菜洗い場
以前から一度訪れたいと思っていた稲核菜の共同菜洗いを訪れた。勤労感謝の日のころ行われていると聞いていたので、確認すると今年は21日に行うということ。午前11時に来れば見られると聞いていたが、少し早めに訪れたのだが、残念ながら菜洗いはすでに終わっていた。前日、あるいは2日前ころに採った菜をこの日は洗ったよう。稲核にはいくつかの菜洗い場があり、その中でも諏訪神社の入り口にある菜洗い場は、竈と洗い場が併設されている。聞けば午前9時に始めたということ。そもそもここの仲間は、近くの10軒ほどの隣組の範囲。しかし、このごろは共同で菜洗いをする人たちは減っているという。今年は3軒で菜洗いをしたということで、仲間も少ないから、時間を決めておいてもその通りにはならないようだ。ということで、菜洗いがちょうど終わったところを訪れた。残念だが、またの機会を待つことにしよう。そう思っていたら、参加されていた方から「来年はわからないぞ」と言われてしまった。ようは来年があるかどうか、ということ。3軒まで減っているから、さらに減ってしまうと「共同」で洗うとは限らなくなるというわけだ。聞けば、共同で洗わなくとも、自宅でそれぞれ洗っている方も多いよう。あえて共同で洗い場を設けたものの、世間は個人に走るきらいがあるから、それも仕方ないのだろう。
菜洗いといえば、野沢菜のおひざもとの映像をよくテレビで目にしたものだが、コロナ禍を経れば、ますますその傾向は強まるのかもしれない。
稲核菜は野沢菜によく似ていて、知らない人は「同じもの」と思うのかもしれない。野沢菜にくらべると丈が短く、茎の繊維質が多く筋っぽい、はよく言われていること。カブが大きくなることから、そのカブも漬けて食べる。しかし、採った際に菜とカブは切り離してしまうため、菜洗いには、カブは登場しない。あくまでも共同菜洗いには、菜が持ち込まれる。稲核菜は南安曇や東筑摩、あるいは松本あたりでもつくられていたというが、稲核でつくると「稲核菜」になる、などという話もあり、今日一緒に訪れた方が言うには、稲核菜を里で蒔いた知人が育てたら「野沢菜になった」と言ったという。まさか稲核菜を里で作ると「野沢菜」になるわけではないのだろうが、もともと同系の菜だから、見た目はそういうことになるのだろう。ようはあえて稲核菜の種を買って来て蒔いたとしても、「稲核菜」と他人には認識してもらえないのかもしれない。いつか種を買ってきて自分の畑で蒔いて比べてみたいものだ。
さてせっかくの菜洗い場も、3軒だけで利用するのはもったいない感じだが、別に菜洗い場を利用することはなかったのかと聞くと、かつては味噌炊きなどで使ったのかもしれない、という。が、今は使われていない様子。種については、交雑しないように、上の平で種をとって道の駅などで売っているという。聞けば菜洗いをされた方たちも、道の駅で種を買ってくるのだという。
ところで「稲核菜」は、我が家で子どものころ「稲核菜」だと言われて食べた記憶がある。ただその記憶ははっきりしない。作っていたのか、それとももらったものかは・・・。「野沢菜」という単語より「稲核菜」のほうがわたし的にはふるかったように思う。野沢菜を稲核菜と言っていたのかもしれないが、もはや確かめようもない。
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