電子計算機の回想(1ページ目) 「電子計算機も沢山使ったなぁ~ぁ。」 と 思う。
何台の電子計算機を使ったんだろう。
幾つの言語を使ったんだろう。
〔回想〕 思い出したみた。 〔注意〕 最初に記憶の曖昧な所は陳謝。
1972年(s47)
学校でフォートラン(プログラム言語)を学んだ。
先生は○○省の課長さんだった。←知らない知らない学生時代は普通の先生。(正体は不明。)
実習で使ったのはトスバックだった。←後で分かった。
電算機は○○省の地下にあった。←見知らぬ建物に入って行った。何も知らない。(学校は○○県。)
紙テープだった。←数年経って、私の作ったプログラムはパンチするのが大変だと思った。担当者に陳謝。
確かにパンチは大変な品物です。簡単な物です。計算式はありません。パンチが大変で、二度と作らない。
1973年(s48)
会社に就職した。○○○○の設計会社で当時は五反田のTOCの近く。
上司は学校の先生。室長と部下1人の電子計算室。(○○○の○○○で入社。)
計算機は電電公社のデェーモスだった。(計算機はNECだった。)
電算機は○○あった。(仕事関係で、一度行った。磁気ディスクの列は凄かった。)
紙テープ(巴川製紙)だった。端末機(沖電気)は好きだった。
-----------------------------
入社当時に私は、キーボードが打鍵できない。
電電公社の講習会(森ビル25だった。沢山あるから25の番号が曖昧:六本木)に1週間通った。
ジャパンの「J」、フランスの「F」から始まった。
現在もローマ字入力、カナ文字入力の両方が出来ます。(基礎は此処に習いました。)
キーボード配列の歴史は後で知った。(タイプライターを最初に作った人は、配列に苦労だったと思います。)
-----------------------------
日本が初めて電子計算機を手掛けた当時の○○省も大変だったと思う。
富士通はIBM。(富士通と日立)
NECはハネウェル。(NECと東芝)
三菱電機は私は分からない。(三菱電機と沖電気)私の記憶です。間違いがあれば陳謝。
〔富士通の機械を使い、NECの機械を使えば、最初に「あれ~ぇ!」と誰も思う。〕機械が違う。
-----------------------------
そう言えば、大変だった、ようだ。 先生も「頭が割れそうだった。」と何回も言ってました。
各県の電子計算室担当者を教えていたらしい。キチンと講義が出来たのは先生のようだ。
理由は簡単:「作ったプログラムが、入力したデータで正解な答えを出す。」←これだけです。
会社での仕事:設計会社の電子計算室
○○○部の一角だった。
ウイリアムヘーゼン→流量計算→管網計算。
建物の構造計算。起債償還。ウォーターハンマー。
クッター、マニングの計算式もあった。
○○○部のミニコンも使った。
カードだった。精工舎の計算機だった。技術計算はおもしろい。
精工舎はエプソンになった。精工舎=SEIKOの時計です。
機械に添付の数学式は興味深々で勉強しました。
○○部で構造計算
ラーメン構造、マトリックス構造計算。
-----------------------------
仕事で使った計算式等
マクローニン展開、テーラー展開。
人口予測(回帰曲線)一次式曲線。 … n次式曲線、ロジステックス曲線。
サイン、コサイン、タンジェント、アーク…コタンジェント等々計算式は一杯あります。
数学者、科学者かな、最初に計算式を作った人は素晴らしい。
確率もあった。何年に一度の災害等で計算が必要だから。
フォートラン言語によるマトリックスのプログラム。
起債の計算式、所得税の計算式。 … 今は忘れてしまった。記録も無い。
測量のクロソイド曲線の計算式も好きだった。
1975年(s50)
○○県出身でIBM勤務の人にであった。
会社は六本木だそうだ。
で、色々知識も増えた。(構造計算)
元々建築関係仕事の人でIBMに入社。
通称○○○と名前の付いた本を頂いた。
1976年(s51)
○○製作所で電子計算機を使った。
IBMの電子計算機でカードだった。
プログラムは先生自慢の管網計算。(収束が速い。)
会社に行って自分でパンチして計算機を使った。
○○制作所の名前は、初め○○○に有った。地名です。創設者は○○県の○○の○○。
