Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

穏やかな休日

2010-04-04 14:57:24 | つぶやき

 たまたまふだんよりは1本遅い電車に乗ろうと駅の待合室に入ると、いつもなら駅猫と目があうところをもうずいぶん前に会社を辞められた先輩と目があった。帰りの電車を待つところで先輩に出会うのは2度目のこと。少し酔われていて目を閉じておられたところを、ちょうどわたしが入った時と同時に目を開けられてぴったりと目が合ったという具合だ。まだ午後6時代ではあるものの、先輩にとってはこのくらいがちょうど良い帰りの時間なのだ。そういえば午後2時くらいからやっている飲み屋があるという話は以前先輩から聞いた。「今日もみなさん(例会のように定期的に辞められた方たちで集まっているという話は聞いていた)との飲み会ですか」と問うと「今日は床屋さんに来た」と答えられてわたしも思い出した。以前こうして同じ電車で遭遇したときも床屋さん帰りだった。先輩にとってはいつものパターンなのだ。わたしはこの電車にはあまり乗らないので久しぶりだったわけだが、きっといつも乗っている電車ならもっと頻繁に出会うのかもしれない。

  伊那市駅から駒ヶ根駅まで、先輩と古の話をしながら同席した。先輩とは歳にして30歳近く違う。でも昔のイメージのままだし、あのときに戻ったような空間が出来あがる。自分も既に回顧に浸る年代になったということだと悟る。

 朝、いつもと同じ電車に乗った。それもいつもとは違う駅までは車を使ってのこと。休日にいつもと同じ電車に乗るということはそうはない。いつもと同じように同じ高校生の顔を見、いつもと変わらない車内が展開するが、サラリーマンはいないからそれだけは景色が違う。車で出向いたのはいつもとは違う隣の駅。駐車場があるということで車で駅まで行くのならこの駅だ。まだ満開には少し早い桜が咲いていた。ソメイヨシノはこのあたりではまだ早い。少しいつもとは違う心模様のなか、窓から外を眺めていると、七久保駅を過ぎたあたりの下水処理場の脇に車が2台停まっていた。いつもはこんなところに車が停まっていないので目がとまったのだ。田んぼの畔に人影が見え、やはりと言う具合の鉄道写真マニアだ。「2台の車なのに1人しかいない」と疑問を抱くが、その疑問はすぐに解かれる。少し離れたやはり田んぼの畔にもう1人三脚を据えていた。これが日曜日の景色だ。それも今日は朝から雲ひとつない青空。風もなく、視界のよい朝は写真を撮る絶好の環境だろう。それにしてもかつてなら電車に乗って鉄道写真を撮ったものなのだろうが、最近はその手の人が電車に乗っている姿はほとんど見ない。今は鉄道写真マニアも車で移動する時代なのだろうか。そういえば伊那谷、とくに南の県境域を中心にした写真で毎日更新しているブログを時おり拝見するが、彼もまた移動手段はどうみても車だ。感心するほど毎日広範な地域を移動して写真を掲載している。電車に乗ってではこんなに広範なものを毎日掲載するわけにはいかないだろう。

  前述したように天候の良い日曜の朝方のこと。伊那福岡駅の南側では小さな御柱が曳かれていたし、宮田駅南の河川の中には人が大勢いてゴミを拾っていた。まさに日曜の穏やかな景色だった。帰りの電車からはこの春初めてのこい幟も見えた。


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