8月3日、経済産業省事務次官更迭のニュースが流れた。原子力安全保安院長、資源エネルギー庁長官も一緒だ。東京電力福島第一原発の事故の行方、いや、いま溶融した原子炉がどうなっているのかもわからないままに、今回も大臣を凋落して停止中の玄海原発の再稼働を画策した人たちだ。これで人心一新というが、何を一新したというのか。
その前日、NHKラジオで厚生労働省が設定した「飲食物からの被ばく基準」について小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)がコメントしていた。
そのコメントは鋭かった。「それ以前に、こういう基準を作る権限を誰から与えられたというのか。少なくとも日本は法治国家と思ってきた。嘘で固めた安全神話で原発を推進してきて結果が今回の事故、こんな基準を国民に強いる情況を作ったのは犯罪ではないのか。犯罪であれば裁かれなければならない。」細かいニュアンスがうまく伝えられないが、核心を突く発言に司会者も対応におたおたしていた。
考えてみれば民主党の挙げていた「成長戦略」なるものは、今回の事故でことごとく頓挫した。エネルギー政策や原発輸出はつぶれたほうがいいが、観光立国や、とくに食の安全や、循環型社会構築の問題は取り返しがつかない。
コメが実ったあとの稲わらを食べ、牛が育つ。その糞や落ち葉を集めてたい肥を作り、翌年それで作物を育てる。また下水の汚泥から建設資材を作るといった、昔から行われてきたことや、新しい技術も放射性物質で断ち切られてしまった。みな自分のところで作った作物は安全だと思いたいが、どこであってもそれは無理だ。生涯で100ミリシーベルト以下なら、という数字は無意味だということは言うまでもない。
宮古島は台風が過ぎ去ったあとだ。砂糖キビなどに被害が出た。ただ力強い自然は一年たてば元に戻る。だが、目に見えない放射性物資と基地のない平和は別である。原発建設も基地の増強も、いまの宮古ならしないで済む(普)