うさぎ穴便り

タラッタ、ラッタラッタ♪うさぎのように耳をたてたて、お鼻ひくひく。好奇心旺盛ぶりを「うさぎ穴」から発信!

舞台「タンゴ・冬の終わりに」その2 ~堤真一さんが清村盛になった日~

2006-11-09 22:55:27 | 舞台・演劇
清村盛。
今回、堤さんが演じたのは、俳優として自信をなくし、やっていけなくなってしまい、その苦しみから精神を病んでしまって実家のさびれた映画館で暮らしているという男だ。自分の妻を姉さんと思い込んでしまい、かつて、恋人だった女優の顔も忘れてしまって、幻想の世界で自分の栄光の象徴であろう、孔雀を探し続ける悲しい男、怯える男。スターを降りてもスターに縛られているとても悲しい男。
それでも、弟の悩み相談につきあう、心優しい男。わかっているかのようで、わからなくなっている男。胸に手をあてたり頭を抱え込んで膝を丸めて苦悩している男。ボロボロのカーテンをもて遊んでいるほんの少ししだけおちゃめな男。
堤さんは、蜷川さんに言わせると、狂気を演じさせたら右に出るものがいないそうだ。
だからのキャスティング。蜷川さんに、お前はミスキャストだから気軽にやれと言わせるほどの信用度、期待度なのだ。
 数々の堤さんの演技を観てきた私もそう思っていたからこそ、前作の将門に続いてどんな演技をされるのか期待でいっぱい。ここ2作品、「吉原御免状」の松永誠一郎、「労働者M」の牧田君&ゼリグ、評判はすごくよかったけれども、私的には、物足りなくて今一つ感動しきれていなかった。
 私はとにかく堤さんには、これでもか!って言うくらいの人の苦悩を表現するような難役をやって欲しいといつも思っている。
 以前にやったような役。普段の堤さんに近い役。堤さんでなくてもできるんじゃないのかな・・・という役はもういいと思っている。
 堤さんは、難役を悩みながらも演じきったときにこそ、内面から美しさが溢れてくる。
だから、舞台での立ち姿はどの役者さんよりも美しい。私は堤さんをカッコイイとかセクシーとかいう言葉ではなく、「美」、の一言が一番似合う役者さんだと思っている。舞台上での演技は、生きた芸術品そのものだ。人の裏にある悲しさ、苦悩を演じきるからこそ美しい。
 昔からとことん、舞台を愛し、舞台に立ち続けてきた完全なる舞台人。この舞台継続によって、堤さんの才能があふれ出る域に達してしまっている。だから、テレビや映画では堤さんの「美」を感じとることはできにくい。一つだけ、「ピュア」の沢渡徹は、それに近いものがあるけれど。

