うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

へんな絵

2007年06月11日 | ことばを巡る色色
昨日日曜は、名古屋市美術館にダリ展を見に行った。えらい人気だよ、というのは知っていたのだけれど、これほどまでとは。名古屋にこんなにダリファンがいるとは。お昼ちょいと前に行ったのだけれど、絵の前は長蛇の列。3重4重にもなっており、頂き物のチケットで入ったわたしは気おされて、ザーッと見てふーーん、と思っておりました。日本画を見る眼を手にしたということで、わたしは何かを失ったのかな、と思うほど、、通り過ぎてしまった。わたしが小さいころ、ダリお爺さんは生きていた。変な髭をはやして、いっつも変なことをしていたなあ。ダリの絵は、におう。肉食の人の匂い。パヒュームの匂い、金物の匂い、歪んだ金属の匂い。曲線の匂い。湿った革の匂い。そういうものに、名古屋の老若男女(並んでる中にはとてもたくさんの子供づれの方あり。さあさ、面白いおじさんの絵を見に行こうとでもいって子を連れてくるのにぴったりか、ダリは?)ぬるぬるした触感は横尾忠則も似てるけど、あたしゃ、横尾のほうが好きだなあ。物語を描いたダリのその物語がわたしには肌触りの違う物だったのか。農耕民族の遺伝子には、湿った鞭の匂いは濃厚すぎるのか(駄洒落じゃないよ)
常設展のお下げのモジリアニ。光る瞳のキスリングよりも、モジリアニに惹かれる所以は何なのか。五七五で育ったからなのかな。

家に帰れば、赤い唇の折口さんの過剰な露出。ちょっと後退している額とどうやって寝るとそうなるのっていう多髪とポロポロと流れる涙とのアンバランスな人だなあ。他の全部は胡散臭いジュリアナ・ヴェルファーレなのに、唇だけが介護ビジネス。突然の業務停止命令って、この人、政界工作してなかったんだね。ホリエモンしかりで、この人たちって、そりゃ、後先考えずビジネスになればって、利潤追求に走る乱暴な人たちだけれど、老獪な誰かと違って、バッチをつけたオジサンたちとはつながってないから、こんなことになっちゃってるんかしら、と考えた。
最も危険なことは、語られていないこと。何かが表面に出ることで、語られなかったことは何かを見なければ。そう、何が語られたかではなく、何が語られないことになったかが、大切だ。君はそれがわかっている?例えば、コムスンの市場を狙っている誰かが巧妙に工作したなんてこともありうるしね。彼と彼の会社の罪は罪だけれど、多分一番悪い人は、多分、何かを表に出すことで隠れることに成功した人なんだろう。何かが表に出、批判されることで免れたものは何か、人が声高になっているときは、それこそを注意深く見ることが、大切だ。大声の罵り合いはいつか去っていく。その時ほくそえんでいるのは誰なのか。尻馬に乗るのは容易だけれど、君よ、それを、ぺろりとはがしてごらん。
コメント (6)
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