海月美紗のおでかけ日記

おでかけ大好きです
見つけた小さな“happy”を記録していきます

日本100名城・姫路城

2024年12月09日 | 

彦根城は、迷宮のごとき白亜の世界遺産
所在地:兵庫県姫路市
別名:白鷺城(はくろじょう)
城地種類:平山城
築城年代:天正8年(1580)、慶長6年(1601)
築城者:羽柴(豊臣)秀吉、池田輝政
主要城主:豊臣氏、池田氏、本多氏、松平(奥平)氏、松平(結城)氏、榊原氏、酒井氏
天守の現状・形態:望楼型、五重六階地下1階、木造(現存)

黒田孝高の居城を羽柴秀吉が改修したのが天正8年(1580)、関ヶ原の戦い後、池田輝政が入り大改修を行い、連立式天守を完成させた
さらにその後、本多忠政が入城して西の丸などを増築し、現在の姿にした
姫路城は天守群の美しさ、複雑な縄張など、見どころが多い

主な遺構

天守群、櫓・門多数、本丸、二の丸、西の丸、三の丸、石垣、堀

姫路城は外見が白く美しいことが特徴

これは、池田輝政が築城した際に、白漆喰総塗籠造で城壁や屋根瓦を白く塗り込んだため

姫路城の天守は五重六階の大天守と4つの小天守(東小天守、乾小天守、西小天守)があり、その間に4つの渡櫓(イ・ロ・ハ・ニの渡櫓)がある連立式天守の構造
これらの合計8棟が国宝に指定されている

乾天守だけ最上階の屋根の向きが、大天守や他の2つの小天守(西小天守・東小天守)と異なっている
様々な角度から変化に富んだ天守群を眺めるのも姫路城探訪の楽しみの一つ

南から見た大天守正面と西小天守
大天守の二重目に巨大な出格子窓(でごうしまど)を置いてその上に唐破風を配したことで
風格が増し、さらに三重目屋根に比翼入母屋破風、四重目に千鳥破風、最上階に軒唐破風を設けて変化をもたせている

斜めから見た天守群
乾小天守とハの渡櫓の折れ、西小天守と大天守の重なりの違いによって大きな広がりが感じられ、破風の位置、華頭窓の見え方が微妙に異なることでその構成美が一層引き立つ

大天守の内部には高さ約24.6m、太さ約95cmの太い柱が2本あり、地階から六階の床下まで延びており、建物全体を支えている

(図は bd-home さんのブログから引用)

「千姫の化粧櫓」「播州皿屋敷のお菊の井戸」 姫路城は見どころも満載なのに、あまりにも広くて十分に時間をかけないと全部を堪能できない。見たはずなのに写真がなかったり、せっかくの見どころに気づかなかったり。今度訪れるときはしっかり予習してきっちりと!

2015.8.13


日本100名城・松本城

2024年12月07日 | 

松本城は、石川氏が築いた漆黒の天守
所在地:長野県松本市
別名:深志城(ふかしじょう)
城地種類:平城
築城年代:文禄2~3年(1593~94年)
築城者:石川数正・康長
主要城主:石川氏、小笠原氏、戸田(松平)氏、松平氏、掘田氏、水野氏
天守の現状・形態:五重六階、木造(現存)

黒漆塗りの下見板張の天守群はどこから見ても美しい
天守と乾小天守を渡櫓で結ぶ石垣造の近世城郭を築造したのは石川数正・康長父子
本丸正門の復興された黒門は侵入者が直進できない枡形門で、一の門が櫓門、二の門は高麗門になっている
藩の政庁だった二の丸御殿跡は規模・間取りが分かるように史跡公園として平面表示されている
二の丸御殿跡北西隅の御金蔵蔵も必見