「ごきげんよう!これより死におもむくぼく、そしてぼくら仲間から最期の別れを言います。・・・・。舞台上でかつての栄光の日々を捨て切れないように、自分が演じた役のせりふを言い続ける盛。
かと思えば幼い頃の幻想にさいなまれて、自分が盗んだ孔雀の剥製を探す盛。最後には、自分のことをボクちゃんと呼び、ボロボロになった座布団を美しい孔雀だと思い込む。座布団をいとおしく撫で付ける姿さえも美しい。
そして女優水尾と踊ったタンゴ。ボロ座布団を孔雀ではないのよ!と言った水尾を悲しみと怒りのあまり、首をしめて殺したあと、幻のパートナーと桜ふぶきの中でタンゴを踊る盛。技術ではなく、心と体で感じて踊っていた堤さんの盛。
 堤さんに一番よく似合う、白いシャツと黒のスーツが一段と美しさを増し、盛の悲しさがまた美しくみせる。また、堤さんの美が溢れ出た。感動で、ジーンとなってしまったクライマックス。水尾の夫、連にナイフで刺されて倒れるときも美しく倒れていった。盛が孔雀のような人生をつかみ切れずに死んだというストーリーよりも、堤さんの美しい演技にジーンとするのだ。繊細で神経質な演技は圧巻なのだ。
 一体この人はどんな役をすれば、つまずくのだろう。変な言葉で言えば、呆れてしまう。
難役を必ず演じきってしまうのだ・・・。かつて、なんて美しいんだ、と思った「キルのテムジン」は、「アテルイの坂上田村麻呂」になり、「幻の平将門」になり、今、「タンゴの清村盛」へと進化を遂げている。
 パンフレットにはかつての盛を演じた平幹次郎さんの盛くんへというメッセージがあった。平さんにとっても盛くんは心にずっと残る役だったそうだ。「今回野心的で、才能あふれる役者に宿るという。その人に美しく悲しい花を咲かせてくれ。・・・・・だからごきげんよう!盛くん、君に最期の別れを言います。」
 盛くんは、このたび、平さんから堤さんへと、乗り移ったようだ。いつか新しい盛くんが現われるまで、盛くんは堤さんの兄弟になった。盛くんは堤さんの代表作になるのだ!
堤さんは見事に、呆れるほど、清村盛で。
 清村盛として踊ったタンゴは素晴しかった!堤さんの胸にも美しい孔雀がいるような気がする。悲しく美しいタンゴに客席は酔いしれた。
 最期に、妻ぎんが言った、「あのボロ切れを孔雀だとは言えなかった。そこまで一緒には狂えなかったと」というせりふ。妻も姉も女も盛のために演じることができなくなったぎん。
 水尾は、盛にボロ切れをボロ切れだと教えてあげようとした。ぎんも、ボロ切れを孔雀だとは言えなかった・・・・。それは盛君の人生はボロそのものなのよ、と言うことなのだ・・・。
あたしは、きれいな孔雀だって言うだろう。一生いっしょに狂ってあげれるだろう。
 盛くんは孔雀をみつけたのだから。ボロ切れも孔雀に見えるなら、もう孔雀なのだ。
  一人、孤独の闇に消えていった盛くんだからこそ、美しい。
盛くん、盛くん、盛くんの孔雀はちゃんといる・・・。
 盛くんは、もう怖がらなくてもいい、もう怯えなくてもいい・・・。
 今から、堤さんが盛くんの孔雀を探してくれる・・・。

 私はカーテンコールで堤さんの笑顔をあまり見たことがない。なのに、今回は2回、3回目のカーテンコールでは笑顔になって手まで振っていた。カーテンが下りているのに。
堤さんも上機嫌になるほど、盛くんは堤さんと結びついたに違いない。



