先日、姫路さんがブログで書かれていた「成仏している証」のお話ですが、大変わかりやすいお話でしたね。
以前からこの話は幾度となく聞いていたのですが、故人のことを考えた時にどのように感じるかで、「成仏しているか、していないか」ということがよくわかるそうです。
姫路さんがおっしゃるように、星椎水精先生に浄霊していただき成仏している人たちの事を考えた時は、大抵「無」なのだそうです。
その理由は、彼ら(先祖さんたち)は成仏しているので、霊界で猛勉強中であったり、または星に帰っていたりするので、我々の身近にいないのです。
もちろん、必要な時には先祖さんたちは守りに来てくださいますが(これはあくまでも、神々の許しがあったときのみのようですが…)、基本的に自分たち自身の勉強で忙しいわけですから、四六時中一緒にはいられません。
そのため、姫路さんが言われるように、彼らに意識を合わせても「感じない=無である」ということになるのです。
当然ながら「いなくて寂しい」という気持ちはありますが、決して悲しくはならないのです。
そこが、大きく違う点です。
対して、巷の人達の話でよく耳にするのが「亡くなったけど、まだここにいるような気がするんだ」などの存在感を示す言葉です。
彼らがそう感じるのは、まぎれもなくそこに存在しているからであって、「成仏していない」証拠です。
そのため、彼らのことを考えると悲しくなったり涙が出たり、暗い気持ちになったりしてしまうのです。
それらの気持ちは我々生きている者のものではなく、あくまでも亡くなった人(ご先祖様たち)の気持ちなのです。
私がよく通る幹線道路にも、花が供えてあるところがあります。
おそらくそこで事故で亡くなった方がいるのでしょう。
その人の親族や恋人が、亡くなった人の供養にと供えているのでしょうが、これも同じく「そこに(事故現場に)まだ亡くなった人がいる」とわかっているからこそ、行われているのだと思います。
そこに存在を感じるから、供養しようと思うのではないでしょうか。
何度も言いますが、「存在していると感じる」という事は、成仏していないという事です。
そのため、例えば事故現場は、いくら花をお供えしようが暗い雰囲気が漲っていますし、少しでも霊感がある人であれば、気味が悪くて目を背けてしまう事でしょう。
事故現場の例をみても、お供えしている人は認めたくなくても、本心では「まだ成仏できていない」ことが薄々わかっているのではないかと思えてなりません。
このように、故人の存在感を感じるかどうかが、成仏しているかいないかを判別する大きな要因になるのではないでしょうか。
星椎水精先生のホームページ:先祖供養
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以前からこの話は幾度となく聞いていたのですが、故人のことを考えた時にどのように感じるかで、「成仏しているか、していないか」ということがよくわかるそうです。
姫路さんがおっしゃるように、星椎水精先生に浄霊していただき成仏している人たちの事を考えた時は、大抵「無」なのだそうです。
その理由は、彼ら(先祖さんたち)は成仏しているので、霊界で猛勉強中であったり、または星に帰っていたりするので、我々の身近にいないのです。
もちろん、必要な時には先祖さんたちは守りに来てくださいますが(これはあくまでも、神々の許しがあったときのみのようですが…)、基本的に自分たち自身の勉強で忙しいわけですから、四六時中一緒にはいられません。
そのため、姫路さんが言われるように、彼らに意識を合わせても「感じない=無である」ということになるのです。
当然ながら「いなくて寂しい」という気持ちはありますが、決して悲しくはならないのです。
そこが、大きく違う点です。
対して、巷の人達の話でよく耳にするのが「亡くなったけど、まだここにいるような気がするんだ」などの存在感を示す言葉です。
彼らがそう感じるのは、まぎれもなくそこに存在しているからであって、「成仏していない」証拠です。
そのため、彼らのことを考えると悲しくなったり涙が出たり、暗い気持ちになったりしてしまうのです。
それらの気持ちは我々生きている者のものではなく、あくまでも亡くなった人(ご先祖様たち)の気持ちなのです。
私がよく通る幹線道路にも、花が供えてあるところがあります。
おそらくそこで事故で亡くなった方がいるのでしょう。
その人の親族や恋人が、亡くなった人の供養にと供えているのでしょうが、これも同じく「そこに(事故現場に)まだ亡くなった人がいる」とわかっているからこそ、行われているのだと思います。
そこに存在を感じるから、供養しようと思うのではないでしょうか。
何度も言いますが、「存在していると感じる」という事は、成仏していないという事です。
そのため、例えば事故現場は、いくら花をお供えしようが暗い雰囲気が漲っていますし、少しでも霊感がある人であれば、気味が悪くて目を背けてしまう事でしょう。
事故現場の例をみても、お供えしている人は認めたくなくても、本心では「まだ成仏できていない」ことが薄々わかっているのではないかと思えてなりません。
このように、故人の存在感を感じるかどうかが、成仏しているかいないかを判別する大きな要因になるのではないでしょうか。
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