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シャボン玉の思い出(後)

ある日、私たちは理科の時間に松やにを使ってシャボン玉を作りました。
その子は、私たちの先生からシャボン水をもらったと、喜んで私に知らせにきました。
ところが、近所の男の子がそれをひったくり、折角のシャボン水はみんなこぼれてしまったのです。
泣きながら行ってしまったかわいいファデットのために、その夕方、彼女の家にシャボン水を届けてやりました。
その時の嬉しげな様子、自分の愛している少女を喜ばせたという喜びで
一杯になった私は、そのことでますますその子が好きになったのです。

けれども、別れなければならない時が来ました。ある日曜、自転車で教会に
行く途中、路ばたでちょっと話した、それが最後でした。二度と私の
目の前に現れず、遠い東京に行ってしまったのです。

その後、学校の図書館に「愛の妖精」を見つけた時、私はどんなに胸をわくわくさせて飛びつき、
一枚一枚のさし絵をどんなに喜びを持って見つめたことでしょう。

今はもう何もかもが夢の中のことだったように、遠くかすんでしまったけれど、
決してわすれられないのは、あの無邪気な笑顔です。
毎年夏になったら現われるシャボン玉売りのおじさんの姿を見るたびに、
私の心を和らげてくれた幼い愛の妖精、星のように輝く目を持つおさげの
ファデットが生き生きと目の前によみ返ってくるのです。

                  1957年作            
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (おキヨ)
2008-08-27 02:19:46
高畠華宵懐かしいですね。
私も少女雑誌の挿絵に憧れて育ちました。昔の挿絵画家は美術学校出身者が多かったですからちゃんとした絵を描きましたよね。私は蕗谷虹児が好きでした。
 
 
 
Unknown (オキヨ)
2008-08-27 13:33:32
この文章に魅かれてまたやってきました。
ご自分の過去に書いたものをお持ちだったんですね。

これは初恋だったかもしれません。初恋は異性とは限りませんもの。。。

美しい少女、私も憧れました。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2008-08-27 20:42:21
ワー、気に入っていただいて光栄です。はたして恋だったのでしょうか…文だけ見ると正にそうですね。もっと大きくなって分別がついたら書けないような文だと思いますが、学校文集に載せた先生は、どう考えたのでしょうね??
 
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