4年生が、今から体育の授業を体育館で行う。
教室の前に並ぶ。担任は、この「並ぶ」という活動に授業の勝負をかける。
「○○さん、行動が素早いね。」
「○○さん、まっすぐ並べたね。」
「○○さん、背筋が伸びてるね。」
「○○さん、静かに待ててえらいね。」
「○○さん、みんなが待ってます。今何をしたらよいか考えなさい。」
静かに整然と列ができ、それまでのざわざわしていた空気が引き締まる。
歩き出す。
すでに、この時点で今日の授業の成否が見える。
にやけていない。しかし、固すぎない。素直で新鮮な顔つきで行進を始める。
「今日は、この前できなかったことを完成するぞ。」
「今日は、どんな新しいことが待ってるのかな?」
顔をあげ、まっすぐ前を見る瞳からは、その心の内が見えるようだ。
試しに、それぞれの見ている方向をベクトルで示してみる。
みな同じ方向をまっすぐに見ている。
こんなふうに、先生と子ども達が、いまから行う活動に対して、「快い緊張感」をもって気持ちを合わせようとしていれば、その後の1時間も充実したものになるに決まっている。
日々の授業がそうあるから、今日もそういう充実した授業が行われるのだろうと感じ、教師と心を合わせようとシンクロするのだと思う。
この後の授業は見れなかったが、おそらく解放と集中のバランスのとれた、良い授業になったのではないかと思う。