Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

再び「にゅうやま」

2018-10-12 23:58:06 | 地域から学ぶ

 昨年「新山」と「にいやま」「新山」と「にゅうやま」を記した。「新山」とは伊那市富県にある一地域名である。富県は、三峰川左岸にある段丘によって生成された地域で、背後に山を置く。ところがこの山の反対側の谷に「新山」があり、ちょっと別空間を成しているのが「新山」なのである。新山川の谷間にある地域で、山間地であることは言うまでもない。富県には富県小学校があるが、「新山」にもそれとは別に新山小学校がある。同じ富県にふたつの小学校が存在するのは、やはり「新山」が富県の中でも奥まっていて、離れていることからと言える。

 さて、富県小学校において学習会があって、お客さんから呼ばれて参加させてもらった。その中で「新山川」のことが何度も触れられたわけであるが、説明をされた方は、盛んに「にゅうやま」と言われた。この方は富県の方。“「新山」と「にゅうやま」”において、同じ富県の人たちは「にいやま」と呼んでいると言ったが、どうもそうでもないようだ。説明をされた方は、すでに80歳代の方。そして周囲でその話を聞いていた関係者の口からも、「新山」のことを「にゅうやま」と当たり前のように発せられていた。ほとんどが富県にお住まいの方たちだ。この事実から感じたのは、そもそも同じ富県の人たちが、「新山」のことは「にゅうやま」と呼ぶ、と広めたのではないかということ。“「新山」と「にいやま」”で触れたが、「にゅう」は「丹生」からくるものだという説があり、かつて「新山」は「丹生山」と充てられていたという話もある。しかし、あらためて現代の中から捉えると、なぜ「にい」を「にゅう」と呼ぶようになったのかという要因が、どこにあったのかと考えたりする。単純に「本来は」とか「昔は」という理由で、頑なに「にゅう」を使うとは思えない。「新山」に対する特別な視線があったのではないかと、外から見ると感じてしまう。

 一昨日も記したように、赤木大沼のことをかつては「おの」と呼んだという。地名の呼び方は漢字ありきではない呼称というものがある。したがって漢字としっくりこない呼称も存在する。漢字が先か、呼称が先か、という捉え方だけにあらず、漢字があっても呼び方が訛ることもある。とはいえ、地元では「にい」と呼んでいたのに、いずれこの調子では地元でも「にゅう」に変化する、そんな事例になるかもしれない。そもそも同じ地域の子どもたちの前で、当たり前のように「にゅう」が使われているのだから。

 この日説明をされた方は、三峰川のことを盛んに「みぶかわ」と言われた。わたしたちは通常「みぶがわ」と呼ぶのだが、この方にすれば「みぶかわ」なのである。濁点がつくかつかないか、こういう事例もあまたあるのだろう。かつて「大鹿村」のことをラジオ番組で盛んに「おおじかむら」と呼ぶ方のことについて触れたことがあったように思う。「本来は」などという議論につながる場合もあるだろうが、明らかに間違っている例が、公に流れることも珍しいことではない。


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3 コメント

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新山とにゅうやま (松村)
2018-10-19 10:05:45
36年前に伊那市に引っ越してきましたが、当時の20代前半の新山に住んでいる数人とも「にゅうやま」といっていました。
理由を聞きましたが、この地域では以前からその様に言っているとのことでした。
他の地域でも良くあることですが、元々の漢字(又は、言葉)がなまってきて元の言葉とは異なり、その訛りに近い漢字を当てたのではないかと推測しています。
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Unknown (trx_45)
2018-10-20 02:53:43
松村様

36年前に、それも新山の方が「にゅうやま」と読んでいた例、ありがとうございました。
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他の県でも新をにゅう (松村)
2018-10-20 09:45:45
今朝、ニュースを見ていましたら宮崎県の新田原を「にゅうたばる」と言っていました。
長野県と宮崎県は、結構かけ離れた地域なのに同じ読み方というのも不思議な感じがします。
新山の読み方を地元の人から聞いた時、「新」は英語で「New」だから誰かがふざけて「にゅうやま」と言ったのをそのまま使われたんじゃないの?と冗談で言ったことはありますが、昔から使われている言葉だからきっと違うでしょうね。
蛇足ですが、福岡県にある新田原は「しんでんばる」です。
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