同年
○○建設に遊びに行った。
電算機はバローズの小型計算機だった。
印刷は印刷機のヘッドにアルファベットが丸い型になりクルクル回って印刷。興味深かった。
1977年(s52)
白鳥町役場(現在:東かがわ市)が電子計算機を導入する事になった。
正月に帰って来て徳島県の○○町役場の電子計算機を見に行った。
当時の白鳥町長(親父)が近隣の町役場に話しかけ最初に導入した。
東かがわ市:地元では東讃の東3町と言われ合併前に合併の話をした事がある。
〔2003(H15)年4月:引田町+白鳥町+大内町が平成の大合併時に合併。〕
○○町:バローズのバイトマシーン(○○○○→○○○○○○の○○で導入したらしい。)
白鳥町:○○洋行のシンプル・ツーと呼んでいた。言語の名前。言語は簡易言語。
○○町:富士通のオフィスコンピューター。
白鳥町が電算機の技術者を探していたが適当と思う人材がなく、私がUターンした。
(勿論、町職員も電算機の研修に行った○、○○が○○○○○だろう。)
1977年(s52)8月31日 ○○○○設計を退社。(会社は移転し、現在は新橋を降りて行く。)
1977年(s52)9月01日 白鳥町役場に就職。
物凄い事になるとは思わなかった。
現在こうして生きているのが不思議なくらい、凄まじかった。
相手は電子計算機です。人間関係(役場と民間は違う。違う。)です。町長は父(8年間一緒。)
電算機の根本的な基礎は○○省○○○○局○○○○課長の「山○○蔵」の教えがあった。
(先生の正式な役職名は一度○○省に電話をして聞いた。長い肩書は少し曖昧。陳謝。)
此処までに使った電子計算機。
1 トスバック 東芝 フォートラン 紙テープ
2 ディーモス 電電公社 フォートラン 紙テープ
3 不明(ミニコン) 精工舎 不明 カード式
4 不明 IBM フォートラン カード
5 シンプル・ツー 内田洋行 簡易言語 フロッピーディスク〔8インチ、片面単蜜=256キロバイト〕
2ページ目に続きます。 但し 少し経って書きます。(何をしても大変です。)
何台の電子計算機を使ったんだろう。
幾つの言語を使ったんだろう。
〔回想〕 思い出したみた。 〔注意〕 最初に記憶の曖昧な所は陳謝。
1972年(s47)
学校でフォートラン(プログラム言語)を学んだ。
先生は○○省の課長さんだった。←知らない知らない学生時代は普通の先生。(正体は不明。)
実習で使ったのはトスバックだった。←後で分かった。
電算機は○○省の地下にあった。←見知らぬ建物に入って行った。何も知らない。(学校は○○県。)
紙テープだった。←数年経って、私の作ったプログラムはパンチするのが大変だと思った。担当者に陳謝。
確かにパンチは大変な品物です。簡単な物です。計算式はありません。パンチが大変で、二度と作らない。
1973年(s48)
会社に就職した。○○○○の設計会社で当時は五反田のTOCの近く。
上司は学校の先生。室長と部下1人の電子計算室。(○○○の○○○で入社。)
計算機は電電公社のデェーモスだった。(計算機はNECだった。)
電算機は○○あった。(仕事関係で、一度行った。磁気ディスクの列は凄かった。)
紙テープ(巴川製紙)だった。端末機(沖電気)は好きだった。
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入社当時に私は、キーボードが打鍵できない。
電電公社の講習会(森ビル25だった。沢山あるから25の番号が曖昧:六本木)に1週間通った。
ジャパンの「J」、フランスの「F」から始まった。
現在もローマ字入力、カナ文字入力の両方が出来ます。(基礎は此処に習いました。)
キーボード配列の歴史は後で知った。(タイプライターを最初に作った人は、配列に苦労だったと思います。)
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日本が初めて電子計算機を手掛けた当時の○○省も大変だったと思う。
富士通はIBM。(富士通と日立)
NECはハネウェル。(NECと東芝)
三菱電機は私は分からない。(三菱電機と沖電気)私の記憶です。間違いがあれば陳謝。