舞台「タンゴ・冬の終わりに」 その1 大好きな、蜷川幸雄さんの演出

2006-11-09 20:30:27 | 舞台・演劇
11月8日(水)
待ちに待ったシアターコクーン。
清水邦夫さんの台本を図書館で借り寄せて、しっかり予習をし、蜷川さんがどんな演出をされ、主演の堤真一さんが、どんな表現をされるのか、とにかく楽しみでしかたがなかった。台本を読んでいたおかげで、内容は分りやすかった。
自分の頭の中での演出はとても単純なものでしかない。照明の色なんて思いつかないし。
オープニングは若者たちが古い古い映画館で「イージーライダー」を見ながら感動の表現をするというもの。80人の男女だそうだ!その様子は清水さんと蜷川さんの若き頃の学生運動を彷彿とさせていた。この時点ですでに拍手喝采したい気持だった。凄過ぎる!心で完全に拍手をしていた。
セットはさびれてしまった映画館に歯抜けのようにお客さん用の椅子がおいてある。周囲の黒カーテンはビリビリに破れてしまっている。日本海から吹いてくると思われる風にカーテンが舞ってている。
そこで、元俳優の男、妻、弟、かつての不倫の恋人だった女優、その女優の夫がおもにからんでくるという内容だ(あらすじは省略)。
まず、役者さんの立ち位置からして、全部私の想像とは反対の位置になっていた。
堤さん演じる元俳優、清村盛が、子どもの頃の幻想で幼馴染みのタマミとトウタに盛くん、盛くんと呼ばれるときには、タマミとトウタは、高いところで、ブランコに乗って揺れていた。そこにブルーの証明が・・・。なんとも言えずにキレイだった。その下で堤さんの盛くんが赤い椅子の間で苦悩したりしている。
親戚のおじさんがたも思った以上に明るい歌で登場してきたし、段田さんの女優の夫は食べてばかりの表現が面白かったし、弟役の高橋洋さんの演技も見事だった。高い声で映画女優の役を真似する姿はとてもおかしかった。
おかしかったけれど、それぞれにみんな悩んでいる。
盛と妻のぎんと女優水尾がシリアスな部分を演じて他がその対象。せりふはほぼ台本のせりふどおり。そのせりふが笑える。今回の舞台は、アドリブなんか必要ないのだ。
 ちょっとした会話で、お客さんはウケていた。
あとは、堤さんの繊細で神経細かな精神がおかしくなっていく様がこの作品を盛り上げる。
 蜷川さんと清水さんが、正統派で真っ向勝負をかけて来られた感じ。
期待の何十倍も素晴しくて、震えて鳥肌がたった。
堤さんの繊細で丁寧な狂った演技。秋山奈津子さんの文句なしの夫を再起させようとする演技。
常盤貴子さんの演技は一生懸命さがものすごく伝わってきた。これから頑張って舞台を踏んでいけば必ずよくなる女優さんだと思った。千秋楽は常盤ちゃん絶対に泣くだろうな・・・。頑張れ、常盤ちゃん!!
 堤さんと、常盤ちゃんのタンゴ。堤さんがラスト、バックに現われた巨大な桜と大量の桜ふぶきの中で一人で踊ったタンゴ。技術ではなく、心で踊ったタンゴ。言葉が出ない!!カノンのひびきとともにジーンときたシーンだった。
ラスト、盛が連(段田さん)に刺されて倒れ、舞台前面に転がった・・・。
ものすごく凝ったセットではないからこそ、皆さんの衣装も特別に凝っていないからこそ、雰囲気と照明に圧倒されてしまった。
これでおしまいとは。もう一回立ち見でもいいから観たい!!!と思った!!
ここ数年で観た舞台の中でベスト1の作品になった。
 蜷川さんが選んだ役者さんたちも高いレベルのかたたちばかり。
 蜷川さんは昨年、「走るじじぃ」で行くとおっしゃっていたが、今年もこのじじぃ様は走り続けていらっしゃる!!蜷川さんはしっかりと舞台で自己主張もされている。
 今回はラウンジで蜷川さんのお姿を拝見できなくて残念だったけれど、蜷川さんのファンはやめられない。
 世界の蜷川さんだけど、日本の演劇界をこそ背負って立つ蜷川さん。
 清水さんの台本は、ぶあつくて何篇もあり。そのほとんどが、セッティングが違うだけで、似たようなせりふ。なのに蜷川さんが演出されるとまったく違った作品になる。借りた本を全て読みこむことはできなかったけれど、清水さんと蜷川さんコンビの作品は、人間の心情そのものを描いた、素晴しい名作になるのだ。
 感想を書く、なんてことは、ほんとはできない名作、というのがこの作品に対する感想だ。
オープニングだけが、にぎやかで、あとは最後まで、どちらかといえば静かな、観てるだけで、タンゴのように感じてしまい、震えてしまい、ジーンとしてしまう。それ以外にあれこれ言葉なんていらない作品だったような気がする。
この作品のテーマでもある、盛くんが子供の頃、理科実験室から盗んで隠した孔雀は、パンフでも皆さんがおっしゃっていたように、人生の輝きの象徴のようだ。
 孔雀は言葉だけでしか登場していない。
 でも、蜷川さんの舞台には、清村盛の人生とは逆に孔雀が飛んでいると思ってしまった。
 ほんとうに久しぶりに心に染み渡ってきた極上の作品だった。
 カーテンコールは3回。最後は、みんなスタンディングの大拍手。
堤さんも笑顔で手を振ってくださっていた。役者さんも、お客さんも手ごたえがあった証拠だ!!
 蜷川さん、美しい作品をありがとう!!
 これからもっと走りまくってください。