日本の年度末は3月末ですが、世界の年度末は違います。
ヨーロッパの年度末はカレンダー通りの12月末です。
また、オーストラリアの年度末は6月末、アメリカの年度末も同じく6月末です。
日本が太陰暦から太陽暦に移行したのは1873年、明治6年のことだそうです。11月9日の太政官布告によって、明治5年12月2日の翌日から突然太陽暦(グレゴリオ暦)を採用し、その日を明治6年(1873年)1月1日としました。ですから、1872年は12月3日から31日までの29日間が存在しないという、なんとも奇妙な年だったそうです。
その理由は、当時の政府は財政難でした。ところが明治6年は従来の暦でいくと閏月=13ヶ月になってしまいます。政府は月給制でしたので、1年が13ヶ月あると、給料を13ヶ月分払わなければなりません。そこで官僚たちが考えたのが旧暦を今日使われている太陽暦=グレゴリオ歴に変えることにしたのです。
結果的に一ヶ月分の月給は削減されました。
明治になって西欧の新しい暦に変更したとき、同じ日付のまま年中行事も移行しました。
古事記によると昔は野外にお雛様を持ち出し、野遊びを楽しむ「雛の国見せ」という風習があったそうです。
しかし、三月初めでは日がな一日、野外で過ごすにはまだ肌寒く、桃にしても基本的には四月に咲く花です。
節供する菱餅を作るにも、蓬はまだ出ておらず、蛤の食べ納めといわれた雛祭り自体、一ヶ月のずれが生じています。
年中行事と季節感のずれは暦の書き換えが原因でした。
ヨーロッパの年度末はカレンダー通りの12月末です。
また、オーストラリアの年度末は6月末、アメリカの年度末も同じく6月末です。
日本が太陰暦から太陽暦に移行したのは1873年、明治6年のことだそうです。11月9日の太政官布告によって、明治5年12月2日の翌日から突然太陽暦(グレゴリオ暦)を採用し、その日を明治6年(1873年)1月1日としました。ですから、1872年は12月3日から31日までの29日間が存在しないという、なんとも奇妙な年だったそうです。
その理由は、当時の政府は財政難でした。ところが明治6年は従来の暦でいくと閏月=13ヶ月になってしまいます。政府は月給制でしたので、1年が13ヶ月あると、給料を13ヶ月分払わなければなりません。そこで官僚たちが考えたのが旧暦を今日使われている太陽暦=グレゴリオ歴に変えることにしたのです。
結果的に一ヶ月分の月給は削減されました。
明治になって西欧の新しい暦に変更したとき、同じ日付のまま年中行事も移行しました。
古事記によると昔は野外にお雛様を持ち出し、野遊びを楽しむ「雛の国見せ」という風習があったそうです。
しかし、三月初めでは日がな一日、野外で過ごすにはまだ肌寒く、桃にしても基本的には四月に咲く花です。
節供する菱餅を作るにも、蓬はまだ出ておらず、蛤の食べ納めといわれた雛祭り自体、一ヶ月のずれが生じています。
年中行事と季節感のずれは暦の書き換えが原因でした。