Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

口惜しいこと

2025-02-25 23:56:49 | ひとから学ぶ

 人はそれぞれであることは言うまでもない。昔に比べるとより多様であるというのは、世の中が画一的な物言いをしなくなったことにもあるだろう。ちょっとした昔話をしても、場合によってはパワハラだと言われかねないし、とくに仕事の空間で仕事を教えるというのは難しい時代になった。いっぽうでそれぞれの技量に負うところが大きくなって、知識格差が大きくなっているのかもしれない。そもそもペーパーレス時代とそうでない時代を生きてきた者にとって、理解不能なことは多い。「印刷」して読もうとするわたしなどは、ペーパーレスにはとても追いついていけない。デジタルとしたら、いかに順番を認識したらよいものか。紙であれば順に重ねることができるが、データで管理するとすればどう管理するべきか、その時に「これでいこう」と思ってもしばらく後にそのまとめ方を変えようとしたら容易ではない。加えれば紙であれば捨てるのも並んでいる中からチョイスすれば良いだけのこと。また順番を変えるのも容易だし、このご時世であれば、紙をデータ化することも容易だ。データだけではちょっとイメージできない。机の上の書類を整理できないで積み重ねているような者にとっては、データなど絶対管理不可能だ。そしてその中から必要なデータを簡単に取り出せるかどうか、年代者には容易ではない。

 既に一線をから離脱したものが言うことでは「ないのだが」、と思いながらも、どうしても口にしたくなることも多い。「これで良いの」と問えば、即答できないことが現役世代には多い。いや答えられないことが多い背景は、紙で大事なものを蓄積していないからだと思う。したがって若い世代でもわかっている人は、ちゃんと紙で管理している。それはともかくとして、とりわけ人とひととの関係を冷静に捉えられるかどうかという点については、周囲への観察眼はもちろんだが、こころに余裕がないと見えないことが多い。それは結果として仕事の成果にも表れる。ちょっとしたことであっても、そうしたちょっとしたことに気がつけない人は、人の信頼を受け取ることができなくなってしまう。そしてそれを口で諭しても、おそらくそうした人たちには理解が得られない。人材が少ないと、結局世の中は、そして会社は低迷していくこととなる。まさにそうした実態を眼にしているようで、残念だが、わたしにはどうすることもできない。経験を大事にしなかった会社の末路かもしれない。そして「末路」だと認識していない人たちが、この後どう対応していくのか、見もので仕方ない。


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