海月美紗のおでかけ日記

おでかけ大好きです
見つけた小さな“happy”を記録していきます

日本100名城・松江城

2024年11月02日 | 

松江城は、戦国の気風を伝える天守の城。

所在地:島根県松江市

別名:千鳥城

城地種類:平山城

築城年代:慶長16年(1611年)

築城者:堀尾吉晴(藩主は忠治)

主要城主:堀尾氏、京極氏、松平氏

天守の現状・形態:複合式望楼型、四重五階地下一階、木造(現存)

関ヶ原の戦いの論功行賞で堀尾吉晴が嫡子忠氏とともに入封して築城した城。

天守は山陰地方に現存するただ1つの天守。敵を欺くような石落とし、総桐の階段、井戸を設置するなど、天守内部での戦闘を想定した防御策がとられた実践的な天守。

主な遺構

天守、櫓群、本丸、二の丸、石垣、堀

馬溜跡から見る中櫓

大手門内から見る太鼓櫓

現存12天守のひとつ。平成27年(2015年)7月、国宝に再指定された。二重櫓の上に二重櫓を載せた四重五階の望楼型天守。手前は付櫓。下見板張の様式が古式を伝え、唐破風はなく、すべてが入母屋破風。90を超す鉄砲狭間や内部に井戸まで備えた戦闘的な天守。

鯱は木彫り銅板張り。左がやや大きく雄で鱗が荒く、右が雌。

最上階の五階は高欄を巡らし四方を360度展望できる望楼。

入母屋破風と蕪懸御魚。破風板も懸魚も塗り籠められていない古式。各層の屋根の隅々にある鬼瓦は、1枚ごとに異なった奇妙な表情をもつ。

三層の中央に花頭窓。

天守入口の防御を固くするためにとりつけた附櫓(つけやぐら)は、石落しと鉄砲狭間を備えている。

塗籠造り(白壁)は少なく、大部分が黒く厚い下見板張。黒い染料は湿気防止の柿渋やすす、漆を混ぜたもの。

天守台は高さ約7m。切り出されたときの矢穴が残る未加工の石を積み上げてある。

現存天守では唯一、天守内に井戸がある。かつては24mの深さがあったが、現在は半分が埋められている。

天守地階に昭和の修理の際におろされた古い鯱が展示されている。日本現存の木造鯱では最大。

包板(つつみいた)で覆って、鎹(かすがい)や鉄輪(かんなわ)で留められた柱。天守の柱308本のうち130本に施されている。

2階、石落とし

2~3階の階段に見られる通し柱。木材不足が原因。心柱を使わない2階分の短い通し柱を配置して天守を支えている。天守の柱308本のうち96本が通し柱。

格子窓。窓に太い格子を縦に取り付け、外から内部が見えにくくした。鉄砲を広角に撃てるように格子は♢型に取り付けられている。窓の外には突き上げ戸。

3階の南北張出部にある花頭窓。質実な造りの中で外観上のアクセント!

4階に至る階段の上り口。藩主用と小姓用の上り口が別々。

4階、梁の上から立ち上がる柱。柱と梁を逆T字に組み合わせ、短い柱を利用して建物の中心に荷重がかからないように工夫。

1~4階の階段には防火・防腐のために桐材を使用。4階から5階への階段は栗材を多用。

天守最上階から南の方向に見える宍道湖

「ぐるっと松江 堀川めぐり」大手前乗船場

松江城を囲む約3.7kmのお堀を屋根付きの小船で巡ることができる「堀川めぐり」、所要時間は約50分。地上では見ることができない水上の風景がゆったりと広がって、感動的!

松江城内に植えられた木々の中を静かに進む。木漏れ日がさして、水鳥や亀たちの姿もすぐそこに…

幽霊のレリーフ! 小泉八雲の記念館や旧居が近くにある。お堀脇にきれいな花が植えられていて風情たっぷり!

遊覧船の航路には17の橋がかかっている。低い橋の下を通るときは船の屋根がぐっと下がり、体をかがめてくぐり抜ける。橋と船がぶつからないかとドキドキわくわく…

お堀の向こうに小さく天守が見え、だんだん近づいてくる。水上から見上げる天守は、地上から見るのとは一味違って、また格別!

