いやー、上手だねえ。吉田修一。
わたしの中で上手な作家は宮部みゆきと東野圭吾。(好きというほどではない)
その後の世代ではこの人なんでしょうかねー。
現在流通している小説をほとんど読んでないわたしがいうのもなんですが。
新聞小説であることにも気づかなかった。本にまとめる時に大幅に書き直しをする人も
いるだろうけど、この人はあんまりしないタイプの人なんじゃないかな。
根拠はないが。
話がかなり派手ですな。とにかく冒頭が極道の正月挨拶、
そこへ飛び込んでくる敵対組の鉄砲玉たち、大親分が撃たれて死ぬところから始まるもの。
ここからどうやって国宝につながるんじゃい、と思うんだけど、
まあわりと素直に繋がっていきます。素直にというか、ドラマ的に。
大親分の息子に天性の歌舞伎役者の才能があった。
そこを見込んで歌舞伎の名門の役者が主人公を芸養子にする。
養子と実子は同年代。普通だったらいがみ合い、感情のドロドロとしそうなところ、
……この人は話のたてかたのわりにさわやかに書きますねえ。
もちろんなんやかやあるし、若干どろどろする場面もあるんだけど、
そこまで粘度は高くない。登場人物みんなが矜持を持って自律している気がするのよね。
言葉を変えていえば、若干きれいごと感はある。でもわたしはきれいごとの方が好きだから。
作者はこの話を描くために中村鴈治郎のところに3年黒子で入って取材した……と
どこかに書いてあったので、「ほう、大変だなあ」と思ったが、
今検索した記事を見るとそれは多分誤解で、黒子として勤めたわけではなく、
中村鴈治郎から「黒衣を作ってもらって」それを着て、舞台裏を取材したらしい。
黒衣でいると舞台裏でも目立たないそうだ。だから下働きをしたというわけではない。
ちなみに黒子(くろこ)は誤用で、黒衣(くろご)が正しいそうだ。
くろごは知らなかった。
まあでも3年の取材は大変だろう。月に2回行くとしても70回ですから。
しかもその前は「歌舞伎は、見たことがあるという程度」だったそう。
この辺のインタビューページがネットで見られて、これが面白い。
歌舞伎の黒衣経験を血肉に、冒険し続けた4年間 吉田修一さん新刊「国宝」1万字インタビュー
https://book.asahi.com/article/11802204
このタイトルに「黒衣経験」とつけてしまうところが誤解を生むわけだが。しかも文章中でも黒子が入っているので、ここは黒衣を使わなければ義理が悪いでしょう。
歌舞伎の魅力をたっぷり描いてますねえ。ここは難しいでしょうねえ……。
歌舞伎の良さを描写と心情で描くのは、たとえば……たとえが思いつかないが、
たとえば、美味しい料理を材料や作り方を主とせずに、見た目と味わいで書く。
このたとえでどうでしょう。
歌舞伎の良さ、と言った時にその歴史とか名優の存在とか、過去の名舞台で説明したら
楽なところだと思うんですよ。
でもそんな外側からのアプローチではなく、内側というか、内側も内側、
歌舞伎役者からからの歌舞伎の良さという描き方で。
3年も楽屋に通った甲斐がありましたな。
主人公に絶対的な魅力があるかというと、そうは思わなかった。
特に終盤、あっちの世界に行っちゃいますからね。まあでも芸道にまい進する人は
大なり小なりあっち側かな。
世話になった辻村に最後まで誠実に付き合うところは良かった。
リアリティはないと思うが。
徳次が良かったですね。人たらしなところがあっても、坊に一途なところが素敵。
そんなにお人よしでどうするよ、という気もしたが。
だが急に中国に渡るといって、当時はまだ中国は経済的にも
そこまでではなかったと思うので、いきなりで興ざめと思ったのだが、
華僑の息子って設定でしたか。それは正直、全然印象に残らない設定でした。
女性たちが、主人公にちょっと都合が良すぎるかなーと思わないでもない。
特に、娘を春江に預けるのとか。
