の日限定で、
かえるが発する
感情の起伏を伴いながら、
口を衝(ツ)いて出て来る、リズムやメロディーを持つ言葉。
..................
となる。
極端かもしれないが、
これが「異化」なのだと思う。
詩の前にある、数行の前置き。
読めば意味は分かる。
ふ~ん、そういう詩なのねと分かる。
しかし、
それでも、
通り過ぎるのではなく、一応調べてみるのだ。
わかり切ったはずの言葉も、調べてみると
驚きや発見がある。
蛙は、3ヶ月冷たい無機質である鉱物に囲まれていたのだ。
地底の死(仮眠)の世界から、生きる舞台に出ていく日なのだ。
晴れの、特定の日のことなのだ。
たった数行であっても
こうして、切って言葉を調べてみる。
この作業に、かなりの時間が掛かるだろう。
しかし、この作業の時間を経ることで
その後の、読みが格段に変わるはずである。
このような作業をしないで読む
「ほっ」
と、
詳しく言葉を調べた後の
「ほっ」
は、
全く違う読みになるはずである。
「ほっ」
の中の「っ」の意味が分かるからである。
おそらく、身の震うような感激に浸る時間なのだ。
このような作業をしないで読む
「ケルルン クック。」
と、
詳しく言葉を調べた後の
「ケルルン クック。」
は、
全く違う読みになるはずである。
「ケルルン クック。」
の中の「 」や「ッ」のカエルの気持ちが分かるからである。
おのずとリズムやメロディーも付けられるであろう。
また、読点のないこの前置きは、
読点がない以上
当然一息に読むことが期待されている。
一気に、小さい声でないと読めないのではないのだろうか?
そして、
「ほっ」という張りのある声がある。
強弱の対比になるのではないのかと思った。
こんなちょっとしたところでも
あれこれ考えてみると
1時間の授業が組み立てられそうである。
複数で教材を読むことは、有意義だと思う。
ところで、なぜいぬのふぐりなのだろう?
いぬのふぐり=オオイヌノフグリ
ヨーロッパ原産の帰化植物。路傍や畑の畦道などに見られる雑草。
早春にコバルトブルーの花をつける。
花言葉は、「信頼」「神聖」「清らか」「忠実」
2月11日(建国記念の日)の誕生花
立春早々の早春に、田の畦に一般的にあるからだろうか?
蜘蛛は、その数少ない花の蜜に寄ってくる、虫を狙ってるのだろうか?
カエルは、その蜘蛛を...
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