根拠があるわけではない、あくまでも印象である。しかし、そこから問題意識は高まっていくもの、と思うので、印象から始まるテーマは、わたしには多い。結局、それを証明することはできないことがほとんどだが…。
ここ数日自宅から現場に向かって、そのまま直帰するという日が多かった。自宅近辺の現場だったからだ。先日も記したが、直行直帰ともなると、現場で会う人と接するだけで、ほかには家族と会話する程度。現場でも人と会わなければ、まったく他人と接することはない。こういう仕事ばかりではないので、これを続けることはできないが、同様の仕事はこの後もたくさんある。したがって、新型コロナウイルス対策という面では、それを埋め合わせる仕事があることは、わたしの仕事の特徴だろうか。
先ごろも記したように、現場をうろうろしていて、声を掛けられることは昔に比べると「少なくなった」と思う。これもまた印象だけでデータでは示せないが、昔は声を掛けられることは明らかに多かった。人が近づいてくる雰囲気があると「来るな」と思うのは正直なところだ。なぜかと言えば、「何を言われるか解らない」ことと、話しかけられることで、話を切ることができず、話し込んでしまい時間が経過してしまうことが嫌だからだ。ようは「これくらい」がノルマと思っているのに果たせなくなることが後々に影響する。もちろん余裕があれば考え方は違ってくるが、今は業務量が多い。そもそも人と会話することによってヒントをたくさんもらっているから、わたし的には声を掛けてもらい、業務とは無関係な世間話をすることは嫌いではない。時によってはこちらから意図的に長話をすることもある。時間的に余裕があれば、である。ノルマが頭にある場合は、どうしても声を掛けられたくない。いっぽうで必要な情報を得ようと、こちらから声を掛けることもあるが、長話になってしまうのも嫌だから、声を掛けないようにしているのも事実。よほどのことがなければこちらから声を掛けることはない。
6日には、3人と会話をしたと記したが、一昨日は、会話らしい会話はほぼなかった。ところが、昨日は人数はそれほど多くはないが、長話となってしまった例が続いた。もちろん最初は「何をしとるんな」で始まる。仕事の内容を話すと「そーかな」で終わるケースと、それまでの施設の経緯や苦労話をしてくれるケース、おおよそこの2例に分けられる。後者の場合長さは、その長さはさまざまで、とりわけ昨日はそこから話が長々と続いた。夕方に近づくほどに「間に合わない」と焦ったわけだ。焦っても声を掛けられる方が続出。「今日で現場を終わらせる」と考えていたので、暗くなるまで続けたわけである。
なぜこの日は長話が多くなったのか、それまでとの違いをあげれば次の点である。これまでは水田中心地帯を歩いていた。しかし、昨日は果樹中心地帯。もともとは水田地帯であったが、戦後梨栽培が盛んになった時代に、水田を果樹に転換した地帯なのである。したがって点々と水田が混在したりする。しかし、基本的にはそのほとんどが果樹園である。この時期ともなると、果樹園に出て働いている人が多い。ようは水田にはまだ早いが、果樹の作業はすでに盛んなのである。したがって「野に出ている人が多い」のも理由であるし、専業で農業をしている人たちには、より空間に他所から入ってくる人たちに興味を示す。あるいは専業農業者には、「心の余裕」のようなものがあるのかもしれない。あるいは「昔の農村」スタイルが今もって残っている、ということなのかもしれない。明らかにこの空間は「違う」わけである。
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