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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

遠山谷の〝今〟

2025-02-01 23:02:44 | 地域から学ぶ

〝須沢の記憶〟より

 年明け前の年末に、遠山谷の和田まで走った。目的は〝かたくり〟まで「ふじ姫まんじゅう」を買いに行ったのだが、まだ開店前の午前7時30分には用意できると聞いていて、その時間に合わせて向かって、購入するとすぐに引き返すという、「行った」とはいってもほんのわずかな滞在に過ぎなかったわけであるが、年に1,2回こうして〝かたくり〟まで走る。何年も繰り返していると、その時間帯だけのわずかな滞在での印象しか語れないが、その短時間で捉えてきた印象がある。ちなみにちゃんと遠山の谷に身をおいたのは、下和田の庚申堂を訪れた2015年までさかのぼるのかもしれない。同じころ此田にも足を運んでいる。ちなみに2019年に「損をしたムラ」を記している。この時もまんじゅうを買いに行っており、まだ〝かたくり〟が町の中のお寺の近くにあった。そこに「饅頭屋さんは盛況なのに、この日矢筈トンネルの裾野にある喬木村小川から遠山の和田まで向かう車に、わたしの他には2台しか姿を見なかった」と書いており、「和田に近づくと地元の方と思われる車に追いついたが、その1台だけ。快適に走ることができたことは確かだが、こんなに車の走っていない遠山は、今までになかった光景」と記し、最後に日記のタイトルにもなった「平成の合併で、損をしたムラ、とわたしは思う」とわたし的な感想を漏らして終えている。わずかな滞在時間だけで足を運ぶたびに変化を少しずつ感じていたわたしには、そう思えたわけである。

 2019年の際は午前10時ころ走った印象だったが、最近は開店前に行っている。平日だから遠山へ仕事に行く車と出会うし、対向車も仕事へ遠山から飯田方面へ出る人と出会う。ようは車の往来が比較的多い時間帯に走っていると言えるのだろうが、とはいえそれほど多くの車に出会うわけではない。快適な道であることに変わりはないのだが、現在伊那谷側で盛んに造られている三遠南信道は、専用道路で設置される予定だったが、矢筈トンネルから八重河内までの遠山の谷の間は国道との併用になった。したがって快適とはいえ、ふつうの道を走るから高速道路のようなわけにはいかない。同じ下伊那郡だが、わが家からはかなりスピードを出して走っても1時間かかる。ゆっくり走るととても1時間では無理だ。

 いずれにしても昔の遠山を知っていて、さらに度々足を運んできた者にとっては、今の遠山の谷は静かで、人の気配が感じられない谷になってしまった。とくに旧南信濃より旧上だろうか、かつて人が住んでいた家々から人気を感じなくなっているのは…。長野県住民と自治研究所というところが2019年12月23日に「研究所だより」(155号)を発行しており、タイトルは「旧市町村単位でみた長野県内の人口動向」というもの。そこを見ると、平成の合併前と後の人口変動について詳細を述べている。

 

 「旧市町村でみた人口増・人口減の上位」一覧を見ると、1位は旧南信濃村で40.2パーセント、2位は旧上村で49.3パーセントとなっている。これは2000年と2015年の国勢調査での人口を比較したもので、半減以上というのはこの2村のみである。旧上村の方が人口が減少しているのでは、と思っていたところこの報告では逆転していた。そこでもう少し詳しく見てみようと、飯田市が発表している住民基本台帳に登録された人口データで比較してみた。グラフを二つ示す(市のデータを一覧化してグラフにしてみた)が、一つ目は「人口」、二つ目は「世帯数」である。平成7年(1995)と平成12年(2000)の数値は国勢調査のもの、それ以外は住民基本台帳のものである。2000年と住民基本台帳の数値で比較すると、旧南信濃村は44パーセント、旧上村は39パーセントとなっており、やはり旧上村の方が減少率は高いように思う。1995年値に比較すれば、41パーセントと37パーセントということで、この20年で人口が3分の1近くに減っているということになる。そして県内では突出している数値なのである。

 

飯田市内の地区別人口比較

 ちなみに飯田市内の地区ごとについて合併した平成17年10月末日と、令和6年の10月末日(合併19年後)の人口とその比率を示してみたのが表である。市全体が平成17年を100として88パーセント。各地区を見ると松尾のみ増加していて102パーセント。あとは全て減少しているが、遠山以外では66パーセントの上久堅や68パーセントの千代が目立つが、上村はその半分に近い数値である。いかに遠山だけ極端に人口が減っているかわかるだろう。あながちわたしが感じ取っている印象は間違いではない、ということになる。

「平成の合併後の今」


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