Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

戦争

2005-08-12 23:59:35 | 農村環境
 今日の長野県地方新聞である信濃毎日新聞に、憲法県民調査の結果が掲載されていた。調査方法は、20歳以上の男女1000人を無作為抽出で郵送で行なったものという。562人が回答というから、56%の回答ということになる。無作為だから回答の無いものはいいろ理由もあるのだろうが、いわゆる「わからない」「回答の必要もない」というものであれば、無関心であるということになる。質問にあった「憲法9条を見直す必要をどう思うか」の回答は、「必要がある」33%、「必要がない」46%というもので、このうち、必要があると答えた理由に、「自衛権と戦力の保持」と答えた人が50%あった。いっぽうで、「自衛隊の役割や補強に歯止めとなる規定を設けるべきだ」と答えた人も59%と高く、見直し=自衛力の保持というわけではないことがわかる。しかし、いずれにしても、戦後60年ということで、テレビでさまざまな企画ものが放映されるが、不戦の誓いは低下していることはいうまでもない。
 また、日本の社会のあり方について、「実力や成果が報われる競争的社会」について望ましいと答えた人が33%、望ましくないと答えた人が29%、「国家や企業の安定を重んじる規律的社会」を望ましいと答えた人が41%、望ましくないと答えた人が21%、「愛国心を憲法や教育の場で育てる社会」を望ましいと答えた人が36%、望ましくないと答えた人が23%であった。なんとも奥の深い内容となっているが、全体的に社会主義的な雰囲気がそこにはある。国家のために何をすべきか、そんな部分をこれまでの戦後ではあまり口にしてこなかったことは確かである。それに触れるだけでかつての「戦争」をイメージさせるからである。しかし、いっぽうで、さまざまな世界の混乱を目の当たりにしながら、国が安定しないといざというときに大変なことになる、という不安な要素が国民が認識するようになったからだろう。しかしである。このごろ思うのは、かつて常識であったことが、そうではない動きや、言動を聞くことが多い。自衛力のために憲法を改正する、そんなイメージは、わたしの成長のなかでは身近であまり聞くことはなかった。意識が高いといえばそういうことになるが、いっぽうで人がどうであれ、身を守るという意識が常になりつつある。日常の暮らしがそうだからこそ、普段ではない世界に対しても、同様のイメージをもつ。おそらく、戦争はしたくない、といえば、それは逃げてはないか、と指摘されるのだろう。にもかかわらず、人々は、常の暮らしからさまざまな部分で逃げている。世代が同居すればよいのに、わざわざ別居する。悪事を指摘すればよいのに見ぬふりをする。自ら解決すればよい喧嘩を、解決できずに長引かせる。果てには「出るところに出る」と脅す。
 いずれこの国は、子どもたちに戦争に行け、ということになるだろう。いやなるかもしれない。世界も、日本も映画のような英雄が現れないものか。
コメント    この記事についてブログを書く
« 土手の草刈 | トップ |  »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

農村環境」カテゴリの最新記事