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詩と物語を紡ぎます

雨夏

2017-07-30 01:45:00 | poem
       雨夏



 この夏はどうかしている
 黒猫が鼻の湿りと髭の張り具合を確かめる
 またひと雨来そうだぜ、おまけに雷も

 ……わたしもそう思う
 髪の長い黒ずくめの少女が呟く
 このまま、真っ直ぐ、だ

 蝉の声も力ない、桜並木から
 雑木林に分け入ると、雨がぱらつき始めた

 それにしてもこの夏はどうかしている
 仁義ってモノをわきまえていない
 黒猫が独り言ち少女を見上げ同意を求める

 ……仁義?
 端正な白い顔が猫を一瞥した

 空梅雨でいきなり真夏かよ!と思ったら
 梅雨明け本番じゃあ、この女々しさだぜ
 仁義欠いてるとしか、思えねえじゃないか

 通常は「順番が逆」と言わないか?

 にゃ?

 黒猫と少女は立ち止まり、見つめ合った
 長い前髪に左半分覆われた白い顔は
 至って冷静沈着で紅い瞳が鈍く光っている

 Gothic Lolitaのドレスが風に揺れた時
 黒猫の髭に、突如火花が走り散った

 をわっ!?

 光と音が、同時だった
 湿度の高い大気が震え響鳴して……
 どっと大粒の雨が叩きつけてくる

 大丈夫、……ではなさそう、だな
 少女は硬直した黒猫を小脇に抱え林を歩む
 一際太く高い老木の前で猫の硬直が解けた

 あ、お嬢、すまねえ、不意打ち喰らって
 黒猫が少女の腕から滑り落ちた時

 ……此処、だ
 黒ずくめの少女は大木を見上げた

 蝉が一斉に歌い出し大気を揺する
 うわっ、こいつはたまらん!
 猫が耳を塞いで身震いした、瞬間

 それは降ってきた

 黒い手袋を外した真白な手が受け止めた
 それは、今まさに力尽きようとしている

 蝉だった

 同類《なかま》たちの合唱に応えるように
 蝉は残された力の全てを翅に集中し
 少女の掌を、蹴った

 浮遊しジグザグに揺れる体躯に向かい

 memento mori !

 少女の細い声が矢と放たれて
 体躯は落下し
 仄かに青い光の球が
 ゆっくりと螺旋を描いて
 空に消えていった

 少女は大木の下で静かに十字を切る

 今のは……
 ……蝉、さ

 呟いて少女はゆっくり振り返り、叫んだ
 出て来い!

 おずおずと、四、五歳の童子が歩み出た
 お前だけか?
 こくりと頷く顔は蒼白で怯えきっている

 少女の右頬に笑窪が浮かんだ
 童子ががたがたと震えている

 少女は髪を掻き上げ
 隠していた左半分の顔を晒した
 童子が息を呑んだ

 わたしの顔を見ろ、目を逸らすな
 これは裏切りと信義の証だ

 お嬢、と黒猫が割って入ろうとする
 そんなガキとマジか?

 ああマジだ、見られた以上
 契約を交わすか、即座に生命を貰うか、だ

 小僧、目を逸らすな
 何れにしろ、
 お前の生命はわたしの手に在る
 わたしに信義を誓え、
 わたしに傷した者を呪え! 

 お嬢、またデカいのが来るぞ!
 黒猫が髭をピリピリ逆立てて叫ぶ

 ああ、来るね
 『契約書に、署名を』

 お嬢!

 その瞬間
 また光と音が同時に輝き響き

 ……佇む少女の足元に
 童子が鼻血を出して倒れている


 お嬢、ガキは……

 ご覧の通りだ、契約不成立

 お嬢……、ガキ、は……

 そのうち誰か見つけるだろう

 だろう、て、……ちょっと、お嬢


 少女は濡れた前髪を手櫛で梳いて
 左の顔を覆い直すと林の奥へ
 暗がりに向かって踵を返した




 ……あれから二十五年経った




 黒ずくめの少女と雷に撃たれて
 死んだはずのこうちゃんは
 翌日のお通夜の最中に
 息を吹き返してみんなを驚かし
 その後は何事もなかったように
 すくすく育って大人になり
 物心つく前から宣言していた通り
 あたしのダンナさんになって三年目だ


 かよ、オレがいいっていうまで
 ぜったいでてくるなよ、いいな


 そう言い残して少女の前に立ったことを
 こうちゃんはすっかり忘れていた

 髪に隠れた左の顔のことも、全部


 あの黒ずくめの少女と喋る黒猫
 林の主から落ちてきた蝉は

 何だったのだろう?



