清村盛。
今回、堤さんが演じたのは、俳優として自信をなくし、やっていけなくなってしまい、その苦しみから精神を病んでしまって実家のさびれた映画館で暮らしているという男だ。自分の妻を姉さんと思い込んでしまい、かつて、恋人だった女優の顔も忘れてしまって、幻想の世界で自分の栄光の象徴であろう、孔雀を探し続ける悲しい男、怯える男。スターを降りてもスターに縛られているとても悲しい男。
それでも、弟の悩み相談につきあう、心優しい男。わかっているかのようで、わからなくなっている男。胸に手をあてたり頭を抱え込んで膝を丸めて苦悩している男。ボロボロのカーテンをもて遊んでいるほんの少ししだけおちゃめな男。
堤さんは、蜷川さんに言わせると、狂気を演じさせたら右に出るものがいないそうだ。
だからのキャスティング。蜷川さんに、お前はミスキャストだから気軽にやれと言わせるほどの信用度、期待度なのだ。
数々の堤さんの演技を観てきた私もそう思っていたからこそ、前作の将門に続いてどんな演技をされるのか期待でいっぱい。ここ2作品、「吉原御免状」の松永誠一郎、「労働者M」の牧田君&ゼリグ、評判はすごくよかったけれども、私的には、物足りなくて今一つ感動しきれていなかった。
私はとにかく堤さんには、これでもか!って言うくらいの人の苦悩を表現するような難役をやって欲しいといつも思っている。
以前にやったような役。普段の堤さんに近い役。堤さんでなくてもできるんじゃないのかな・・・という役はもういいと思っている。
堤さんは、難役を悩みながらも演じきったときにこそ、内面から美しさが溢れてくる。
だから、舞台での立ち姿はどの役者さんよりも美しい。私は堤さんをカッコイイとかセクシーとかいう言葉ではなく、「美」、の一言が一番似合う役者さんだと思っている。舞台上での演技は、生きた芸術品そのものだ。人の裏にある悲しさ、苦悩を演じきるからこそ美しい。
昔からとことん、舞台を愛し、舞台に立ち続けてきた完全なる舞台人。この舞台継続によって、堤さんの才能があふれ出る域に達してしまっている。だから、テレビや映画では堤さんの「美」を感じとることはできにくい。一つだけ、「ピュア」の沢渡徹は、それに近いものがあるけれど。
「ごきげんよう!これより死におもむくぼく、そしてぼくら仲間から最期の別れを言います。・・・・。舞台上でかつての栄光の日々を捨て切れないように、自分が演じた役のせりふを言い続ける盛。
かと思えば幼い頃の幻想にさいなまれて、自分が盗んだ孔雀の剥製を探す盛。最後には、自分のことをボクちゃんと呼び、ボロボロになった座布団を美しい孔雀だと思い込む。座布団をいとおしく撫で付ける姿さえも美しい。
そして女優水尾と踊ったタンゴ。ボロ座布団を孔雀ではないのよ!と言った水尾を悲しみと怒りのあまり、首をしめて殺したあと、幻のパートナーと桜ふぶきの中でタンゴを踊る盛。技術ではなく、心と体で感じて踊っていた堤さんの盛。
堤さんに一番よく似合う、白いシャツと黒のスーツが一段と美しさを増し、盛の悲しさがまた美しくみせる。また、堤さんの美が溢れ出た。感動で、ジーンとなってしまったクライマックス。水尾の夫、連にナイフで刺されて倒れるときも美しく倒れていった。盛が孔雀のような人生をつかみ切れずに死んだというストーリーよりも、堤さんの美しい演技にジーンとするのだ。繊細で神経質な演技は圧巻なのだ。
一体この人はどんな役をすれば、つまずくのだろう。変な言葉で言えば、呆れてしまう。
難役を必ず演じきってしまうのだ・・・。かつて、なんて美しいんだ、と思った「キルのテムジン」は、「アテルイの坂上田村麻呂」になり、「幻の平将門」になり、今、「タンゴの清村盛」へと進化を遂げている。
パンフレットにはかつての盛を演じた平幹次郎さんの盛くんへというメッセージがあった。平さんにとっても盛くんは心にずっと残る役だったそうだ。「今回野心的で、才能あふれる役者に宿るという。その人に美しく悲しい花を咲かせてくれ。・・・・・だからごきげんよう!盛くん、君に最期の別れを言います。」
盛くんは、このたび、平さんから堤さんへと、乗り移ったようだ。いつか新しい盛くんが現われるまで、盛くんは堤さんの兄弟になった。盛くんは堤さんの代表作になるのだ!