〔富士通の機械を使い、NECの機械を使えば、最初に「あれ~ぇ!」と誰も思う。〕機械が違う。
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そう言えば、大変だった、ようだ。 先生も「頭が割れそうだった。」と何回も言ってました。
各県の電子計算室担当者を教えていたらしい。キチンと講義が出来たのは先生のようだ。
理由は簡単:「作ったプログラムが、入力したデータで正解な答えを出す。」←これだけです。
会社での仕事:設計会社の電子計算室
○○○部の一角だった。
ウイリアムヘーゼン→流量計算→管網計算。
建物の構造計算。起債償還。ウォーターハンマー。
クッター、マニングの計算式もあった。
○○○部のミニコンも使った。
カードだった。精工舎の計算機だった。技術計算はおもしろい。
精工舎はエプソンになった。精工舎=SEIKOの時計です。
機械に添付の数学式は興味深々で勉強しました。
○○部で構造計算
ラーメン構造、マトリックス構造計算。
-----------------------------
仕事で使った計算式等
マクローニン展開、テーラー展開。
人口予測(回帰曲線)一次式曲線。 … n次式曲線、ロジステックス曲線。
サイン、コサイン、タンジェント、アーク…コタンジェント等々計算式は一杯あります。
数学者、科学者かな、最初に計算式を作った人は素晴らしい。
確率もあった。何年に一度の災害等で計算が必要だから。
フォートラン言語によるマトリックスのプログラム。
起債の計算式、所得税の計算式。 … 今は忘れてしまった。記録も無い。
測量のクロソイド曲線の計算式も好きだった。
1975年(s50)
○○県出身でIBM勤務の人にであった。
会社は六本木だそうだ。
で、色々知識も増えた。(構造計算)
元々建築関係仕事の人でIBMに入社。
通称○○○と名前の付いた本を頂いた。
1976年(s51)
○○製作所で電子計算機を使った。
IBMの電子計算機でカードだった。
プログラムは先生自慢の管網計算。(収束が速い。)
会社に行って自分でパンチして計算機を使った。
○○制作所の名前は、初め○○○に有った。地名です。創設者は○○県の○○の○○。
同年
○○建設に遊びに行った。
電算機はバローズの小型計算機だった。
印刷は印刷機のヘッドにアルファベットが丸い型になりクルクル回って印刷。興味深かった。
1977年(s52)
白鳥町役場(現在:東かがわ市)が電子計算機を導入する事になった。
正月に帰って来て徳島県の○○町役場の電子計算機を見に行った。
当時の白鳥町長(親父)が近隣の町役場に話しかけ最初に導入した。
東かがわ市:地元では東讃の東3町と言われ合併前に合併の話をした事がある。
〔2003(H15)年4月:引田町+白鳥町+大内町が平成の大合併時に合併。〕
○○町:バローズのバイトマシーン(○○○○→○○○○○○の○○で導入したらしい。)
白鳥町:○○洋行のシンプル・ツーと呼んでいた。言語の名前。言語は簡易言語。
○○町:富士通のオフィスコンピューター。
白鳥町が電算機の技術者を探していたが適当と思う人材がなく、私がUターンした。
(勿論、町職員も電算機の研修に行った○、○○が○○○○○だろう。)
1977年(s52)8月31日 ○○○○設計を退社。(会社は移転し、現在は新橋を降りて行く。)
1977年(s52)9月01日 白鳥町役場に就職。
物凄い事になるとは思わなかった。
現在こうして生きているのが不思議なくらい、凄まじかった。
相手は電子計算機です。人間関係(役場と民間は違う。違う。)です。町長は父(8年間一緒。)
電算機の根本的な基礎は○○省○○○○局○○○○課長の「山○○蔵」の教えがあった。
(先生の正式な役職名は一度○○省に電話をして聞いた。長い肩書は少し曖昧。陳謝。)
此処までに使った電子計算機。
1 トスバック 東芝 フォートラン 紙テープ
2 ディーモス 電電公社 フォートラン 紙テープ
3 不明(ミニコン) 精工舎 不明 カード式
4 不明 IBM フォートラン カード
5 シンプル・ツー 内田洋行 簡易言語 フロッピーディスク〔8インチ、片面単蜜=256キロバイト〕
2ページ目に続きます。 但し 少し経って書きます。(何をしても大変です。)