主な遺構
天守、乾小天守、渡櫓、辰巳付櫓、月見櫓、本丸、二の丸、堀

東から見た天守群
大天守と乾小天守が渡櫓で連結し、辰巳付櫓と月見櫓(朱塗り欄干付き)は大天守と複合している

大天守と乾小天守、その両者をつなぐ渡櫓は、戦国時代末期に、豊臣秀吉の家臣、石川数正・康長父子により、関東の徳川家康の監視という役割を負って築造された

天守一階
天守の壁の下部は「黒漆塗の下見板」、上部は白漆喰仕上げ
天守の壁は一・二階で約29cmと厚く、火縄銃の弾丸を通さない
石落は、石垣を登る敵兵に石を落としたり熱湯をかけたりして天守を守る装置、戦国末期にはここから這い上がる敵兵に火縄銃を撃った
大天守・渡櫓・乾小天守各一階に合計11か所の石落が備えられている

天守二階の武者窓・堅格子窓
格子に使われている部材は13×12cmで、ここからも火縄銃を撃った

天守三階
下から二重目の屋根が三階の周囲を巡ってつくられているため窓がない、乾小天守も同様
隠し階、暗闇重と呼ばれる

天守四階・御座所
城主が天守に入ったときはここに座を構えたと考えられている、客人の接待場所ではない
戦時に城主がここに籠もる場合は天守も戦闘の最終局面

天守五階は作戦会議室
東西に千鳥破風、南北に唐破風が取り付けられ、武者窓から全方向の様子を見ることができる

天守六階
屋根裏は太い梁が井の字に組まれる井桁梁(いげたばり)で、四方へ出て軒をつくる垂木(たるき)の下に、さらに太い桔木(はねぎ)が外側に向かって放射状に配置されている
これは、天守最上階の重い瓦屋根の軒先が下がらないように支えるため、てこの原理を使った「桔木構造」という装置

天守から見た埋門

天守最上階から見た東方面・本丸御殿跡

天守最上階から見た北方面

埋橋

西側から見た松本城

辰巳付櫓の華頭窓
泰平の世になって増設された櫓、月見櫓を天守に付設するための連結の役割をもつ
華頭窓は中国から鎌倉時代に伝えられた仏教建築の様式、乾小天守の四階にもつけられている

月見櫓の舞良戸(まいらど)
徳川家光は寛永11年(1634年)に上洛し、その帰り道に善光寺参詣を願い、宿城として松本城を当てた
時の松本城主・松平直政は、急遽寛永10年(1633年)から普請にかかった
家光は中山道木曽路等に落石があり、来松しなかった

戦いのない江戸時代初期に築造された、戦いに備えて造られた天守とは大きな違いがある
月見櫓の北側、東側、南側の三方向が開口部だが、柱と舞良戸という横に桟を打った薄い板戸だけの建物
月見をするときは、舞良戸を外し、畳敷きの部屋で東から昇る月を愛でた
月見櫓の三方を朱色の漆が塗られた刎ね勾欄(はねこうらん)を施した回縁が巡り、見るからに泰平な世の建造物

どの方向から見ても美しい! 今度はできれば晴天の日に…

 

2018.12.23


日本100名城・犬山城

2024年12月05日 | 

犬山城は、木曽川に臨む三層の国宝天守
所在地:愛知県犬山市
別名:白帝城
城地種類:平山城
築城年代:天文6年(1537年)
築城者:織田信康
主要城主:織田氏、小笠原氏、成瀬氏
天守の現状・形態:望楼型、三重四階地下二階、木造(現存)

犬山城は織田信長の叔父信康が尾張と美濃の国境に築城したことに始まる
元和3年(1617年)から尾張徳川家の付家老成瀬正成が入城し、以後、明治維新まで同家が城主をつとめた
縄張は背後の北が木曽川で、丘陵頂部に本丸を配し、以下、南へ杉の丸、樅の丸、桐の丸、松の丸を並べた後堅固の城である
平成16年(2004年)まで成瀬家の所有であったが、現在は公益財団法人犬山城白帝文庫が所有している

主な遺構:天守、石垣

標高85mの丘陵上に築かれた城の背後は、木曽川に面した絶景である
樅の丸下には空堀が残っている

白帝城という別名は江戸時代の儒学者、荻生徂徠が名付けたとされ、木曽川沿いの小高い山の上にある様子が、八世紀の中国の詩人、李白の詩に出てくる白帝城(中国・重慶市)を想起させたことに由来