松江城は昭和10年に国宝の指定を受けたが、昭和25年に重文に格下げ、平成27年に再度国宝に指定された。松江神社から「棟板」が発見されて、慶長16年の天守完成が証明されたから。

松江市は今もなお「大手門」を復元するための資料を探しているという。懸賞金額は500万円。

松江城は美しく質実剛健。そして、2度国宝に指定されたという奥深い歴史がまた魅力的…

もう一度、天守の木造の雰囲気を味わいたいなぁ… 途中下車しながら堀川めぐりをしたいなぁ…

2014.8.18/2019.4.28

 

 

 

 


日本100名城・彦根城

2024年10月30日 | 

彦根城は、徳川譜代の重鎮井伊家の居城。

所在地:滋賀県彦根市

別名:金亀城(こんきじょう)

城地種類:平山城

築城年代:慶長9年(1604年)

築城者:井伊直継・直孝

主要城主:井伊氏

天守の現状・形態:望楼型、三重三階、木造(現存)

徳川四天王の一人、井伊直政は関ヶ原の戦い後、佐和山城に入ったが、新城を築く前に没した。嫡子直継の代に他大名を助役として動員する天下普請で彦根山(金亀山)に築城を開始したのが慶長9年(1604)。以後、大坂の陣(豊臣氏滅亡)を挟んでからは、彦根藩単独で整備を進め、18年かけて完成したのが現在の姿。戦国の気風の残る実践的な城。


主な遺構

天守、天秤櫓、太鼓門櫓、西の丸三重櫓、二の丸佐和口多聞櫓、馬屋、本丸、西の丸、山崎曲輪、太鼓丸、鐘の丸


表門橋

表門参道

越前(現在の福井県北部)の石工たちが築いたと伝わる築城当当初の「打ち込みハギ積み」

幕末の嘉永年間に積み替えた切石の「落し積み」

大堀切から天秤櫓と廊下橋を見上げる

天秤櫓は太鼓丸入口の櫓門、左右の隅櫓の棟の向きが異なる。橋の下が巨大な堀切になっていて、通路でもある。長浜城の大手門を移築したと伝わる。

時報鐘

太鼓門櫓

三重三階の国宝天守。屋根は入母屋破風、唐破風、切妻破風と多彩。二重目の金箔の飾金具が荘重さを増す。

天守内部

天守最上階より琵琶湖を望む

西の丸三重櫓

彦根城博物館

ひこにゃん

彦根藩井伊家二代当主・井伊直孝公をお寺の前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる「招き猫」と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備えの兜を合体。

毎日、彦根城周辺に登場して、観光客を迎える。ひこにゃんの趣味は、彦根城周辺や彦根市内を散歩することらしい。

現存する木造天守、もちろん国宝。

屋根に18個もの破風。唐破風は漆塗りで金箔押しの飾り金具付き。入母屋破風・切妻破風には塗籠められた梅鉢懸魚。2階と3階に花頭窓、3階に高欄つきの廻り縁。

外観がとても変化に富んでいておしゃれ、非常に美しい。ゆる~い動きで癒やしてくれるひこにゃんの愛らしさも加わって、彦根城は私の No.1 のお城!

2015.8.8/2017.5.20/2019.8.13


日本100名城・多賀城

2024年06月24日 | 

多賀城は、724年に大野東人(おおののあずまひと)によって創建され、陸奥国を治めるために国府が置かれた。

現在は、発掘調査成果をもとに環境整備が進んでいる。奈良県の平城京跡、福岡県の太宰府跡とともに日本三大史跡のひとつ。

△多賀城外郭南辺の築地塀と櫓跡

△築地塀北側の低湿地、現在は「あやめ園」になっている。

△外壁南門(再建中)

外壁南辺のほぼ中央。多賀城の正門にふさわしい二階建ての豪華な造り。

△多賀城碑と覆屋

△政庁跡から外郭南門跡へ、南北にまっすぐ通じる城内のメインストリート。政庁南門の前は傾斜がきつく、階段を登るのがけっこう大変。

△政庁跡

約900m四方の城内、とにかく広い。看板写真を見て、やっと全体像と自分の位置がつかめる。

△政庁南門跡

△政庁正殿跡

多賀城のほぼ中央に位置している。東西103m、南北116mの築地塀で囲われ、重要な政務や儀式が執り行われた。

△政庁復元模型と建物配置図

△政庁東殿跡

△政庁跡から外壁南門を見下ろす。高台にあり、風が心地よい。とにかく広くて威厳がある。

その向こうに広がる街並み。昔、蝦夷と呼ばれた人々は、どんな思いでこの多賀城を見上げていたんだろう。そして、歴史はどんなふうに展開されてきたんだろう。

政庁跡に桜の木が植えられている。桜の咲く頃になったら、この広い城趾を散策しながら1300年前の陸奥国に想いを馳せるのもよいと思った。

2024.6.21


続日本100名城・白石城

2024年06月14日 | 

白石城は、仙台市の南西・白石市の中心部に位置していた平山城。

△1602年以降、仙台城の支城として伊達家家臣・片倉氏が代々居城。1615年の「一国一城令」後、他藩の支城が取り壊される中で例外的に存続が認められていたという。

明治時代の「廃城令」で解体されたが、1995年に三階櫓(天守)と大手門が復元された。

△復元された大手一ノ門

△復元された大手二ノ門

△復元された天守(三階櫓)