堤さんは見事に、呆れるほど、清村盛で。
清村盛として踊ったタンゴは素晴しかった!堤さんの胸にも美しい孔雀がいるような気がする。悲しく美しいタンゴに客席は酔いしれた。
最期に、妻ぎんが言った、「あのボロ切れを孔雀だとは言えなかった。そこまで一緒には狂えなかったと」というせりふ。妻も姉も女も盛のために演じることができなくなったぎん。
水尾は、盛にボロ切れをボロ切れだと教えてあげようとした。ぎんも、ボロ切れを孔雀だとは言えなかった・・・・。それは盛君の人生はボロそのものなのよ、と言うことなのだ・・・。
あたしは、きれいな孔雀だって言うだろう。一生いっしょに狂ってあげれるだろう。
盛くんは孔雀をみつけたのだから。ボロ切れも孔雀に見えるなら、もう孔雀なのだ。
一人、孤独の闇に消えていった盛くんだからこそ、美しい。
盛くん、盛くん、盛くんの孔雀はちゃんといる・・・。
盛くんは、もう怖がらなくてもいい、もう怯えなくてもいい・・・。
今から、堤さんが盛くんの孔雀を探してくれる・・・。
私はカーテンコールで堤さんの笑顔をあまり見たことがない。なのに、今回は2回、3回目のカーテンコールでは笑顔になって手まで振っていた。カーテンが下りているのに。
堤さんも上機嫌になるほど、盛くんは堤さんと結びついたに違いない。
今回、堤さんが演じたのは、俳優として自信をなくし、やっていけなくなってしまい、その苦しみから精神を病んでしまって実家のさびれた映画館で暮らしているという男だ。自分の妻を姉さんと思い込んでしまい、かつて、恋人だった女優の顔も忘れてしまって、幻想の世界で自分の栄光の象徴であろう、孔雀を探し続ける悲しい男、怯える男。スターを降りてもスターに縛られているとても悲しい男。
それでも、弟の悩み相談につきあう、心優しい男。わかっているかのようで、わからなくなっている男。胸に手をあてたり頭を抱え込んで膝を丸めて苦悩している男。ボロボロのカーテンをもて遊んでいるほんの少ししだけおちゃめな男。
堤さんは、蜷川さんに言わせると、狂気を演じさせたら右に出るものがいないそうだ。
だからのキャスティング。蜷川さんに、お前はミスキャストだから気軽にやれと言わせるほどの信用度、期待度なのだ。
数々の堤さんの演技を観てきた私もそう思っていたからこそ、前作の将門に続いてどんな演技をされるのか期待でいっぱい。ここ2作品、「吉原御免状」の松永誠一郎、「労働者M」の牧田君&ゼリグ、評判はすごくよかったけれども、私的には、物足りなくて今一つ感動しきれていなかった。
私はとにかく堤さんには、これでもか!って言うくらいの人の苦悩を表現するような難役をやって欲しいといつも思っている。
以前にやったような役。普段の堤さんに近い役。堤さんでなくてもできるんじゃないのかな・・・という役はもういいと思っている。
堤さんは、難役を悩みながらも演じきったときにこそ、内面から美しさが溢れてくる。
だから、舞台での立ち姿はどの役者さんよりも美しい。私は堤さんをカッコイイとかセクシーとかいう言葉ではなく、「美」、の一言が一番似合う役者さんだと思っている。舞台上での演技は、生きた芸術品そのものだ。人の裏にある悲しさ、苦悩を演じきるからこそ美しい。
昔からとことん、舞台を愛し、舞台に立ち続けてきた完全なる舞台人。この舞台継続によって、堤さんの才能があふれ出る域に達してしまっている。だから、テレビや映画では堤さんの「美」を感じとることはできにくい。一つだけ、「ピュア」の沢渡徹は、それに近いものがあるけれど。
