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しづのをだまき
【詩】討匪行
2011年01月18日 / 詩
1932年(昭和7年)八木沼丈夫 作詞 藤原義江 作曲
どこまで続く 泥濘(ぬかるみ)ぞ
三日二夜を 食もなく
雨降りしぶく 鉄兜
嘶(いなゝく)く声も 絶え果てゝ
たふれし馬の 鬣(たてがみ)を
形見と今は 別れ來ぬ
蹄の跡に 乱れ咲く
秋草の花 雫して
虫が音細き 日暮れ空
既に煙草は 無くなりぬ
頼むマツチも 濡れ果てぬ
飢ゑ迫る夜の 寒さかな
さもあらばあれ 日の本の
吾はつはもの かねてより
草蒸す屍 悔ゆるなし
あゝ東(ひむがし)の 空遠く
雨雲搖りて とどろくは
吾が友軍の 飛行機ぞ
通信筒よ 乾パンよ
声もつまりて 仰ぐ眼に
溢るゝものは 涙のみ
今日山峽(やまがひ)の 朝ぼらけ
細くかすけく 立つ煙
賊馬は草を 食(は)むが見ゆ
露冷えまさる 草原(くさはら)に
朝立つ鳥も 慌(あわたゞ)し
賊が油斷ぞ ひしと寄れ
面(おも)輝かし つはものが
賊殲滅(せんめつ)の 一念に
ほのほと燃えて 迫る見よ
山こだまする 砲(つゝ)の音
たちまち響く ときの声
野の辺の草を 紅(あけ)に染む
賊馬もろとも たふれ伏し
焔は上がる 山の家
さし照れる日の うらゝけさ
仰ぐ御稜威(みいつ)の旗の下
幾山越えて 今日の日に
あふ喜びを 語り草
敵にはあれど なきがらに
花を手向けて ねんごろに
興安嶺よ いざさらば
亞細亞(アジヤ)に國す 吾が日本
王師ひとたび ゆくところ
滿蒙の闇 はれ渡る
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「満州建国」のころの軍歌だが、勇猛な丈でなく哀調を帯びているところが民衆に人気があったゆえんだろう。作曲した藤原義江はもちろん加藤登紀子も歌っているし、「どこまで続くぬかるみぞ」と言う言い方は日頃からよく使われていると思う。
初めてこの歌を唄ったのは今から30数年前、協力隊でシリアの首都ダマスカスに着いたその夜の歓迎会でだった。新婚サンにしては選曲が暗い。これを教えてくれた夫は、数年前20代前半のインド協力隊時代に覚えたらしい。
そんな昔のことを思い出したのは、「中国語で残された日本文学」(2001年法政大学出版局、呂元明著 西田勝訳)の最後尾にこれがあったから。何でも1937年刊行の田漢著「敵兵の陣中日記」に、37年10月18日上海戦役で戦死した日本兵の日記から見つけられた歌として中国語訳が出ていたそうだ。田漢は「この人はとても詩才があり、名前がわからないのが実に惜しい」と述べている。訳者もこの原詩は和歌らしいが、復元は不可能だとしているので、すぐにも手紙で教えてあげたくなったが、出版されてから10年、きっと誰かがそうしているだろうと、止めにした。
作詞の八木沼氏は関東軍参謀部所属であり、これは、日本軍の正式な軍歌だというからビックリである。
その中国語訳は数節しか出ていなかったし、当時の私たちのように1番から4番までと14番しか知らなければ、兵隊の間で秘かに歌われた厭戦反戦の歌と思い違いしそうだ。
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こうして細々ながらもご縁をいただいているということの意味を、今の自分は理解できます。
日本語は美しいですね。
You cry on hearing these versions? We Japanese don't cry but sigh,because these soldiers life is not others but our own daily life.