三層四階地下二階(屋根を数えるのが層、床を数えるのが階)で、二重櫓の上に小さな望楼を載せた古式ゆかしい望楼型天守
三階が入母屋屋根の中にあるため、外観は三層に見える
唐破風と望楼の高欄が特徴
望楼の開き戸両脇の窓(華頭窓)は木組で作られた装飾

天守入口の守りを固める付櫓台のごつごつした野性的な野面積が古武士の風貌を思わせる

地下二階
正面石垣が天守入口、入るとすぐに地下一階への階段がある

階段部意外の3面は石垣、この階までが石垣の内部

一階
南東と北西に付櫓がある
中央部に四室が配置され、その周囲は武者走り四室のうち南西にある上段の間は床が一段高い畳敷で、室内には床、棚などを設けている

二階
中央に武具の間があり、その周囲を武者走りが廻る
武具の間の東・西・北には武具棚を設けてある

三階
入母屋屋根の中にあり、望楼部分の下部になる東西に入母屋破風、南北に唐破風が張り出し、内部の小部屋になっている

四階
最上部の望楼部分、周囲を廻縁と高欄が巡る
中央の高欄の間には絨毯が敷かれていた

三階の唐破風から見下ろした木曽川

四階の廻縁から見下ろした木曽川

木曽川の手前から見上げる犬山城は絶景
犬山城から見下ろす木曽川もまた絶景

犬山城下にはスイーツや名物のグルメ店が多いということ
お城ももう一度じっくり味わいたいけれど
城下町をゆっくり散策してみたい

 

2015.8.17
2019.8.15


日本100名城・白河小峰城

2024年11月07日 | 

白河小峰城は、名築城家丹羽氏が築いた石垣多様の城

所在地:福島県白河市

別名:小峰城、白河城

城地種類:平山城(梯郭式)

築城年代:興国~正平年間(1340~69年)、寛永6~9年(1629~32年)

築城者:結城親朝、丹羽長重

主要城主:白河結城氏、丹羽氏、榊原氏、本多氏、松平(奥平)氏、松平(結城)氏、松平(久松)氏、阿部氏

江戸時代に丹羽長重が大改修した城郭の見どころは、石垣。本丸内部からだけでなく、北側の水堀越しから落葉時によく見える帯曲輪の石垣も見事。

清水門跡を入って突き当たりの高石垣の左やや上方に半同心円状に積まれた部分がある。この部分を含め10か所の石垣が平成23年(2011年)の東日本大震災で崩れたが、平成31年(2019年)春に被災箇所の復旧が完成した。

主な遺構:本丸、竹之丸、帯曲輪、二之丸、石垣、堀

二之丸跡

内堀跡

外堀跡

月見櫓跡周辺の石垣

清水門跡が工事中のため、今回は月見櫓跡に階段が設けられて本丸跡への入り口になっている

帯曲輪門跡

桜之門跡

狭い石段を上り右に曲がると両側を石段ではさまれた通路で、背後と合わせて三方から敵を制圧できる

本丸跡

藩主の居所と政庁を兼ねた御本城御殿(本丸御殿)があった。畳数は707畳という記録がある。

多門櫓跡

富士見櫓跡

雪見櫓跡

西方に那須連山を望む

三重櫓

本丸の北東隅に立つ三層三階の櫓は天守の代用であり、小峰城のシンボル。江戸時代の絵図などに基づいて木造で復元された。外観は黒塗りの板を張った下見板張で、一・二層目に石落としが設けられている。

前御門

本丸の大手口にあたる正門として、裏門にあたる桜之門とともに本丸を守る役割。石垣の上に櫓を渡した櫓門の形式で、多門櫓と連結されていた。

多門櫓跡から二之丸跡を見渡す、手前は清水門跡(復元工事中)

竹之丸跡

おとめ桜

三重櫓が立っている櫓台の上から

三重櫓一階

石落とし

鉄砲狭間

稲荷山の大杉に残された鉄砲玉の跡

二階への階段

三重櫓二階

チョウナによる「はつり跡」

三重櫓三階

三階から南側の眺望、二之丸跡と手前は前御門の屋根

三重櫓と前御門

富士見櫓跡~西側の石垣

本丸西側の石垣、復旧された部分には草が生えていない

雪見櫓跡~北西側の石垣

三重櫓の北側石垣

一部が積石が不定形という特徴があり、慶長年間(1596~1615)頃のもので小峰城跡で最古の石垣と考えられる

矢之門跡と矢之門二重櫓跡

清水門跡

本丸と二之丸をつなぐ重要な門、櫓門の形式で、小峰城内では大手門と並ぶ最大規模の門

小峰城は小さいお城だから30分もあればさらっと見られる、なんて言うのは嘘!