あ、それから何よりも奈る駒?だっけ?と本妻の接触が全く書かれないのがズルいと思った。
娘が本妻のことを「〇〇おばさん」と呼べる関係性になれるわけがないんや。
長崎の母も、京都の母も、都合がいいよねー。
長崎の母は困窮したシーンは書かれてもあとはちょこちょこ出てくるだけだし。
京都の母は、実子の側に完全につくのが自然だろうと思うが、辛く当たるわけでもなく
かなり公平。本妻もあんなひどいこと言われたわりにその後も上手くやっているし、
奈る駒は主人公が都合がいい時にしか現れない。
まあそういうのもひっくるめて「いい話」でいいんですけども。
くさしているけど、こういうきれいごとの話は好きですよ。
わたしが図書館で借りた時には全然予約なんかなかったのに、1週間くらい経った時に
急に予約がたくさん入り始めました。もしかして……と思って検索してみると、
まさにこのタイミングで映画化が決まったそうですね。
そう、読みながら「これは映像に向くだろうなー」と思っていたのよ。
主役は絶対的な美形が求められるから、菊五郎の息子が成人したらとか、
あ、いや、市川染五郎がもう何年か経ったらぴったりじゃない!?とか
考えていたんですが、そうですか、吉沢亮ですか。
吉沢亮は美形のラインは悠々クリアでいいと思うのだが、歌舞伎俳優の、
しかも凄絶な歌舞伎俳優の生涯となると……やっぱり不安だなあ。
渋沢栄一はがんばったと思うし、印象は良かったが、あれとは求められる演技が
違うだろうしなあ……。
出来れば若い頃は吉沢亮でやって、中年以降は演技力盛り盛りの誰かでやって欲しい気がする。
狂気に近い執着を吉沢亮の年齢で出来るのか。うーん、相当に難しいと思うよ。
実年齢が若いというだけで説得力はだいぶ減るからなあ。
まあ他のキャスティングを楽しみに。
あの長編を2時間にするのもだいぶ難しいと思う。
映画公開されたら見に行こうかな。
わたしの中で上手な作家は宮部みゆきと東野圭吾。(好きというほどではない)
その後の世代ではこの人なんでしょうかねー。
現在流通している小説をほとんど読んでないわたしがいうのもなんですが。
新聞小説であることにも気づかなかった。本にまとめる時に大幅に書き直しをする人も
いるだろうけど、この人はあんまりしないタイプの人なんじゃないかな。
根拠はないが。
話がかなり派手ですな。とにかく冒頭が極道の正月挨拶、
そこへ飛び込んでくる敵対組の鉄砲玉たち、大親分が撃たれて死ぬところから始まるもの。
ここからどうやって国宝につながるんじゃい、と思うんだけど、
まあわりと素直に繋がっていきます。素直にというか、ドラマ的に。
大親分の息子に天性の歌舞伎役者の才能があった。
そこを見込んで歌舞伎の名門の役者が主人公を芸養子にする。
養子と実子は同年代。普通だったらいがみ合い、感情のドロドロとしそうなところ、
……この人は話のたてかたのわりにさわやかに書きますねえ。
もちろんなんやかやあるし、若干どろどろする場面もあるんだけど、
そこまで粘度は高くない。登場人物みんなが矜持を持って自律している気がするのよね。
言葉を変えていえば、若干きれいごと感はある。でもわたしはきれいごとの方が好きだから。
作者はこの話を描くために中村鴈治郎のところに3年黒子で入って取材した……と
どこかに書いてあったので、「ほう、大変だなあ」と思ったが、
今検索した記事を見るとそれは多分誤解で、黒子として勤めたわけではなく、
中村鴈治郎から「黒衣を作ってもらって」それを着て、舞台裏を取材したらしい。
黒衣でいると舞台裏でも目立たないそうだ。だから下働きをしたというわけではない。
ちなみに黒子(くろこ)は誤用で、黒衣(くろご)が正しいそうだ。
くろごは知らなかった。
まあでも3年の取材は大変だろう。月に2回行くとしても70回ですから。
しかもその前は「歌舞伎は、見たことがあるという程度」だったそう。