 かつて
 桜並木と雑木林のあった場所は
 林の主ごと
 町唯一のスーパーマーケットに
 姿を変えて久しい



 かよ、どうした?
 ああ、晩ごはんカレーにしようかって
 やっりー、久しぶりだあ

 二歳の娘を抱え無邪気に笑うこうちゃん
 でも、カレーライス好きになったのは

 雷に撃たれた後、生き返ってからだ



 あの夏とよく似た雨の夏



 本当は、こうちゃん
 あの子に『信義を誓』ったじゃないの?

 あの日、あたしが
 こうちゃんに生命をあげるって
 泣いて約束したように



 答えはなかった



 あの夏とよく似た雨の夏



 あたしは
 今夜のカレーは茄子と鶏肉の
 中辛にしようと決めた



written:2017.07.29.〜30.


**


squall

2017-07-20 18:00:00 | uta
       squall



科学の目雨雲レーダー空を読み予言発せり猛雨百九十一ミリ


外出の来たりし時刻は不穏当雲の流れも風の匂いも


喧騒を凌駕したりし咆哮は重たき風に光の牙剥く


稲妻の鋭き刃一閃し大気の底を裂く断末魔


張り詰めし空のlibido獰猛に蹂躙したるハジケルpeak


高らかにシュプレヒコールのどよめきて凌辱の地表《はだ》舐めるsquall


制服のkissを覆いし傘朽ちて少年少女を嬲る雨雹


あと五分遅れてあればずぶ濡れの餌食の我が身時の悪戯


十五分驟雨の饗宴過ぎ去りて生誕日の午後虹立ちし空



written:2017.07.18.〜20.


**


阿芙蓉

2017-07-19 07:25:00 | poem
     阿芙蓉



 霞を喫めば霞がかり
 また霞を喫めばまた霞がかり
 およそ人らしい体裁は歪に崩れては蕩けて

 ――ただ一個の人形と化す

 ただ一個の人形の傍らに
 又ただ一個の生き人形が鎮座坐し
 ひたすら清らかな眼差しを注いでいる

 体温を失った肌には
 生き人形の仄かな温みが相応しい

 遠い昔に身罷った妹にどこか似た
 ――どこか似た好い匂いのする
 生き人形を抱き仄かな温みを食む


 捻れた『奇妙な季節』は真夏の吹雪
 外は何と凍てついた世界なのだろう

 金剛石の屑が漂う硬質な硝子の大気に
 鎮痛薬の粉が降りしきり舞い落ちる雪原に

 人々の思惑がさざめいて蠢いて

 甘い言い訳をしながら人は人を見捨て
 曖昧な微笑を浮かべて人は人を裏切り

 罪も懺悔もなく悪意だけが蠢いて
 何とも救いようのない寒々しい世界だ


 遠い昔に愛しんだ妹を
 罪も懺悔もなく黄泉に追いやった

 痛みを葬り去ることは決してできない
 何とも救いようもなく寒々しい生き物だ


 霞を喫めば霞がかり
 また霞を喫めばまた霞がかり

 ただ一個の人形と化した傍らに
 ただ一個の生き人形が鎮座坐し

 体温を失った肌に相応しい

 遠い昔に身罷った妹にどこか似た
 ――どこか似た好い匂いのする
 生き人形の仄かな温みを食む



written:2017.07.18.〜19.


**

驟雨

2017-07-17 17:45:00 | poem
       驟雨



     声


 降ってくる。
 絶え間なく降ってくる。
 髪を、顔を打ち、衣類を湿して、
 「声」が降ってくる。

 降ってくる。
 重なり合い、干渉し合って、
 雑多で、唸るだけだったものが、
 「意味」を成してゆく。


 (さびしいのでしょう?)

 薄暗い墨色が覆い尽くす空に、
 充満した「声」が溢れて止まず、

 『さびしいのでしょうか?』

 薄暗く俯いて誰も見上げない空で、
 濡れた「声」は答えてはくれない。


 (さびしい…………………………)
 (……………しいので……………)
 (………………………でしょう?)

