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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

山室上原の道祖神

2022-02-14 23:22:24 | 民俗学

伊那市高遠町山室上原の道祖神

 

 「長谷非持山中原の道祖神」において、旧長谷には自然石の道祖神が目立つものの、旧高遠に入るとそれが見られなくなることに触れた。江戸時代の同じ高遠藩内でありながら異なる、ということは逆に自然石が祀られるようになったのは、明治以降のことなのかも、という考え方も露になる。果たしてどうか、このあたりにも注目していこうと思う。

 長谷非持山中原から山室川を少し遡ると、すぐに旧高遠町、もっというと旧三義村に入る。そこが山室地区であり、最初に原という集落に入る。山付けの方にある集落は上原にあたり、ここの四辻に石碑群がある。その真ん中に、やはり「道祖神」が祀られていて、双体道祖神も並んでいる。双体像は身体が丸みを帯びていて、それだけで柔和な雰囲気をかもし出すが、顔は風化して磨耗しはっきりしない。しかし身体からの雰囲気から温かみのある雰囲気を十二分にかもし出している。肩を組んでいるでもなく、手を繋いでいるわけでもないが、とても「まろやか」という感じだ。銘文なく造立年代は不明だが、隣に立つ「道祖神」にも年代を表す銘文はない。自然石がないかと周囲を見回すが、それらしきものはまったくない。ここにも、自然石、いわゆる奇石系の道祖神は祀られていない。山室より奥の道祖神について『長野県上伊那誌』で確認してみると、まったくないわけではなく、宮原と久保の2箇所に「奇石」を確認する。


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