goo blog サービス終了のお知らせ 

Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

昭和62年の記憶㊽ 中井侍の祭り

2021-11-20 23:45:48 | つぶやき

昭和62年の記憶㊼ 生田中山天王諏訪神社獅子舞より

 中井侍の祭りについては、昨年の「昭和61年の記憶」の中で触れていて、祭りの概要について記している。中井侍には、高校の先輩がいて、仕事上で親しくしていただいた。昭和59年から飯田にある出先に配属され、その当時から天龍村には度々仕事で出向くようになった。とりわけ当時はまだ道のないところに家が点在していることが多く、旧南信濃村はもちろん、天龍村の中で、新設道路の開削に携わった。それも平坦地ではないので、大変な仕事だったことを思い出す。以前にも記しているが、そうした道のひとつに、旧南信濃村の須沢や、旧上村下栗大野の道がある。何度もこの日記で語ってきたことだが、こうした山間の多くの道が、先輩たちによって開削されてきている。ようは今でこそ市道とか町道と称している道の多くが、「農道」で拓かれたのだ。

 中井侍でも、現在の集落内ではないが、水窪境の山間で道の開削に携わったことがあったし、今回の写真の中にも、そうした道の先にある集落が写っている(写真のキャプション参照)。昨年も記したように、残念だがこの祭りは現在は行われていない。

 

眼下に流れるのは、もちろん天竜川である。奥が上流になる

 

写真の右端、対岸にみえるのが倉の平の集落。ここへ入る車道の開削に携わった

 

茶畑の中を練りの行列は登っていく

 

昭和62年11月23日撮影

昭和62年の記憶㊾ 中立の霜月祭りへ


コメント    この記事についてブログを書く
« 「仕事」前編 | トップ | お菜洗い »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つぶやき」カテゴリの最新記事