長旅のまえに

好きなだけ、存分に、思ったまま、怒涛のように書こう

ストーンウォール

2023-12-25 12:44:45 | 日記
2015年の作品だ。
ついこの間の新しい作品と思った。
私には8年前は「この間」の感覚だか若者なら違うだろう。
感覚は理屈ではないから。

ショーウィンドーのガラスを叩き壊して帽子を取り出し被るシーンがあった。
ショーウィンドーを壊す場面など映画の中で何回見たかわからない。
なのに突然、私は気がついた。

どこの国でいつの時代にどんな身分に生まれようも私は破天荒な人間にはなれないと。
教育も躾も無関係だ。
破天荒さは天性。
全ての芸術、あるいは戦いでもいい。
普通の人間は普通なのだ。
別に破天荒な生き方がしたいわけではない。

なんでだろう?
この映画で自分を知った気がしたのだ。

思い出したことも一つある。
娘の友人がニューヨークのゲイパレードに行きたいから一緒に行ってと頼んできた。
「自分の主義主張は自分でしろ。
私はアメリカに行くならディズニーランドにお金を使いたいんだ。
一人で参加する勇気がないなら主張するな」
娘らしい答えだ。
別にゲイにもパレードにも反対なわけではない。
ディズニーランドが大好きなだけ。

私なら?
歩きたくない。
動きたくない。
これは主義主張と言えるのだろうか。



百均のサンタさん

2023-12-25 10:30:06 | 日記
去年、百均で購入したサンタさん。
少しはクリスマスらしくと撮してみた。
和菓子のクリスマスバージョンを何度か食べたしクリスチャンでもないしで今年のクリスマスはおしまい。

いろんなクリスマスがあったと思う。
もみの木を大きな植木鉢に移して応接間で飾り付けた。
愛情に飢えて育った父の幸せ家庭ごっこであった。
逆に母は家族から溺愛さて育ち結婚後の自分の不幸を憐れんで暮らしていた。
私は恵まれた子供時代のクリスマスを過ごしたのだろう。
楽しかったという記憶は一切ないが。
感謝のできない歪んだ性格なのかもしれない。

飢えたこともないし戦争も知らない。
有り難いことだと思う。
両親の介護も終わった。
夫の両親の介護はしなくてすんだ。
同じ屋根の下に暮らしていながら家族の顔は見ていない。
会話も交わしていないしラインの返事もないが既読はついている。

四の五の言ってないで今夜の食事を作らなきゃ。
冷蔵庫に入れておけばいつのまにか消えてる。
野菜は残っていたりするけど。
世の中が幸せそうに見えるときふっと心が挫けそうになる。
でも平気。
「強がり」って結構、役に立つ。




ベークドビーンズ

2023-12-25 06:01:18 | 日記
クリスマスである。
ベークドビーンズの缶詰めをネットで頼んだ。

西部の男たちが焚き火を囲んでベークドビーンズの缶詰めを温めて食べているクリスマスである。
ウィスキーを飲み、ハーモニカをふく。
肉は焚き火で炙られ男たちはかぶりつく。
そんなクリスマスだ。
誰も賛美歌は歌わない。
でもときおり讃美歌のメロディがハーモニカから流れるがすぐに別の曲になるのだ。

何十年も昔、東京12チャンネルは土曜日の午後にいつも西部劇を流していた。
有名なものではない。
今にして思えばあの頃の東京12チャンネルは資金が不足していたのだろう。

同じような西部劇を毎週見ていた。
飽きたということもない。
多様化など誰も考えたりしない時代であったしましてや私は子供だったから。

そんな西部劇のなかのシーンとこのベークドビーンズとクリスマスがなぜか今年は私の中で一つになった。
三十路の息子とは今さらにクリスマスパーティーもするわけでもないし母の命日でもある。
故意に選びとるわけではないのだが何故か母らしい選択だと思ってしまう。
たぶん、ベークドビーンズは異国の味だろう。当然だ。
食べたことがないので初挑戦する。

私の好奇心と挑戦をサンタさんは誉めてくれるだろうか?