この辺のインタビューページがネットで見られて、これが面白い。
歌舞伎の黒衣経験を血肉に、冒険し続けた4年間 吉田修一さん新刊「国宝」1万字インタビュー
https://book.asahi.com/article/11802204
このタイトルに「黒衣経験」とつけてしまうところが誤解を生むわけだが。しかも文章中でも黒子が入っているので、ここは黒衣を使わなければ義理が悪いでしょう。
歌舞伎の魅力をたっぷり描いてますねえ。ここは難しいでしょうねえ……。
歌舞伎の良さを描写と心情で描くのは、たとえば……たとえが思いつかないが、
たとえば、美味しい料理を材料や作り方を主とせずに、見た目と味わいで書く。
このたとえでどうでしょう。
歌舞伎の良さ、と言った時にその歴史とか名優の存在とか、過去の名舞台で説明したら
楽なところだと思うんですよ。
でもそんな外側からのアプローチではなく、内側というか、内側も内側、
歌舞伎役者からからの歌舞伎の良さという描き方で。
3年も楽屋に通った甲斐がありましたな。
主人公に絶対的な魅力があるかというと、そうは思わなかった。
特に終盤、あっちの世界に行っちゃいますからね。まあでも芸道にまい進する人は
大なり小なりあっち側かな。
世話になった辻村に最後まで誠実に付き合うところは良かった。
リアリティはないと思うが。
徳次が良かったですね。人たらしなところがあっても、坊に一途なところが素敵。
そんなにお人よしでどうするよ、という気もしたが。
だが急に中国に渡るといって、当時はまだ中国は経済的にも
そこまでではなかったと思うので、いきなりで興ざめと思ったのだが、
華僑の息子って設定でしたか。それは正直、全然印象に残らない設定でした。
女性たちが、主人公にちょっと都合が良すぎるかなーと思わないでもない。
特に、娘を春江に預けるのとか。
あ、それから何よりも奈る駒?だっけ?と本妻の接触が全く書かれないのがズルいと思った。
娘が本妻のことを「〇〇おばさん」と呼べる関係性になれるわけがないんや。
長崎の母も、京都の母も、都合がいいよねー。
長崎の母は困窮したシーンは書かれてもあとはちょこちょこ出てくるだけだし。
京都の母は、実子の側に完全につくのが自然だろうと思うが、辛く当たるわけでもなく
かなり公平。本妻もあんなひどいこと言われたわりにその後も上手くやっているし、
奈る駒は主人公が都合がいい時にしか現れない。
まあそういうのもひっくるめて「いい話」でいいんですけども。
くさしているけど、こういうきれいごとの話は好きですよ。
わたしが図書館で借りた時には全然予約なんかなかったのに、1週間くらい経った時に
急に予約がたくさん入り始めました。もしかして……と思って検索してみると、
まさにこのタイミングで映画化が決まったそうですね。
そう、読みながら「これは映像に向くだろうなー」と思っていたのよ。
主役は絶対的な美形が求められるから、菊五郎の息子が成人したらとか、
あ、いや、市川染五郎がもう何年か経ったらぴったりじゃない!?とか
考えていたんですが、そうですか、吉沢亮ですか。
吉沢亮は美形のラインは悠々クリアでいいと思うのだが、歌舞伎俳優の、
しかも凄絶な歌舞伎俳優の生涯となると……やっぱり不安だなあ。
渋沢栄一はがんばったと思うし、印象は良かったが、あれとは求められる演技が
違うだろうしなあ……。
出来れば若い頃は吉沢亮でやって、中年以降は演技力盛り盛りの誰かでやって欲しい気がする。
狂気に近い執着を吉沢亮の年齢で出来るのか。うーん、相当に難しいと思うよ。
実年齢が若いというだけで説得力はだいぶ減るからなあ。
まあ他のキャスティングを楽しみに。
あの長編を2時間にするのもだいぶ難しいと思う。
映画公開されたら見に行こうかな。
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