一国一城令で特例として存続を認められた白石城では、天守に相当する櫓を「大櫓」と呼び、「天守」とは呼ばなかったという。

△天守1階

天守の内部、木造での復元が特別に許可された。戦後の木造復元天守では、高さ・広さとも日本最大級ということ。

△天守3階

外の気温は30℃を越えるが、天守の中は木の床がさらっとしていて、四方の大きな窓から吹き抜ける風が心地よい。

△本丸御殿跡

△大手一ノ門・大手ニノ門

△東には白石市の街並みが、西には遠く蔵王連峰が見渡せる。

△すこぶる急な階段。上りはまだいいが、下りは1段ずつ慎重に。

△天守と大手二ノ門

△本丸跡外郭石垣

石垣も明治時代に解体され、今は基底部だけ残っている。大雨や地震などで崩れ、たびたび修復を繰り返したので北側と南側で石の積み方が違っている。

△当信寺山門として移転された、白石城「東口門」

△東口門跡

△延命寺山門として移転された、白石城「厩口門」

△厩口門跡

 

 

△今回のドライブ、一番のめあては梅花藻。

白石城の外堀・沢端川のせせらぎは本当にきれいで、梅花藻の白い花が水の流れに揺れていた。何の魚だろう、気持ちよさそうに泳いでるのが見えた。

気温は32℃、でも、白石城と沢端川で心地よい涼風を感じることができた。今日もすこぶる Happy !

 


日本100名城·仙台城

2024年06月10日 | 

1600年に伊達政宗が標高約130mの青葉山に築城した仙台城。別名は青葉城。

△仙台城は東も南も断崖、西は山という自然の利を生かした天険の城。将軍家康に敵意のないことを示すため、あえて天守閣を築かなかったという。

△本丸に至る登場路は2つ。巽門・清水門・沢門を通るものと、大手門・中門を通るもの。

△大手門跡:2階建・瓦葺の豪壮な建物だった大手門は1945年の仙台空襲で焼失。伊達政宗の没後400年にあたる2036年を目標に復元する計画が進んでいる。

△大手門脇櫓:一部2階建の建物だったが、大手門とともに焼失。脇櫓のみ1967年に再建された。

△大手門北側土塀:大手門が焼失したときに被災を免れた、現在仙台城に残る唯一の建造物。

△清水門跡:巽門から沢門に至る上り坂の途中にあった2階建の門。付近に湧水があったらしい。野面積みの石垣が残っている。

△沢門跡に至る道脇の石垣。すこぶる急な坂道。下るのはまだいいが、登るのは…おまけに遠い。

△本丸詰門跡:本丸北側に設けられた正門。門の両脇にあった3階櫓は1646年の地震で被災。門の礎石だけが残っていたが修復工事中。

現在は、本丸跡に造られた護国神社の鳥居が建っている。

△大広間跡:本丸跡の北側に位置する大広間は約430畳あり、「千畳敷」といわれた。本丸御殿の重要な建物で、ここで藩の政治や儀式を行った。

△本丸北壁石垣:四角く加工された切石を使用した布積みの石垣。最も高いところは17m、美しいそりを持つ。急な坂道をはぁはぁと登ってきて、この石垣を見上げると達成感を味わえる!


△青葉山の麓から見えていた、あの石垣!

△子門跡:現在は、三の丸跡に建てられた仙台市博物館への入り口になっている。木造2階建・瓦葺の門だったが、今は石垣だけが残っている。

△長沼と三の丸跡東側土塁:南北の長さ約252m、深さが約4.5mの堀。土塁の高さは約3.6m。

△伊達政宗公騎馬像

△伊達政宗和歌詠草「入そめて」

入そめて 国ゆたかなる みきりとや

千代とかきらし せんたいのまつ

伊達政宗が仙台の末長い繁栄を願って読んだ和歌。

△青葉城址から見える仙台の街。「杜の都仙台」は、現在人口100万人を越す政令指定都市。歴史があり、自然が豊か季候も穏やか、文化的な住みよい街。

独眼竜政宗は今も青葉城趾からこの街を見渡し、その発展を願っているに違いない。

△予備校の送迎で仙台市内には随分通ったんだけど…一度は住んでみたかった!

2024.6.7