先日は親族に連れられて、とある店に夕食を摂りに行った。お料理はおいしいのだが、なんだか居心地が悪い。張り紙なのだ。張り紙ベタベタなのだ。いわく、「携帯電話をかけるな」これは最近の店ではおなじみなので、文句はない。いわく、「子供を靴のまま椅子やらテーブルやらに立たせるな」これも社会人としては当然、自分の子に注意しなければならぬことであり、納得のご注文である。いわく、「期限切れのポイントカードを不正に使うお客がいるので、眞に残念ながらポイント制度は廃止します」・・・なるほど、悪い客がいたもんだ。だが、これらの張り紙を、客は右にも左にも、入店時にも精算時にも読まねばならぬのだ。勘弁してくれよ、である。偶然、張り紙の主であるマスターは不在で接客は丁寧だったのだけれどね。
そういえば、昔よく行っていた店でも、別の意味で居心地が悪くて、足が遠のいてしまった。その店では、親族やらバイトやらを使ってやっているのだが、マスターの「叱り方」が尋常ではないのだ。ピリピリなのだ。勢い客はバイトやらに同情しながらも、顔を上げられずに食事をすることとなる。
たいていそういう店のマスターは完璧主義者で、全ての調理を自分でしたがる。客が増え、注文が多くなると、さばききれずに、そのストレスを当り散らすということとなる。そうして、「王様」となってしまう。「これは俺の店なんやから、妻も親も子もバイトも、もちろん客も、俺の言うこと聞けよー」「嫌なら喰うな」的オーラを撒き散らしながら、フライパンを振るっている。
確かに、「嫌なら来るな!」という客は、いる。「お前のためにやっとるんじゃねえぞ」って客はいるけれど、接客の基本は、「出て行け」とは言わないことのはずだ。
なんて話をしているのは、実は今週「いやなら出てけ!」という思いを、客に対して、わたしがしたからだ。数日経ったが、気分の悪さが続いている。確かに、塩まいておしまい、にしてしまえば、気分も晴れよう。ここで争っても「勝ち」にはならない。
ゴウジョウッパリのわたしは「にんげんだもの」なんて、寛容にもなれず、ひらがなの名前の人が説くような悟りもないわたしは、悶々としております。うん。
そういえば、昔よく行っていた店でも、別の意味で居心地が悪くて、足が遠のいてしまった。その店では、親族やらバイトやらを使ってやっているのだが、マスターの「叱り方」が尋常ではないのだ。ピリピリなのだ。勢い客はバイトやらに同情しながらも、顔を上げられずに食事をすることとなる。
たいていそういう店のマスターは完璧主義者で、全ての調理を自分でしたがる。客が増え、注文が多くなると、さばききれずに、そのストレスを当り散らすということとなる。そうして、「王様」となってしまう。「これは俺の店なんやから、妻も親も子もバイトも、もちろん客も、俺の言うこと聞けよー」「嫌なら喰うな」的オーラを撒き散らしながら、フライパンを振るっている。
確かに、「嫌なら来るな!」という客は、いる。「お前のためにやっとるんじゃねえぞ」って客はいるけれど、接客の基本は、「出て行け」とは言わないことのはずだ。
なんて話をしているのは、実は今週「いやなら出てけ!」という思いを、客に対して、わたしがしたからだ。数日経ったが、気分の悪さが続いている。確かに、塩まいておしまい、にしてしまえば、気分も晴れよう。ここで争っても「勝ち」にはならない。
ゴウジョウッパリのわたしは「にんげんだもの」なんて、寛容にもなれず、ひらがなの名前の人が説くような悟りもないわたしは、悶々としております。うん。