 それは仄かな唸りに返り、

 (………………………………………)

 やがて消えてしまう。



 俄に雲が切れて、覗く夏空は、
 「蒼く」抜けていて、僕は戦慄する。

 湿りを帯びた大気に、もう「声」はなく、
 日差しが白々しく、空に居座っている。

 途方に暮れる置いてけぼりの、
 狂乱と、狂熱の、盛夏に、


 僕の居場所は、あるのだろうか。



     迷路


 わたしはちっぽけな存在で、
 こころもちっぽけだから、
 すぐ張り裂けてしまいそうになり、
 間違いだらけの迷路を、
 間違いだらけに右往左往している。

 (ひとり、だ)

 わたしは、
 昨日の間違いを引き摺り、
 明け方に生まれ目覚めて、
 日がな一日、迷路をさ迷い、
 今日の間違いをバッグに詰めて、
 日暮れに死に眠る。

 殆どルーティンワークの生涯を繰り返す。

 (わたしは、ひとり、だ)

 外は朝から雨、濃灰色の空、
 大粒の雨、あめ・あめ・あめ。

 (なぜ、雨を厭うのだろう?)

 そのひと粒ひと粒には、
 方舟が漕ぎ出していて、
 それぞれに、
 アララトの頂を目指している。

 四十日四十夜の葛藤は、
 雨に紡がれた預言の在り処で、
 雨は絶望だが、希望でもあり、

 迷路の出口はおろか、
 どうして入り込んでしまったのかすら、
 わからないわたしには、

 希望も絶望も遠い世界なだけでなく、
 アララトも哀しい夢でしかなかった。

 わたしは、
 雨の絶望と希望と、
 アララトの夢を掬って、
 バッグに詰め込んだ。

 きっとこれも、間違いだろうから。

 まもなく、日が暮れて、
 今日のわたしは、死ぬ。

 明日のわたしが生まれるかどうか、
 それは、明日の朝が決めてくれるだろう。



written:2017.07.02.〜17.


**

母逝きて

2017-07-15 23:30:00 | monologue



 今朝の明け方の空。空の淡い青も、雲の白も、清らに透けていました。


 お母さん、こったに透けだ空さ返ったのがい?


 母が逝って八年経ちました。私は八年年齢を重ねましたが、母はもう年を取りません。


 「お母さん、お母さんさ逢いたい人が来てけだよ」
 父の言葉に瞼を開けた母の瞳が揺れました。
 「わがるかい?」
 数秒の間の後、柔らかい眼差しで私をみつめた母は、
 「お兄ちゃん? どうしてだの? 心配してたんだよ」
 「……お、かあさん」
 「母さん、すっかり、お婆ちゃんになってまったべさ」
 「……おかあ、さん」
 「痩せだんでねえの? ちゃんとご飯食べでるの?」
 数年振りに逢った母から語りかけられ、私は何をどう話していいのか解らず、絶句するばかりでした。
 不治の病を宣告された母は、不孝な私に優しかった。そして、病んでなお、綺麗、でした。


 それから母は四年生きて、八年前の今日の早朝、息を引き取りました。享年七十歳(満六十九歳)。私は死に目に会えませんでしたが、弟が間に合ってくれました。


 快晴、朝から三十度超えの東京から帰った私を、故郷は肌寒い霧雨で迎えました。対面した母は、――最後の最後まで闘い抜いた母は、苦しげではなく、安らぎに透けていました。

 その後も母は、火葬の直前まで時々刻々と神々しくなっていき、私らを驚かせました。火葬場での最後のお別れの時、弟と繰り返し、母の額や頬に触れました。

 冷えた母は、熱い骨となり、白木の箱に収まって、火葬場からお寺まで箱を抱えていた私は、母の最後の熱を、――母の体温を感じました。

 お通夜は涙雨、翌本葬は快晴、でした。母らしく。私たちは最後まで泣き乱すことなく、母を送りました。

 その反動か、毎年命日には――それだけでなく思い出に耽った時も――恋しくて泣いています。

 笑われて本望。「産んでくれてありがとう、お母さん」。
 小さい頃は「ママ!」と呼んでいました。「産んでくれてありがとう、ママ」。

 ありがとう、有り難う。
 有り難し、居て欲しい時、親は無し。


 空に、母を観た、瞬間。
 視界が歪んで、揺れました。



 透けた青清らな白に重ね居り
   あなたの在らん浄土の空を

                 典



written:2017.07.15.


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