春はふけ 春はほうけて
古ぼけた 草家(くさや)の屋根でよ
日がな啼く 白い野鳩が
啼いても けふは逝(い)ってしまふ
庭も荒れ 荒るるばかしか
人も来ぬ 葎(むぐら)が蔭によ
茨が咲く 白い野茨が
咲いても 知られず散ってしまふ
おお ほろ ほろろん
ほろほろ おお ほろろん
空は空 いつも蒼いが
わしゃ元の 嬰児(ねんね)じゃなしよ
世は夢だ 野茨の夢だ
夢なら 醒めたら消えてしまふ
心から ようも笑えず
さればとて 泣くにも泣けずよ
煙草でも それじゃふかそか
煙草も 煙になってしまふ
おお ほろ ほろろん
ほろほろ おお ほろろん
春だ春だ それでも春だ
白い野鳩が 啼いてほうけてよ
白い茨が 咲いては散ってよ
こうして けふも暮れてしまふ
日は暮れた 昔は遠い
世も末だ 傾きかけた
わしゃ寂(さ)びる いのちは腐る
腐れて いつかは死んでしまふ
【詩 北原白秋】
この詩に出会ったのは18歳のころです。『フィールドフォークFROM 中津川』というLPレコードのなかに収められている1曲です。ですから白秋さんの詩集を読んだというより田口さんの唄に出会ったというべきですね。
北原白秋さんの詩集『水墨集』のなかの『野茨と鳩』という作品に我夢土下座(カムトゲザー)というグループの田口正和さんが曲をつけました。
出会った当時は淋しい陰気くさい詩で、そんなに好きではなかったのですが、齢を重ねるごとに忘れられない詩になってきました。年齢があがるにつれて食べ物の好みも変わってくるといいますが、詩の嗜好も変化するのでしょうか。
この抒情詩は、晩春の山里にあってじわーと沸いてくる倦怠感や虚無感を見事に表現していると思います。この詩に出会ってから何十年も経って、この詩の主人公に今の自分を重ねているのかも知れませんね。晩春の夕景にこの詩を歌うと胸がジーンとします。
古ぼけた 草家(くさや)の屋根でよ
日がな啼く 白い野鳩が
啼いても けふは逝(い)ってしまふ
庭も荒れ 荒るるばかしか
人も来ぬ 葎(むぐら)が蔭によ
茨が咲く 白い野茨が
咲いても 知られず散ってしまふ
おお ほろ ほろろん
ほろほろ おお ほろろん
空は空 いつも蒼いが
わしゃ元の 嬰児(ねんね)じゃなしよ
世は夢だ 野茨の夢だ
夢なら 醒めたら消えてしまふ
心から ようも笑えず
さればとて 泣くにも泣けずよ
煙草でも それじゃふかそか
煙草も 煙になってしまふ
おお ほろ ほろろん
ほろほろ おお ほろろん
春だ春だ それでも春だ
白い野鳩が 啼いてほうけてよ
白い茨が 咲いては散ってよ
こうして けふも暮れてしまふ
日は暮れた 昔は遠い
世も末だ 傾きかけた
わしゃ寂(さ)びる いのちは腐る
腐れて いつかは死んでしまふ
【詩 北原白秋】
この詩に出会ったのは18歳のころです。『フィールドフォークFROM 中津川』というLPレコードのなかに収められている1曲です。ですから白秋さんの詩集を読んだというより田口さんの唄に出会ったというべきですね。
北原白秋さんの詩集『水墨集』のなかの『野茨と鳩』という作品に我夢土下座(カムトゲザー)というグループの田口正和さんが曲をつけました。
出会った当時は淋しい陰気くさい詩で、そんなに好きではなかったのですが、齢を重ねるごとに忘れられない詩になってきました。年齢があがるにつれて食べ物の好みも変わってくるといいますが、詩の嗜好も変化するのでしょうか。
この抒情詩は、晩春の山里にあってじわーと沸いてくる倦怠感や虚無感を見事に表現していると思います。この詩に出会ってから何十年も経って、この詩の主人公に今の自分を重ねているのかも知れませんね。晩春の夕景にこの詩を歌うと胸がジーンとします。
詩を読んで「始めて聴きました」というのも変な感想ですが、正直なところです。
昔の日本語には、といいますか、特に詩には独特のリズムがあったように思います。といって、詩などほとんど読んではおりません。
すぐ、知ったかぶりをしてしまう悪いくせです。m(__)m
おお ほろ ほろろん
ほろほろ おお ほろろん
世は夢だ 野茨の夢だ
好きですね、この辺のフレーズ、、、。
北原白秋って、こういう作風でしたっけ?
私も詩のことはよく知らないんですよ。白秋さんといえば「この道はいつか来た道・・・」とか「からたちの花が咲いたよ~・・・」ぐらいかな。白秋さんの詩には、結構多くの作曲家がメロディをのせているようですね。
今年の宵々山コンサートは、笠木透&雑花塾が二年連続で
登場ですね。 我夢土下座と云えば、笠木さんです。