あれから5カ月が過ぎようとしている。ゴールデンウィークの余韻がまだ残っている頃だった。
突然の出来事に戸惑うばかりで自分を見失いそうになりながらも目の前に起こった現実を受け入れざるを得なかった。一通りの儀式を終え自分を取り戻したときからあの数々の思い出がつらい悲しいものに変化していく。時は流れて何事もなかったかのように振る舞ってはいるが、今でもつらい日々にかわりはない。
二歳下の従妹とは子どものころから家も近く行動を共にすることが多かった。中学生のころまではお互い兄妹のように思っていた。それぞれの家庭をもってからはそう遠くないところに暮らしていたが、以前に比べて疎遠にはなっていた。
こんな形で彼女と永久の別れをすることになるとは微塵も想像していなかった。数年前から心身に不調の兆しがあったようには伝え聞いていたが。まさかの訃報であった。それは卯の花がにおい山の緑が濃くなろうとする雨の日であった。
今も信じがたいとの思いであるが“自死”という診断が下されていた。53歳の誕生日を目前にして従妹は静かに旅を終えたのだった。
お盆が過ぎ、今は彼岸花が何もなかったようにいつも通り咲いている。
同じ土おなじ草
変わりはないのか 悲しいぞ
人は去り時は流れ
変わっていくのか 悲しいぞ
突然の出来事に戸惑うばかりで自分を見失いそうになりながらも目の前に起こった現実を受け入れざるを得なかった。一通りの儀式を終え自分を取り戻したときからあの数々の思い出がつらい悲しいものに変化していく。時は流れて何事もなかったかのように振る舞ってはいるが、今でもつらい日々にかわりはない。
二歳下の従妹とは子どものころから家も近く行動を共にすることが多かった。中学生のころまではお互い兄妹のように思っていた。それぞれの家庭をもってからはそう遠くないところに暮らしていたが、以前に比べて疎遠にはなっていた。
こんな形で彼女と永久の別れをすることになるとは微塵も想像していなかった。数年前から心身に不調の兆しがあったようには伝え聞いていたが。まさかの訃報であった。それは卯の花がにおい山の緑が濃くなろうとする雨の日であった。
今も信じがたいとの思いであるが“自死”という診断が下されていた。53歳の誕生日を目前にして従妹は静かに旅を終えたのだった。
お盆が過ぎ、今は彼岸花が何もなかったようにいつも通り咲いている。
同じ土おなじ草
変わりはないのか 悲しいぞ
人は去り時は流れ
変わっていくのか 悲しいぞ
「生まれては死ぬるものなり おしなべて
釈迦も達磨も猫も杓子も」
所詮生身の人間、なかなか一休禅師のようにはまいりません。