正月の御柱については昨年も、また今年も触れてきているところであるが、それらに近い行事のひとつ、「かさんぼこ」をおとずれた。行事名が「かさんぼこ」というわけではなく、どんど焼きで作られる櫓のことをそう呼ぶ。飯島町日曽利は、天竜川を挟んだ東岸にあり、西岸とは環境が大きく異なる。飯島町飯島の対岸にあたるものの、もともとここは飯島町ではなかったところ。昭和24年の飯島村時代に旧南向村から分村して編入された。ようは現在の中川村と風習が近いとも考えられる。現在43戸と言われるこの日曽利で行われるどんど焼きにおいて、かさんぼこという細工が作られる。いわゆるどんど焼きにおける櫓の芯棒の頭に傘が取り付けられ、その傘に突き刺すように色紙を付けた割いた竹が束ねられる。天に向かって竹が開放されるため、芯棒を建てると竹は花が開いたように垂れ下がるわけである。その姿からすれば、地元でこの竹のことを「花」と呼ぶのも理解できる。
どんど焼きの準備は現在2日がかりで行われている。昨日は朝方から芯棒にする竹の採取が行われ、芯棒の成形と「花」となる割いた竹の加工を行ったという(長さは2.5メートル)。竹は地区の入口にある天竜川にかかる日曽利橋の東側の竹やぶから採取したようで、最近はその竹やぶのものを利用しているよう。孟宗竹の良い材料が採れるという。芯棒となる竹の長さは8メートル。4年前の2010年にビジュアルフォークロアが撮影した「かさんぼこ」の中では9メートルとされていた。聞くところによると、かつて10メートルほどの芯棒を利用したこともあったというが、建てかける際に折れてしまったということがあったという。そういう経験からくるものだろうか、直径10センチほどある芯棒には中をくり貫いてさや管式に補強材の竹を差し込んでいるよう(これはビジュアルフォークロアの映像から)。芯棒の長さを短くしたのは、新築された会場の脇にある集会施設も要因となっているという。施設が大きくなったため、芯棒が倒れた際に建物に当たってしまうことも考えられるため、短めにしたという。
竹の準備が終わると、昨日の午後は子どもたちが加わって「花」の製作を行った。作られた「花」の数は55本ほど。地区にある戸数分に集会施設や神社などに飾るものを足して作られている。同じように「花」と呼ばれるものに、傘の内側に吊るされる紙細工がある。七夕飾りのような細工をしたもので、10個ほど。また傘は骨組みだけとなっていて、そこにやはり細工された色紙が貼られる。
さてここからがわたしが拝見させていただいたもの。本日午前8時にかさんぼこの建てられる庭に地区の人々が集まると、どんど焼きの櫓作りとなる。どんど焼きを執行するのは育成会というが、子どもの数は現在3名だけ。2010年のビジュアルフォークロア撮影時のものを見るとそこそこ子どもがいて目立つのだが、4年の時を経て子どもは減っている。聞けばこの後0歳まで子どもはいないという。現在聞き取れる範囲では、子どもが行事を主体的に執行した経験は聞かれない。それはかさんぼこそのものが行われなかった時代があったためと思われる。復活して既に長いため、現在執行されている主たる方たちも復活後の経験を述べられている。もともとの経験値を再現しにくくなっているともいえる。横たえられた芯棒のてっぺんに傘がさしこまれる。芯棒のことを「柄」と言うのも解るような気もする。ようは長い傘なのである。傘の骨の隙間をぬって50本余の「花」が「柄」の先に結わえつけられると、芯棒は先に固定された芯棒を支える支柱(松)に添えて建てられる。あっと言う間のこと。そして支柱に結わえつけられると、周囲にボヤが並べられ、根元を固定するように積み上げられる。あとは支柱へ傘を結わえつけている間に子どもたちが集め回った松飾りがボヤを隠すように覆われる。またこの1年間玄関先に飾られ、災厄を防いできた「花」も松飾りとともに焼かれる。周囲は蔓によって二重、三重に縛り付けられ櫓は完成する。
どんど焼きが行われる午後5時半に行ってみると、さらに書初めの紙が周囲に何枚も飾られていた。点火するのは育成会の会長や耕地の役員だという。あっと言う間に燃え広がり、赤く熱い炎をあげる。会場では子どもたちや厄の方たちによってお神酒やミカンが配られる。厄年の者はこの場でミカンを配ることによって厄を落とすわけである。火が衰えるまで子どもたちが何度となくお神酒を配る姿が続いた。子どもたちにとっても身に降りかかる災厄を払う意味があるのかもしれない。しばらくすると芯柱であるかさんぼこが倒れる。倒れる方向に意味があるようなことは聞かれなかったが、建て方からみても川下、いわゆる天竜川のある方向に向かって倒れることが多いようだ。倒れると先に結わえつけられていた「花」を取ろうと人々が寄り集まる。各戸分の「花」が用意されていることから競い合うというほどではないが、行事のクライマックスともいえる。火の勢いが弱くなると、おきを利用して集まった人々は餅を焼く。この餅を食べることで、1年間病気にならずに過ごせるという考えは、どんど焼きでよく言われること。さらに炭になった燃え残りを家に持ち帰り、屋根にあげておけば火事にならないという伝承も、このあたりではよく聞かれる。ほぼ1時間ほどで、集まった人々も家路につく。
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