今朝の明け方の空。空の淡い青も、雲の白も、清らに透けていました。
お母さん、こったに透けだ空さ返ったのがい?
母が逝って八年経ちました。私は八年年齢を重ねましたが、母はもう年を取りません。
「お母さん、お母さんさ逢いたい人が来てけだよ」
父の言葉に瞼を開けた母の瞳が揺れました。
「わがるかい?」
数秒の間の後、柔らかい眼差しで私をみつめた母は、
「お兄ちゃん? どうしてだの? 心配してたんだよ」
「……お、かあさん」
「母さん、すっかり、お婆ちゃんになってまったべさ」
「……おかあ、さん」
「痩せだんでねえの? ちゃんとご飯食べでるの?」
数年振りに逢った母から語りかけられ、私は何をどう話していいのか解らず、絶句するばかりでした。
不治の病を宣告された母は、不孝な私に優しかった。そして、病んでなお、綺麗、でした。
それから母は四年生きて、八年前の今日の早朝、息を引き取りました。享年七十歳(満六十九歳)。私は死に目に会えませんでしたが、弟が間に合ってくれました。
快晴、朝から三十度超えの東京から帰った私を、故郷は肌寒い霧雨で迎えました。対面した母は、――最後の最後まで闘い抜いた母は、苦しげではなく、安らぎに透けていました。
その後も母は、火葬の直前まで時々刻々と神々しくなっていき、私らを驚かせました。火葬場での最後のお別れの時、弟と繰り返し、母の額や頬に触れました。
冷えた母は、熱い骨となり、白木の箱に収まって、火葬場からお寺まで箱を抱えていた私は、母の最後の熱を、――母の体温を感じました。
お通夜は涙雨、翌本葬は快晴、でした。母らしく。私たちは最後まで泣き乱すことなく、母を送りました。
その反動か、毎年命日には――それだけでなく思い出に耽った時も――恋しくて泣いています。
笑われて本望。「産んでくれてありがとう、お母さん」。
小さい頃は「ママ!」と呼んでいました。「産んでくれてありがとう、ママ」。
ありがとう、有り難う。
有り難し、居て欲しい時、親は無し。
空に、母を観た、瞬間。
視界が歪んで、揺れました。
透けた青清らな白に重ね居り
あなたの在らん浄土の空を
典
written:2017.07.15.
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