「ごきげんよう!これより死におもむくぼく、そしてぼくら仲間から最期の別れを言います。・・・・。舞台上でかつての栄光の日々を捨て切れないように、自分が演じた役のせりふを言い続ける盛。
かと思えば幼い頃の幻想にさいなまれて、自分が盗んだ孔雀の剥製を探す盛。最後には、自分のことをボクちゃんと呼び、ボロボロになった座布団を美しい孔雀だと思い込む。座布団をいとおしく撫で付ける姿さえも美しい。
そして女優水尾と踊ったタンゴ。ボロ座布団を孔雀ではないのよ!と言った水尾を悲しみと怒りのあまり、首をしめて殺したあと、幻のパートナーと桜ふぶきの中でタンゴを踊る盛。技術ではなく、心と体で感じて踊っていた堤さんの盛。
堤さんに一番よく似合う、白いシャツと黒のスーツが一段と美しさを増し、盛の悲しさがまた美しくみせる。また、堤さんの美が溢れ出た。感動で、ジーンとなってしまったクライマックス。水尾の夫、連にナイフで刺されて倒れるときも美しく倒れていった。盛が孔雀のような人生をつかみ切れずに死んだというストーリーよりも、堤さんの美しい演技にジーンとするのだ。繊細で神経質な演技は圧巻なのだ。
一体この人はどんな役をすれば、つまずくのだろう。変な言葉で言えば、呆れてしまう。
難役を必ず演じきってしまうのだ・・・。かつて、なんて美しいんだ、と思った「キルのテムジン」は、「アテルイの坂上田村麻呂」になり、「幻の平将門」になり、今、「タンゴの清村盛」へと進化を遂げている。
パンフレットにはかつての盛を演じた平幹次郎さんの盛くんへというメッセージがあった。平さんにとっても盛くんは心にずっと残る役だったそうだ。「今回野心的で、才能あふれる役者に宿るという。その人に美しく悲しい花を咲かせてくれ。・・・・・だからごきげんよう!盛くん、君に最期の別れを言います。」
盛くんは、このたび、平さんから堤さんへと、乗り移ったようだ。いつか新しい盛くんが現われるまで、盛くんは堤さんの兄弟になった。盛くんは堤さんの代表作になるのだ!
堤さんは見事に、呆れるほど、清村盛で。
清村盛として踊ったタンゴは素晴しかった!堤さんの胸にも美しい孔雀がいるような気がする。悲しく美しいタンゴに客席は酔いしれた。
最期に、妻ぎんが言った、「あのボロ切れを孔雀だとは言えなかった。そこまで一緒には狂えなかったと」というせりふ。妻も姉も女も盛のために演じることができなくなったぎん。
水尾は、盛にボロ切れをボロ切れだと教えてあげようとした。ぎんも、ボロ切れを孔雀だとは言えなかった・・・・。それは盛君の人生はボロそのものなのよ、と言うことなのだ・・・。
あたしは、きれいな孔雀だって言うだろう。一生いっしょに狂ってあげれるだろう。
盛くんは孔雀をみつけたのだから。ボロ切れも孔雀に見えるなら、もう孔雀なのだ。
一人、孤独の闇に消えていった盛くんだからこそ、美しい。
盛くん、盛くん、盛くんの孔雀はちゃんといる・・・。
盛くんは、もう怖がらなくてもいい、もう怯えなくてもいい・・・。
今から、堤さんが盛くんの孔雀を探してくれる・・・。
私はカーテンコールで堤さんの笑顔をあまり見たことがない。なのに、今回は2回、3回目のカーテンコールでは笑顔になって手まで振っていた。カーテンが下りているのに。
堤さんも上機嫌になるほど、盛くんは堤さんと結びついたに違いない。