4月の入学シーズンになると 決まって聞こえてくる歌。
「1年生になったら~1年生になったら~
友達100人出来るかな~」
楽しそうな前向きの歌だが、ひねくれ屋の自分は
毎年 この歌聞く度に、ちょっと首ひねる。
友達って多いほどいいものなのか~?と・・・
大人は子供に
「誰とでも仲良く」
「誰とでも合わせて」という友達理想論をつい言ってしまうが
じゃあ、言っている大人たちはどうか?と問われれば・・・
自分なんか うーーーんと唸るしかない。
別に攻撃的になれとか友達作るなとかではないけれど
額に汗して作るものでもない、友達って・・・・
ひねくれ屋でくっらーーーい自分に似ているのか
うちの息子どもも、そんなに多くの友達がいないような・・・
まあ、親だけが交友関係に疎いっていうのもあるけど・・・
特に変わりもんの象徴のような次男はひどかった。。
小学校時代は年賀状3枚なんていう年ばかりで・・・
1枚は担任の先生、1枚はお義理で出してくれる
赤ん坊の時からの幼なじみ。そしてもう1枚は
唯一の因果関係のない純な友達・・・
結局因果関係を除くと、たったの1枚。
これには、さすがの自分も小さい頃こんなにひどくは
なかったから、ううーーーんと違う意味で唸ってしまった。
友達いないって いない側にも原因がある時も多い。
一体、次男は学校でどんな性格悪い事しているのだろうかと
本気で心配もした。
ただ基本的に たった3枚だったというそれだけが悪いと
決めつけるのだけは、やめておこうとも思っていた。
友達は数じゃない。大勢の中で群れて楽しそうにしてても
全く楽しくない時もある。
子供には一人でもいい。何年かかってもいい。
今じゃなくてもいい。
自分のために泣いてくれる、そんな友達が出来たら
それは宝だ、本当に大事にしろと言っている。
人は結構 楽しい事は共有出来ても 苦しさや悲しさは
なかなか共有は出来ない。
自分も次男同様、変わりもんで人見知りで 今でも
学生時代とかバイト時代、会社時代の友人は
たったの数人程度。でも、今はおばさんになったせいか
逆に本当に良い友人達に出会って良かった~なんて思う。
よく女の人は、ずっと会わなくなると友達じゃないなんて
聞くけれど、それは この男女おばさん、全然ないのだ。
どんなに離れて住んでても、家庭環境が変わっても
母親となっていようがなってまいが、結婚してようが
してまいが、1年に数回程度だけど 会えると超嬉しい。
時間忘れ、笑い、時には年取ったせいか健康談議や
社会問題を真剣に語りあう。
独身時代と違って時間は限られるけど、帰りの電車中で
窓にうつった、おばさんの自分に
「今日は良い日だ」なんてにんまりしてしまう。
あの 友達100人の歌を否定する訳じゃないけれど
焦らず、ゆっくり、来る者拒まず自然にしていれば
「出来るかな」じゃなく「出来るよ」となるのでは。。
とりあえず、そう教えてきた訳ではないが
あの変わりもんの次男ですら、中学に入って
ちらほらと友達がいるような感じで(ここは希望的観測だが)
一応、年賀状も格段に増えてきた。
まあ、お義理もたくさんあるだろうが(汗)
友達は、他人と比べるものでもなく数でもなく
最終的には、自分の宝になれば一番なのである。
「1年生になったら~1年生になったら~
友達100人出来るかな~」
楽しそうな前向きの歌だが、ひねくれ屋の自分は
毎年 この歌聞く度に、ちょっと首ひねる。
友達って多いほどいいものなのか~?と・・・
大人は子供に
「誰とでも仲良く」
「誰とでも合わせて」という友達理想論をつい言ってしまうが
じゃあ、言っている大人たちはどうか?と問われれば・・・
自分なんか うーーーんと唸るしかない。
別に攻撃的になれとか友達作るなとかではないけれど
額に汗して作るものでもない、友達って・・・・
ひねくれ屋でくっらーーーい自分に似ているのか
うちの息子どもも、そんなに多くの友達がいないような・・・
まあ、親だけが交友関係に疎いっていうのもあるけど・・・
特に変わりもんの象徴のような次男はひどかった。。
小学校時代は年賀状3枚なんていう年ばかりで・・・
1枚は担任の先生、1枚はお義理で出してくれる
赤ん坊の時からの幼なじみ。そしてもう1枚は
唯一の因果関係のない純な友達・・・
結局因果関係を除くと、たったの1枚。
これには、さすがの自分も小さい頃こんなにひどくは
なかったから、ううーーーんと違う意味で唸ってしまった。
友達いないって いない側にも原因がある時も多い。
一体、次男は学校でどんな性格悪い事しているのだろうかと
本気で心配もした。
ただ基本的に たった3枚だったというそれだけが悪いと
決めつけるのだけは、やめておこうとも思っていた。
友達は数じゃない。大勢の中で群れて楽しそうにしてても
全く楽しくない時もある。
子供には一人でもいい。何年かかってもいい。
今じゃなくてもいい。
自分のために泣いてくれる、そんな友達が出来たら
それは宝だ、本当に大事にしろと言っている。
人は結構 楽しい事は共有出来ても 苦しさや悲しさは
なかなか共有は出来ない。
自分も次男同様、変わりもんで人見知りで 今でも
学生時代とかバイト時代、会社時代の友人は
たったの数人程度。でも、今はおばさんになったせいか
逆に本当に良い友人達に出会って良かった~なんて思う。
よく女の人は、ずっと会わなくなると友達じゃないなんて
聞くけれど、それは この男女おばさん、全然ないのだ。
どんなに離れて住んでても、家庭環境が変わっても
母親となっていようがなってまいが、結婚してようが
してまいが、1年に数回程度だけど 会えると超嬉しい。
時間忘れ、笑い、時には年取ったせいか健康談議や
社会問題を真剣に語りあう。
独身時代と違って時間は限られるけど、帰りの電車中で
窓にうつった、おばさんの自分に
「今日は良い日だ」なんてにんまりしてしまう。
あの 友達100人の歌を否定する訳じゃないけれど
焦らず、ゆっくり、来る者拒まず自然にしていれば
「出来るかな」じゃなく「出来るよ」となるのでは。。
とりあえず、そう教えてきた訳ではないが
あの変わりもんの次男ですら、中学に入って
ちらほらと友達がいるような感じで(ここは希望的観測だが)
一応、年賀状も格段に増えてきた。
まあ、お義理もたくさんあるだろうが(汗)
友達は、他人と比べるものでもなく数でもなく
最終的には、自分の宝になれば一番なのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます