海月美紗のおでかけ日記

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1月30日(木)松川浦・ふたつの塩釜神社

2025年01月30日 | 神社仏閣

相馬市の松川浦の近くに2つの塩釜神社が鎮座する。御祭神は塩土翁命。

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【岩子塩釜神社】

岩子漁港をさらに東に進んだ道路沿いに社号標と鳥居。社殿は高台の上。目の前に松川浦が広がる。

鳥居をくぐって階段を登り切ると、灯籠の手前に小さな狛犬が1対。

向かって右側が吽形、左側が阿形の玉取り。昭和4年の建立。太い足が力強い。

社殿と扁額、九曜の御紋。

延元3年・歴応元年(1338)に勧請。その後歴代相馬藩主によって手厚く保護され、文化元年(1804)に九曜紋の永代使用を許可された。

晴れた日には水平線の向こうに金華山が見えるので、ここから遙拝が可能。

境内から、松川浦に浮かぶ沖賀島と文字島がすぐそこに見える。「松川十二景和歌」の歌碑が2基並ぶ。

社殿は高台にあるから震災時の津波を免れた。階段下の道路沿いにはたくさんの民宿や民家があったが流されてしまった。松川浦を見渡せる君たちは、その恐ろしい光景を目の当たりにしたのかい?

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【和田塩釜神社】

松川浦に注ぐ小泉川の北側、山の中に鎮座する。木立で見えないが、社殿の北側には松川浦が広がっている。

社号標と一の鳥居。鳥居の近くには榊、参道の両側には椿が植えられている。

二の鳥居の前に狛犬が1対。昭和15年(1940)の建立。

向かって右側が吽形、左側が阿形。凜々しい表情と厚い胸板が特徴的。

2体とも尾が折れている。吽像の尾は修復されているが、阿像の尾は行方不明。

石段の上に拝殿、石製の扁額。

本殿の覆屋と九曜紋。

「下総行徳住人 玄番墓」の碑。元和元年(1615)、相馬地方に製塩技術を伝えた堀内玄番がここに祠を建てて祀られていたが、やがて塩釜神社に合祀され現在に至るということ。

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松川浦は砂州のある潟湖、緑の松が白い岩肌に映える島の浮かぶ景勝地として有名。第五代相馬藩主相馬昌胤が「松川十二景和歌色紙帖」を作り、40年程前に相馬市が歌碑を設置した。震災時の大津波で海岸線沿いの松原は壊滅、歌碑のいくつかは流出…

松川浦では昔から製塩事業が行われていたが、明治時代以降は海苔やカキ、アサリの養殖へと移行してきた。震災後しばらく見ることができなかった海苔棚も、10年が経ってやっと復活し始めた。

時間は流れ、時代は移り、松川浦の景色や人々の生活は変化してきた。でも、社を大切にし神を祀る気持ちは昔も今もきっと変わらない。