海月美紗のおでかけ日記

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小松寅吉と狛犬たち

2024年12月24日 | 神社仏閣

小松寅吉(弘化元年1844~大正4年1915・72歳)

明治時代、福島県内で活躍した石像彫刻家。高遠藩を脱藩して福島に住み着いた石工・小松理兵衛に弟子入りし、理兵衛の長男の養子として小松家に入籍、小松布孝(のぶたか)を襲名した。技巧を凝らした石彫刻作品を多数残し「奇巧の石工」などとも呼ばれる。一番弟子の小松和平とともに、特に、狛犬(獅子像)彫刻を芸術にまで高めた名工として知られている。

寅吉は現石川町山形の高原家の長男として生まれた。しかし、長女が婿養子をとって家督を継いだため、寅吉は近隣の福貴作で石工をしていた小松利平のもとに丁稚奉公へ。

慶応2年(1866)22歳のとき、利平の長男・彦蔵と養子縁組。しかし、戊辰戦争(1868~1869)・神仏分離令(1868)による廃仏毀釈など、明治時代前半は石造文化不毛の時代。寅吉の20~30代は、苦しい修行と波乱の時代に耐える日々。

寅吉は、親方・利平が存命中は自分の名前を彫らなかった。利平は脱藩して身を隠している。親方が自分の名前を刻まないのに、弟子の自分が刻むわけにはいかなかった。

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関和神社(泉崎村)の狛犬

明治20年(1887)

寅吉作と推定(銘はない)

阿像・吽像

阿像の肩に牡丹、吽像の足元に子狛

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寅吉が作品に名前を彫るようになったのは、利平が没した明治21年(1888)の後。

明治25年寅吉48歳、川田神社に寅吉自身が狛犬を奉納。「我こそ石工・小松家を継いだ小松布孝」と宣言した記念すべきお披露目作。「布孝」は師匠・利平の父親の雅号、「布」の字は小松家の石工である証。

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川田神社(中島村)の飛翔獅子

明治25年(1892)

阿像・吽像

台座の記銘「石工小松布孝作之」

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川田神社の狛犬が「飛翔獅子」のはじまり。後ろ脚を宙に浮かし、獅子が飛翔しているように彫り上げるスタイル。蹴り上げた後ろ脚を支える部分に牡丹の花をあしらい、全体として違和感がないように見せている。さらに、雨水がたまらないように、重心がかたよらないように隙間を作る工夫も。名工寅吉の名が一気に広まった。

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新地山羽黒神社(白河市)の狛犬

明治26年(1893)

阿像・吽像

吽像を見上げる子狛

記銘「福貴作 石工 寅吉作」

灯籠 明治26年(1893)狛犬と同じ年

楽翁公歌碑石柵、内側の逆立ちした獅子

明治30年(1897)の作品、狛犬・灯籠を制作した4年後… 寅吉のプライドをかけた怪作

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熊野神社(鮫川村)の飛翔獅子

明治31年(1898)

阿像・吽像

阿像のアップ、吽像と子獅子

阿像・吽像の後ろ姿

台座の記銘「福貴作 石工 小松寅吉」

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熊野神社の狛犬はやや小ぶりだが、寅吉が残した3対しかない飛翔獅子のひとつとして貴重な作品。銘は「布孝」ではなく「寅吉」を使用。

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鹿島神社(白河市東)の飛翔獅子

明治36年(1903)

阿像・吽像

阿像・吽像のアップ

阿像・吽像の後ろ姿

阿像を見上げる子獅子

記銘「福貴作 石工 小松布孝 敬作」

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ねぶたを思わせる豪壮なデザイン。獅子が乗る雲型の台も獅子本体と一体で、ひとつの巨大な石から掘り出されている。寅吉がいちばん脂ののっていた時期に彫り上げた傑作。

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鹿島神社の鳥居も寅吉の作品、明治36年(1903)飛翔獅子と同じ年

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「木に彫れるものは石にも彫れる。俺は奥州一の石工・小松寅吉だ」という常識破りで負けず嫌いな性格。

寅吉の傑作は数多い。母畑・元湯温泉神社の社殿、玉川村・須釜神社の灯籠、須賀川牡丹園の狛犬・天宇受売命像… まだまだ見たい作品がたくさん。

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写真は令和6年(2024)11~12月に撮影したもの。寅吉の写真は wikipedia から、説明の文は「改訂新版 神の鑿 たくきよしみつ」から引用。


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