本丸をぐるっと囲む石垣の見事さ!石材の積み方が様々でユニーク、見ていて飽きない。震災後、何年もかけて復旧工事を行って現在の姿があると思うと尚更に感慨深い。

天守代用の三重櫓は木造、「白河城御櫓絵図」をもとに忠実に再現されているという。櫓内に余計なコマーシャルがないのが凄く好ましい。

2時間以上かけてお城跡を歩いたのに、まだお堀の外側から帯曲輪跡を見ていない。移築された旧太鼓櫓も見ていない。

清水門跡は再来年3月末に工事が終了する予定とか。満開の桜と一緒に、復元完成した清水門と本丸正面の石垣が見られるはず、待ち遠しい…!

11月3日は晴天の特異日。お城の上に雲ひとつない青空が広がっていた。

2024.11.3


日本100名城・二本松城

2024年11月05日 | 

二本松城は、中世と近世が同居する石垣の城

所在地:福島県二本松市

別名:霞ヶ城、霧ヶ城

城地種類:山城→平山城

築城年代:応永21年(1414年)、天正18年(1590年)、寛永4年(1627年)、寛永20年(1643年)

築城者:畠山満泰、蒲生氏郷、加藤明利、丹羽光重

主要城主:畠山氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、丹羽氏

天守の現状・形態:天守台のみ残る

 

二本松城は畠山満泰が築いた中世の山城がはじまり。後年、加藤氏が近世城郭に改修し、さらに丹羽重光が入封して山麓に三の丸御殿や箕輪門を建て、城下町を整備した。つまり、二本松城は山上に中世山城、山麓に近世城郭と2つの顔を持つ城。見どころは本丸、三の丸の高石垣と本丸直下の大石垣。

 

主な遺構:本丸、三の丸、石垣、屋敷跡、蔵跡、井戸跡

 

大手門跡、通称は坂下門

三の丸石垣

再建された多門櫓と箕輪門、二階櫓

山麓の御殿表門に再建された枡形になった門、ただし現存する絵図には二階櫓は描かれていない

三の丸内部から見た箕輪門と付け櫓

三の丸へ向かう塀重門跡

箕輪門北側の石垣上に土塀の代わりに植えられた赤松、樹齢は350年を越える


本丸東櫓台石垣

角面の石垣から蒲生氏、加藤氏、丹羽氏の石積みが認められている


枡形虎口、東櫓台

本丸の右にある東櫓台

本丸跡

左側は西櫓台、右側が天守台

本丸跡から城下を眺める

西櫓台

天守台は標高345m

天守台から眺める安達太良山

本丸西側石垣

この整備された石垣の内部に、旧石垣が現状のまま埋め戻され保存されている

本丸天守台石垣

本丸真下の大石垣、野面積み

二本松城に築かれた最も古い石垣のうちのひとつ、築石は野面石(自然石)と荒割石、積み方は古式の「穴太積み(あのうづみ)」


日陰の井戸

本丸南側直下につくられた石組の井戸、井戸の深さは16m、井戸底の岩盤をえぐって北に14m延びていて、今でも豊富な湧き水を溜めている

千葉県印西市の月影の井戸、神奈川県鎌倉市の星影の井戸と並ぶ「日本の三井(さんい)」

搦手門跡


本丸の西側の山道を下りていくと丹羽家の菩提寺・大隣寺がある、春先に見事な枝垂れ桜を咲かせていた

今、二本松城の三の丸跡では菊人形展が行われていて、にぎやかな音楽が本丸まで聞こえている

搦手門跡にはキッコウハグマが群生していた

二本松城には天守台が再現されているけど、天守が築かれていたことは確認されていないとか

でも、山頂の本丸跡と石垣は十分にすばらしくて、次のときは山の中の石段を登ってみようかとさえ思ってしまう…

2024.10.31