伊那市高遠町番匠に建つ「堅牢地神尊」
先月「鑿跡のある石碑」について触れた。伊那市美篶芦沢にある子安神社の開基を示す石碑だった。実は「鑿跡」からしてその石碑とよく似た石碑を先日高遠の街で見かけた。高遠図書館のある番匠の山付け、六道井の脇に立てられている。子安神社の石碑のゆうに弓なりではなくまっすぐの角柱で、「堅牢地神尊」と刻まれている。いったいどんな神様かというと、いわゆる地神にあたる。地神とは古代や中世の支配階級では、整地や建築あるいは死者の埋葬などの際、地天の守護を求めたり、土公神の祟りを避ける意味で地鎮儀礼を行うことがあった。身近ではいわゆる地鎮祭がそれにあたる。一般的にこれを石碑として祀る場合、作神的意味合いが強いようで、五穀豊穣を願った地神講などによるものが多いようである。とはいえ、わたしの記憶として「堅牢地神」なるものを見た覚えがない。したがってこのあたりではあまり例のない石碑と思うが、見落としているだけかもしれない。
さて、この石碑について長野県美篶土地改良区のメモにこう記されている。「水路の中に埋まっていたものを今回の改修工事により掘り起こし現在地に建立をする」。改修とは六道井の改修のようで、旧高遠町時代に六道井をコンクリート水路で改修した際のことである。正確に現在地に立てた年月ははっきりしないが、メモの保存環境から、平成10年代後半に行われた改修事業に併せて行われたものと思われる。
そもそも六道井の開削は嘉永元年(1848年)からのことで、嘉永2年から3年がかりで完成したといわれている。メモにはその開削を願って高遠藩が建てたものではないか、と記されている。「鑿跡のある石碑」に似ていることから、わたし的には六道井開削時より遡るものではないか、とも思うが、そもそも地神塔の建立は元禄以降と言われているので、子安神社のものと同年代とも考えられない。しかし石質も似ていて、なんらかのかかわりがあるのではないか、期待をして想像する。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます