Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

お国のやったお粗末な仕事 前編

2025-02-20 23:30:43 | 農村環境

 もう90歳になられるという以前仕事でお世話になった方に先般祝賀の席で久しぶりにお会いした際にも口にされていたことに、「水」の話があった。まさに昨日も触れた「河川法第23条の問題」である。「水」に関してはお国が管理していて、使う側は頭を下げなければいただけない。そうした際にひどいことをかつてはよく言われたもので、なぜそこまで権限があるのか、と思っている人たちは多い。いわゆる国土交通省が「水」を握っていて、どうにもならないことが多い。

 それはともかくとして、お国のやることにはずいぶんな例がある。そしてお国が「やってくれる」となれば、ありがたいと思う人たちも多く、その実態をあまり知らないことも多々ある。生家の近くに立派な道路ができている。出来上がってもう10年以上経つのかもしれないが、まだ真新しく見える。国の直轄で造ってくれた道路だが、よく見ると「なんじゃこれ」みたいな実態が見えたりするのだが、おそらく地元の人たちでそれを認識している人は少ないだろう。

 わたしの生業は、あまり人には言えないのだが「設計」である。それもダムを造るとか、こうした道路を造る、橋を造る、といった巨大なモノに比べたらゴミみたいな構造物の設計だから、そうした世界の人たちから見ればとても「設計」などというレベルのものではない。だから同業分野の方たちには「設計をしている」とは言えても、一般社会ではあまりその生業を口にできないほど〝ゴミ〟の世界である。したがって巨大構造物を造っている人たちにしてみれば、そうした構造物はゴミに違いない。

 ということで、前述の生家の近くのお国が造った道路。道路を造る際におそらく「邪魔」だと思っているものに農業用水路がある。側溝は道路側の構造物だが、既存にあった農業用水路は地元のものだ。そうした農業用水路はゴミのようなものだから、とりあえず付け替えるとしても「水が流れれば良い」程度に考えているの〝かも〟しれない。前述のように見た感じはまだ新しく見えるのだが、よーく底を見ると「何じゃこれ」なのだ。底が洗われてゴツゴツしている。ようは摩耗して骨材が現れてしまっている。まだ10年余というモノなのに、これはどうしたことか。お国が発注するから「設計」も地元ではなく例えば名古屋とか東京の業者がしたり、あるいは地元の業者だとしてもこんなゴミにはろくに意識していない業者が設計するから、このあたりで製造していない製品を作図する。設計図にそうしたモノが描いてあるから、施工業者もお国の役人も設計通りの製品を使おうとする。あるいはお国の役人が天下っているから、そうした製品を設計に反映している、ということもあるかもしれない。いずれにしても、この辺りでは製造されていないような製品だから、都市圏から持ってきたりする。長野県内は凍上するからそうした製品を持ってくるともろい。もしかしたら一冬でこの有様になったかもしれない。たいした水量が流れているわけでもないし、流速があるわけでもないのに、この有様なのだ。そしてこの時世だから、あえてまだ新しい水路をのぞき込んで、水流の先まで目を向ける人などほぼいない。だからこんなに傷んでいるとは気がつかないのだ。

続く


コメント    この記事についてブログを書く
« 承前〝長野県における河川法... | トップ |   
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

農村環境」カテゴリの最新記事