先日(先週)の星椎水精先生のコラムのコメントに、
「先日、他のお寺で300体以上の供養を行った、という人から電話があった」
というものがありました。
その方は、お寺(仏教)で毎週二人ほどの先祖供養をしてきて、累計300体ほどご供養してきたというのです。
その甲斐もあってか(?)、家族に若干の良い体調の変化が見られたそうですが、その後また悪くなるなどし、いろんな経緯があって、うちに相談されてこられた方がおられました。
このような話を聞くたびに、「いくらお金を使ったのだろうか?なんともったいない無駄遣いをしたのだろうか…。」と思わずにはいられません。
結局のところ、お寺で先祖供養をしたといっても、所詮『成仏』などできるわけありません。
なぜならば、星椎水精先生が再三おっしゃっておられるように、仏教の開祖である釈迦様自体、浄霊のことも説いておられないし、なにより浄霊(成仏)の能力がなかったわけですから。
ですから、お経にそのような力があるはずもなく、「お経やお寺で供養して成仏するという考え自体が間違っている」のだと早く気がつく必要があります。
今回の相談者も、家族に障って悪い影響を与えていた先祖霊が、お寺の供養で一瞬離れたことで、少々の体調改善が見られただけなのです。
つまり、「除霊」です。
ですから、時間がたてばまた元に戻り憑依するので体調が悪くなり、そして「供養が足りない」と言われて供養(除霊)をする、という繰り返しをさせられるわけです。
お寺の言うことを聞いていれば、いずれお金は底をつき、供養(除霊)もできなくなります。
その家族の行く末が、目に浮かんでしまいます。
そのお寺につぎ込んだ供養のお金があれば、星椎水精先生の本物の供養で、一体どれだけの先祖さんを救済できたことでしょう。
ニセモノに騙され、お金をむしり取られているのがよく理解できるからこそ非情にもったいない話だと思いましたが、ここで頭をよぎったのが、
「誰でも助かるわけではない。星椎水精先生の浄霊を受けられるのは、徳のあるごくごく一部の人たちだけなのだ。」
ということでした。
つまり、現代版『ノアの方舟』ですね。
これはお寺に限らず、他の新興宗教にも当てはまります。
先祖供養が大切なのはわかっても、本物に辿り着けない難しさ。
そこに「徳」や「無欲の心」がないとダメなのだということです。
お寺や宗教団体から言われるまま、さんざん頑張って言うとおりに先祖供養をしてきても、何の効果もなかったというのはよくある話です。
すべてを失ってから気づいても遅いのです。
そのような宗教ビジネスの被害者が減ってほしいものだと思いますが、なかなか厳しいこの地球の現状を、こうして見せられているように思った一件でした。
クリックしてね !!
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というものがありました。
その方は、お寺(仏教)で毎週二人ほどの先祖供養をしてきて、累計300体ほどご供養してきたというのです。
その甲斐もあってか(?)、家族に若干の良い体調の変化が見られたそうですが、その後また悪くなるなどし、いろんな経緯があって、うちに相談されてこられた方がおられました。
このような話を聞くたびに、「いくらお金を使ったのだろうか?なんともったいない無駄遣いをしたのだろうか…。」と思わずにはいられません。
結局のところ、お寺で先祖供養をしたといっても、所詮『成仏』などできるわけありません。
なぜならば、星椎水精先生が再三おっしゃっておられるように、仏教の開祖である釈迦様自体、浄霊のことも説いておられないし、なにより浄霊(成仏)の能力がなかったわけですから。
ですから、お経にそのような力があるはずもなく、「お経やお寺で供養して成仏するという考え自体が間違っている」のだと早く気がつく必要があります。
今回の相談者も、家族に障って悪い影響を与えていた先祖霊が、お寺の供養で一瞬離れたことで、少々の体調改善が見られただけなのです。
つまり、「除霊」です。
ですから、時間がたてばまた元に戻り憑依するので体調が悪くなり、そして「供養が足りない」と言われて供養(除霊)をする、という繰り返しをさせられるわけです。
お寺の言うことを聞いていれば、いずれお金は底をつき、供養(除霊)もできなくなります。
その家族の行く末が、目に浮かんでしまいます。
そのお寺につぎ込んだ供養のお金があれば、星椎水精先生の本物の供養で、一体どれだけの先祖さんを救済できたことでしょう。
ニセモノに騙され、お金をむしり取られているのがよく理解できるからこそ非情にもったいない話だと思いましたが、ここで頭をよぎったのが、
「誰でも助かるわけではない。星椎水精先生の浄霊を受けられるのは、徳のあるごくごく一部の人たちだけなのだ。」
ということでした。
つまり、現代版『ノアの方舟』ですね。
これはお寺に限らず、他の新興宗教にも当てはまります。
先祖供養が大切なのはわかっても、本物に辿り着けない難しさ。
そこに「徳」や「無欲の心」がないとダメなのだということです。
お寺や宗教団体から言われるまま、さんざん頑張って言うとおりに先祖供養をしてきても、何の効果もなかったというのはよくある話です。
すべてを失ってから気づいても遅いのです。
そのような宗教ビジネスの被害者が減ってほしいものだと思いますが、なかなか厳しいこの地球の現状を、こうして見せられているように思った一件でした。
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