先月29日にサウンドコピーの久保田進さんが亡くなられたとの訃報が流れていました。
小生にとっては「サウンドコピー」というより「トリオ・ザ・ミミック」というほうが馴染みの深いグループ名です。久保田さんはもともと単独で声帯模写をやっていてその後、北海太郎さん、上純一さんと「トリオ・ザ・ミミック」を結成しました。結成当時はメンバーが違っていたかもしれません。その辺の記憶はあまり定かではありません。北海太郎さんが抜けた後は久保田さん、上さんのコンビで「ザ・ミミック」を経て「サウンドコピー」が最終グループ名でした。
「トリオ・ザ・ミミック」時代の久保田さんの“柳家金語楼”“谷啓”北海太郎さんの“春日八郎”上純一さんの“財津一郎”の声帯模写は名人芸でした。サウンドコピーになってからはマイクを駆使し環境問題や戦争場面などを得意としていました。
このごろは「声帯模写」ということばをほとんど聞かなくなりました。一昔もふた昔も前、関西では川上のぼるさん、田淵岩夫さん等、関東では桜井長一郎さん、小野栄一さん等がいわゆる「声帯模写」で活躍されてました。今、テレビ等を見る限りでは「ものまね」というジャンルでひとくくりにされているようです。
寄席芸が好きな小生としては芸能人の「ものまね」ではなく芸人さんの「声帯模写」がなつかしく思えます。
「声帯模写」の名芸人、久保田進さんの訃報に際しご冥福をお祈りします。 合掌
小生にとっては「サウンドコピー」というより「トリオ・ザ・ミミック」というほうが馴染みの深いグループ名です。久保田さんはもともと単独で声帯模写をやっていてその後、北海太郎さん、上純一さんと「トリオ・ザ・ミミック」を結成しました。結成当時はメンバーが違っていたかもしれません。その辺の記憶はあまり定かではありません。北海太郎さんが抜けた後は久保田さん、上さんのコンビで「ザ・ミミック」を経て「サウンドコピー」が最終グループ名でした。
「トリオ・ザ・ミミック」時代の久保田さんの“柳家金語楼”“谷啓”北海太郎さんの“春日八郎”上純一さんの“財津一郎”の声帯模写は名人芸でした。サウンドコピーになってからはマイクを駆使し環境問題や戦争場面などを得意としていました。
このごろは「声帯模写」ということばをほとんど聞かなくなりました。一昔もふた昔も前、関西では川上のぼるさん、田淵岩夫さん等、関東では桜井長一郎さん、小野栄一さん等がいわゆる「声帯模写」で活躍されてました。今、テレビ等を見る限りでは「ものまね」というジャンルでひとくくりにされているようです。
寄席芸が好きな小生としては芸能人の「ものまね」ではなく芸人さんの「声帯模写」がなつかしく思えます。
「声帯模写」の名芸人、久保田進さんの訃報に際しご冥福をお祈りします。 合掌
久保田さんは香川県のご出身だそうです。ちょっと訛りがありましたね。
今年は枝雀さんが亡くなって10年、生誕70年やそうで夏にその催しがあるそうです。
亡くなった人の話題ばかりで失礼しました。